42.「精霊魔法」
僕たちは、少しずつ、森を奥へと進んだ。
エルフたちが住んでいるくらいだから安全な場所へと向かっているのだと、僕は高をくくっていたが、そんなことは全然なかった。
サーベルウルフとか、ジャッカルとか、レイブンとか、ヴェノマスワームとか、スコーピオワスプとか、たびたび魔獣に襲われた。
そんな中、一番活躍していたのはリリーだった。
対魔獣戦において、精霊魔法というのは非常に強力だった。
地を這う魔獣は沼に沈めればいいし、空を飛ぶ魔獣は風や水で落とせばいい。
ほぼ無力化した魔獣を残りの三人でとどめを刺すという戦法で、大体どうにかなってしまう。
ちなみに、火の精霊魔法を使わないのは、森を焼いてしまうために他の精霊たちに怒られてしまうからだそうだ。
精霊魔法には、そういう地形的な制約があるようだが、それでも強力であることに間違いない。
「別に、あたしたちが助けなくても、一人で何とかなったんじゃないか?」
ティアの疑問はもっともであった。
ただ、リリーは魔法を使う暇なく精霊除けの呪符の付いた手枷を付けられてしまったので、魔法は使用できなかったのだと言った。
ミューズが言うには、エルフには精霊魔法使いが多いため、エルフを奴隷として使役しようとする者には、精霊除けの呪符は必須アイテムなのだそうだ。
精霊除けの呪符とは、その名の通り、精霊たちを寄せ付けないおフダのことだ。
このおフダの周囲では、精霊魔法が使えなくなる。
このフダを用意していたのだとしたら、あの商人、意外と準備がいいことになる。
きっと、リリーたちエルフを売るための、計画的な犯行だったのだろう。
「あと、おなかが、ぎゅりゅぎゅるしてて、逃げ出す元気がなかった」
リリーは眉をひそめ、おなかを押さえて言った。
嘔吐下痢症だったようだから、その時の感覚を思い出したのだろう。
誰でも一度はなったことがあるだろうが、あれは非常につらい。
ティアもミューズも同じような顔をしている。
きっと、似たような目に遭ったことがあるのだろう。
「あれから、おなかの調子がいい。
ありがとう、カナン」
そう言って、リリーは屈託ない笑みをこちらに向ける。
僕も、つられて笑みを返し、頭を撫でてやる。
《ヘーレム》の効果が腸管に及び過ぎはしないかと心配していたが、杞憂に終わったようだ。
きちんと、使用した範囲だけに効いたようだ。
「良くしたのは、あたしの魔法だぞ?」
ティアが自分を指差して言う。
《ヒール》を使ったミューズも、複雑そうな表情をしている。
リリーは、僕の服の裾を握りしめて、首を振る。
「でも、やってくれって言ってくれたのはカナン。
わたしは里を出てしまったために精霊の加護が無くなったから、このまま自分は死んでいく運命なんだと思い込んでいた。
カナンが助けてくれなければ、わたしは後悔の中で死んでいた」
なんだか、大袈裟なことを言っているなと思ったら、そこにミューズが乗り出した。
「そうなんだよ!
私も、毒を受けて死に瀕した時、神に与えられた運命を呪いそうになった!
でも、カナンは、そんな私に希望をくれたんだ!
リリーも、そうだったんだね!」
「うん」
二人は、そう言って手を取り合っている。
意外と、この二人は気が合うのかもしれない。
なんだか痒くなってティアを見ると、彼女は肩をすくめて苦笑している。
そんな感じで、僕たちの旅路は、今までと一転して和気あいあいとしたものとなった。
実年齢は一番年長だが、リリーはミューズやティアに可愛がられているように見える。
もしかすると、ミューズもティアも妹のように思っているのかもしれない。
実際、リリーには、周りの者に守ってあげたくさせるような何かがあった。
そして、リリーの加入には、女性にはそれ以上の恩恵があった。
水の精霊魔法で、いつでも身体を洗うことが出来るようになったのだ。
逆に言えば、今まで、旅路の最中では、満足に身体を洗うことが出来なかった。
若い女性であるミューズやティアには、キツかったことだろう。
今では2人とも、魔獣に襲われたり、野宿する前だったり、事あるごとにリリーを呼び出して水浴びをしているようだ。
かく言う僕も、よく水浴びをさせてもらっている。
だから、リリーが旅に加わることで、ちょっとチームワークが良くなったように見えたし、色々な意味で、リリーの存在は僕たちの中で大きくなっていった。
「着いた。
ここが、エルフの里の入り口」
だから、リリーがそう言って入り口を示した時、僕はなんだか寂しい感じがしたし、リリー自身の声色も寂しさを帯びている感じがした。
「何だか、あっという間だったね。
せっかく仲良くなれたのに、なんだか残念な気がするよ」
ミューズが素直な心情を吐露した。
「本当に。エルフの精霊魔法は、とても便利だから、ずっと一緒にいてほしいくらいだよ」
素直じゃないティアはそんなことを言うが、声は寂しさを帯びており、ティア自身、便利さ以外にも離れがたさのようなものを感じているのは、僕にでも分かった。
恐らく、それはリリーにも伝わっていたのだろう。
「皆、送ってきてくれてありがとう。
今日は、せめてお礼をさせてほしい。
おばあちゃんの淹れるハーブティーと手作りのお菓子は、とても美味しい。
皆にご馳走したい」
エルフが外界の者を家に入れるというのは最大の歓迎の仕方だと後で知ったのだが、そうと知ってもさほど驚かないほどには、僕たちはリリーと馴染んでいた。




