35.「奴隷」
その少女は、長い金色の髪をして、透き通るような白い肌をしていた。
歳は、ミューズやティアと同じくらいだろうか。
震えながら、両肘をつき、黒いものを吐いていた。
両手は木の枷で拘束されており、彼女も商品なのだということが分かった。
「あれ、エルフじゃないかな?」
いつの間にか、少女の方を向いていたミューズが言った。
エルフ?
確かに金色の髪と白い肌かもしれないが、耳はそれほど長くない。
目は、つぶっていて分からない。
僕には確信が得られなかったが、ミューズは見たことがあるのかもしれない。
「ほら、立て!
そんなんじゃ、買い手が付かないじゃないか!」
商人と思わしき男が、そんな怒声と共に、少女の木枷を掴んで強引に立たせようとする。
少女は俯いて、よろよろと立ち上がる。
立ち上がる際に、また黒いものを吐いた。
おいおい。
あれは、やばいんじゃないか?
それは、ミューズも感じていたようだ。
つかつかと商人に近寄り、腰に下げた剣を見せながら、冷たい口調で話しかける。
「商人。
このエルフは、どこで手に入れた?
エルフは、自然を愛する種族だ。
我々、人間のように、金ために身を落とすとは考えにくいのだがな?」
ミューズは、今、騎士剣を帯びている。
この剣は教会から下賜される特別な剣だとのことで、見る人が見れば、その持ち主が聖騎士であることは一目で分かる。
実際、ミューズが剣を見せた時に、商人が少したじろいだのが僕には分かった。
しかし、商人は悪びれもしない。
「こいつは、俺が高い金を出して買ったんだ!
俺の持ち物を俺がどうしようが、お前らには関係ないだろ!」
そう啖呵を切って、少女の元に近寄ろうとする。
刹那、商人の首には短刀が付きつけられていた。
いつの間にか、ティアが商人の背後に回ったのだ。
「良く砥いであるから、動くと首が落ちるよ?
そして、嘘を言うと、間違って手が滑ってしまうかもしれないよ?」
ティアは、いつもの口調で商人の首元に短刀を近づける。
商人は首を逸らせ息を呑むが、精一杯の虚勢を張る。
「お前ら、自分が何をしているか、分かっているんだろうな?
他人の所有物を横取りするのは犯罪だ!
ここの自警団に通報して、一生、牢屋に入ってもらうからな!」
商人の大声に、人が集まってくる。
この状況は不利だ。
僕は、しゃがんで、少女に話しかけた。
「君、僕の言葉が分かる?
ここには、どうやって来たの?」
僕の言葉に、少女は目を開けた。
そこには、潤んだ緑色の瞳がこちらを見ていた。
エルフというのは、間違いないようだ。
少女は、商人を指差す。
「あいつが、わたしをさらって、ここに連れて来たの」
僕は、少女の頭を撫でてやった。
賢い子だと思った。
彼女の言葉に、ティアが商人を蹴飛ばす。
「自警団に捕まって、一生、牢屋で暮らすのは、どっちかな?」
無様に地べたに転がった商人は、見上げると、周りに人だかりが出来ていることに気付いたようだ。
状況が一転したことに気付き、慌ててこの場所から逃げ出した。
ティアもミューズは、商人には構わず、こちらを向き直った。
金髪の少女は、笑い返そうとするが、再び俯き、黒い物を吐き出した。
顔面蒼白で、息も絶え絶えだ。
「とりあえず、落ち着ける場所に運ぼう」
僕の提案にティアもミューズも頷き、僕たちは宿屋に向かうことにした。
宿屋は、ティアがいつも利用しているところがあるとのことで、ティアに案内を任せた。
サイドベルの城壁に近い、少し治安の悪そうな地区にある宿屋だった。
周囲の景観に比べれば、少し小奇麗な気もするその建物には、「山吹亭」という古びた看板がぶら下がっていた。
山吹亭に入ると、すぐにカウンターとなっていたが、そこには誰もいなかった。
やはりというか、普段はあまり客が入っていないに違いない。
大通りからは離れているし、何よりも客がいる気配がない。
ティアはカウンター奥の扉の向こうに声を掛けた。
「おばちゃーん! お客が来たよー!」
ティアの声に反応して、中年というには、やや歳を取っているように見える女性が、のっそりと扉から顔を出した。
「あれ、ティアじゃないか!
久しぶりだね!
ようやく、うちに働きに来る気になったのかい?」
おばちゃんは、いかめしい顔からは想像できないほど明るい声を出して言った。
ティアは、おばちゃんの肩を叩く。
「やだなー、お客だって言ったじゃない。
ちょっと、部屋を貸してほしいんだ」
ティアの言葉に、おばちゃんは、僕の背負う少女の顔に視線を向けた。
急に、真面目な顔になった。
「いつもの部屋が空いてるから、使いな」
「ありがと、おばちゃん!」
ティアは、それを聞くなり、ずんずん建物の奥に入っていく。
僕とミューズは、軽くおばちゃんに会釈をして、後に付いていく。
ティアが向かった先は、こじんまりとした部屋だった。
いわゆるシングルルームで、ただ、ベッドがひとつというだけで、部屋の広さは意外とあった。
僕はベッドにエルフの少女を寝かせると、早速、治療に取りかかろうと思い、向き直った。
が、先にミューズが話し出した。
「このエルフの子は、さっきまで黒胆汁を吐き出してたね?
私も、聖騎士として、多少は病人を診たことがある。
こういう病人には、温かくして、水分を与えればいいんだよね?」
「へえ、あれが黒胆汁か」
ミューズの言に、ティアとおばちゃんは感心している。
黒胆汁という言葉は、意外と認知されているようだ。
「おばちゃん、布団と飲み水を……」
「それは要らない」
ティアの言葉を、僕は遮って言った。
ミューズ、ティア、おばちゃんが、三様に驚いた顔をこちらに向ける。
中でも、一番、驚いた顔をしているのはミューズだった。
「どうしてだ、カナン?
私の見立てが間違っていたのか?
エルフの子が吐いたのが、黒胆汁ではないと?」
僕は頷き、どうやって説明したものかと思案した。




