32.「切り立った崖」
アルデンの町は、切り立った崖に囲まれた町だ。
まるで人目から隠れるように、ひっそりと存在する。
実際、暗殺者たちの町だから、あえて、こういう場所を選んで造ったのかもしれない。
木々や崖の凹凸などで町は外側から見えにくくなっており、唯一、町全体を見渡せるのが、町の南の崖から斜めに生える木の上だというのは、先程リックに聞いて初めて知った。
僕は、その木の上で不貞腐れるように寝転んでいるティアに、崖の上から声を掛けた。
「見晴らしはどうだい?」
ティアは、僕の言葉にハッとして、こちらに身構えた。
どこから出したのか、両手に短剣を握っているのは、さすがというか、職業病なのかもしれない。
救急車やPHSの音を聞くと、ドッと疲労感が増してくるようなものなのだろう。
ティアは僕の顔を見ると、拍子抜けしたような顔をして、その後でちょっと怒って見せた。
「リックだな!
この場所はアルデンの町の最重要機密だから、誰にも教えるなと言っておいたのに!」
たしかに、町が一望できるというのが本当であれば、最重要機密だろう。
本当かどうかはわかりません。
怖くて、あんな頼りない木に乗ることなんて出来ないよ。
ティアは口調こそ怒っているようだったが、実際は、あまり気にしていないようだった。
再び、興味なさそうに木の上に寝転んだ。
僕は、彼女に掛ける言葉を見つけられなかった。
とりあえず、会って話しかけてみれば何か浮かぶかもしれないと思ったが、そう上手くはいかなかった。
しかし、僕が掛ける言葉を探す沈黙の時間が、かえってティアに次の言葉を促したようだった。
「マーテル先生に聞いたんだろ?
あたしは、暗殺者失格だってさ!
当然だよね?
人を殺せない暗殺者なんて、糸の切れたマリオネットみたいなもんだ。
何の役にも立たない」
吐き捨てるように言った。
僕は、なんと反応すればよかったのだろう?
そんなことない、と否定すべきだったのか?
それは、暗殺者であるティアを肯定することにつながる。
じゃあ、別に、暗殺者じゃなくてもいいんじゃないかと言えばよかったのか?
ティアは、自分に暗殺以外の価値がないと考えている。
それは、アイデンティティの否定に繋がるだろう。
「あたしは、人を殺すことしか能がない人間だ。
そのあたしが、人を殺せなくなったら、どうすればいい?
あたしは、きっと馬鹿になっちまったんだ。
人を殺そうとすると、リックの顔が浮かんできてしまうんだ。
そいつにも、そいつのために頑張ってる弟がいるんじゃないかと思ってしまうんだ。
そんなの、あたしには、どうだっていいことなのに。
馬鹿だよ。馬鹿すぎるよ……」
ティアは、そう言って顔を逸らした。
最後の方は、ほとんど聞き取れないほどだった。
こんな時は何も言わず肩に手を置いてやるのが一番なのかもしれないが、木が折れて二人とも落下してしまうのが怖くて近づくことも出来ず、僕は何も言えずに佇んでいた。
それでも、何とか声を掛けてやろうと思い、僕が決死の覚悟で木に降りようとした時だった。
ティアは何を思ったか、急に起き上がり、崖の上、僕の目の前に飛び移った。
木はしなるような動きを見せたが、折れなかった。
意外と頑丈だった。
「カナン。蜂蜜を買いに行こう。
また、ハニーパイを作るんだ」
ティアはそう言うと、僕の手を引っ張った。
相変わらず、突然、行動を始める子だ。
ただ、マーテル先生からハニーパイのいきさつを聞いた僕としては、ティアの気持ちも分かるような気がした。
僕は、手を引かれるままに、アルデンの町の商人、ハマスさんの所へ行った。
しかし、生憎、蜂蜜は品切れ中で、置いていないとのことだった。
前に引き取ってもらったハチノコのリカー漬けならあるよと言われたが、僕は丁重に断った。
壺の中に大量に詰まっているハチノコは、見様によってはグロい絵だった。
ハマスさんの店を出たところで、ミューズに出会った。
「あ。いたいた。
どこへ行ったかと思えば、こんなところに」
ミューズは、ティアを指差しながら言った。
こういうところを見ると、僕はいつもまた喧嘩しださないかとハラハラする。
ティアは、その指をうっとうしそうに手で払うだけで、やりかえしたりはしなかった。
ホッとする。
「聖騎士。これから、蜂蜜を買いに町の外に出るんだが、一緒に来るか?」
ティアは、いきなり衝撃的な話を振った。
いつの間にそういう話になったのだろう?
当然、僕も一緒に行くような話しぶりだ。
「行きたいけど、いいのかい?
私を町の外に連れて行ったりして。
逃げるかもしれないよ?」
当然のミューズの返答に、ティアは肩をすくめる。
「大丈夫。妙な真似をしたら、カナンの寿命が縮まるだけだから。
いくら神聖魔法でも、首を落とせば回復できないだろう?」
ティアは、しれっとそう言い、ミューズは眉をひそめるが、それ以上の問答はなかった。
人を殺せなくなってしまったティアに、僕の首を落とせる訳はないような気がしたが、僕は何も言わなかったし、言うつもりもなかった。
きっと、ミューズも、本気で僕が殺されるとは思っていない。
そして、本気で逃げ出そうとも思っていない。
別れを告げずには逃げられないほどには、僕たちはマーテル孤児院の面々に関わりすぎていた。
特に、リックだ。
ミューズは、彼の病気を治すまでは、町から離れられないと考えているようだった。
僕は、彼に対する治療は限界に達しつつあると感じていたが、僕とミューズやティアたちとの間には、明らかな温度差が存在した。




