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30.「マーテル先生」

 それでも、水分制限と心臓リハビリテーションだけで、リックは、かなり良くなった。

 少なくとも日常生活を送る上では、何の問題もない。

 激しい運動をすれば息切れをするが、激しい運動をするような状況など、普通はあまりない。

 そういう意味では、リックは、もう治癒したと言えるのではないかと僕は考えていた。

 しかし、リックは普通以上を望んでいるようだった。

 最近では、自ら息の切れるような運動をするようになっていた。

 心臓リハビリテーションの考えに基づけば、それは逆効果だ。

 激しい運動は心負荷を増やす。

 慢性心不全の治療薬であるベータブロッカーの真逆をやっているようなものだ。

 僕は、何度も制止したが、リックは聞く耳を持たなかった。

 あまり強く制止してしまうと、リハビリそのものに対するやる気を奪ってしまいかねない。

 難しいところだった。


 リックは、恐らく暗殺者になれなかったことに対する引け目を感じているのだろう。

 そして、未だに暗殺者になろうと考えているようだ。

 しかし、暗殺者という職業の過酷さや末路を考えると、僕は、リックには今のままでいてもらった方が幸せなんじゃないかと思った。

 暗殺者になるということは、自ら死地に赴くようなものだ。

 リックは死に急いでいる。

 そういう風に考えるのは、僕が歳を取ったからだろうか?


「なんでですか!

 あたしは、やれます!

 今までは、ちゃんとやれていました!

 これからだって!」


 ティアのそんな声を聞いたのは、僕がそんな風にリックとの接し方に悩んでいた時だった。

 それは、マーテル先生の私室から聞こえてきた。

 その後で、何かが倒れるような音がして、すぐに扉を開けてティアが出てきたので、僕は危うく彼女とぶつかりそうになった。


 ティアは、泣いていた。

 僕は、ティアにも泣くことがあるのかと少々失礼な感想を持ったが、彼女は僕を一瞥すると、そのまま、どこかへ行ってしまった。

 僕は後を追いかけようと思ったが、続いて出てきたマーテル先生に制止された。


「カナンさん。放っておいてやって下さい。

 それより、お話をしたいことがあります。

 部屋に、お入り頂けないでしょうか?」


 マーテル先生は、そう言ってドアの向こうを示す。

 ティアのことは気になったが、彼女のことも一緒に聞けるだろうと思い、僕は申し出に従った。


 マーテル先生の部屋は、とても殺風景な部屋だった。

 リックの部屋と比べても、あまりにも物がなく、生活感というものが全く感じられなかった。

 きっと、こまめに掃除しているのだろうが、とても僕と同じくらいの世代の女性の部屋とは思えなかった。

 その中で、唯一、倒れたテーブルと椅子だけが、場違いなように倒れていた。

 先程、ティアが倒したのだろう。

 マーテル先生は、そのテーブルと椅子を起こし、僕に勧めてきた。

 僕は、促されるままに椅子に腰かけた。


 マーテル先生はドアを閉めた後、椅子に腰かけた。

 僕たちは対面する格好になった。

 座るなり、彼女はボソリと何かを呟いた。

 かと思うと、彼女の目の前には白い文様のようなものが現れた。

 何だと思う間もなく、そこを中心に一陣の風が吹く。

 風はマーテル先生の長い髪と僕の前髪を揺らし、部屋全体に広がったようだった。


「風の精霊魔法を使いました。

 この部屋の音は、周囲には漏れません。

 これから話すことは、他言無用にお願いします」


 マーテル先生は、そう言って話を続けようとするが、僕は当然、遮った。


「風の精霊魔法!?

 使えるんですか!?」


 確か、リックも見たことがないと言っていた。

 それが、こんなに身近に使い手がいるとは。


「はい。私は風の精霊の加護を受けています。

 これも他言無用に願います。

 ティアもリックも知らないことですので」


 つまり、ティアやリックが知れば、身の安全は保障しないとでも言いたげだ。

 僕は威押されるように頷いた。


「話というのは、ティアのことです。

 私は、長い年月をかけて、ティアを育ててきました。

 ところが、最近、立て続けに暗殺に失敗するようになってしまったのです。

 エーネルスホルン辺境伯の暗殺に失敗してから、失敗続きなのです」


 マーテル先生は、静かに語り出した。

 エーネルスホルン辺境伯というのは、グレッグのことだ。

 暗に、ティアが暗殺に失敗するのは、僕のせいだと言われているような気がした。


「リックを見捨てずに孤児院に置いているのも、本人は覚えていないでしょうが、ティアが希望したからです。

 孤児院も決して楽な経営をしているわけではありませんが、リックを置いておくのに困らないほどの収益を、ティアは出していたのです」


「ティアが暗殺を出来ないと、ティアもリックも置いておけないということですか?」


 僕も、お金がそんなに大事か、などと、青いことを言うつもりはない。

 収入がなければ、日々の食事すらままならない。

 死活問題だと言われれば、納得するだろう。


「いえ、孤児院には、他にも優秀な暗殺者がいますし、教会信者の寄付もあります。

 ティアがしばらく休養を取ったところで、大して困るわけでもありません。

 問題は、ティア自身に関することです。

 先程、私は、ティアにしばらく暗殺の仕事を休むように通告しました。

 案の定、反発しましたが、それ以上は何も言ってきませんでした。

 恐らく、ティアにも分かっているのでしょう。

 今の自分が、暗殺者としては不適格だということに」


 マーテル先生はそう言うと、窓の外を見た。

 僕もそちらを見やると、そこではリックが子供たちと遊んでいる。

 いつもハラハラしながら見ていたが、今では安心して見ていられる。


「暗殺者としては絶望的なリックを、孤児院に置くことを許可したのは、ティアのためです。

 私は、ティアを孤児院の最高傑作にして最低の失敗作だと考えています。

 ティアは、暗殺者としては優しすぎました。

 非情に、なりきれないところがあるのです。

 初め私たちは、暗殺者として独り立ちしたティアに、選んだ仕事を斡旋していました。

 彼女が丁度、失敗するくらいの内容を選ぶようにしていたのです。

 私としては、早い段階で仕事を失敗してほしいと考えていました。

 それなのに、いつも彼女は仕事を成功して帰ってきてしまうのです。

 私にとって、それは誤算の連続でした。

 彼女が仕事に失敗した上で、彼女が可愛がっているリックを、彼女自身の手で殺させる。

 これが達成されることで、私の指導は完了し、暗殺者としてのティアは完成されると思っていました。

 今でもそう思っています。

 しかし、ティアは常に、私たちの予想の上を行っていました。

 ティアは常に成功を収め、いつしか、どんな仕事を斡旋しても成功して帰ってくるようになりました」


 マーテル先生はこちらに向き直ると、それが悲しいことだとでも言うように目を伏せた。

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