02.「破傷風」
「それにしても、拾われたのが暗黒教団でなくて良かったね。
私たち教会は、異世界人に対し寛容だよ?
博愛が大切なことだと考えているんだ。
だけど、暗黒教団は違う。
やつらは変化を嫌うのさ。
混乱をもたらしうる異世界人は、邪魔者以外の何者でもない。
多数の幸福のためには、少数がどうなってもいいと言うような奴らなんだ」
銀色の少女は、そう言って笑った。
初めは仏頂面だと思っていたが、意外と表情の豊かな子だと思った。
「それにしては、初め、僕を殺そうとしていたみたいだけど……」
僕は冗談のつもりで言ったのだが、彼女はそう取らなかったようだ。
「うん。だって、初め私は、君のことを暗黒教団の関係者だと思っていたんだから。
魔獣と暗黒教団、そして、魔王に関しては、博愛の原則は適応されない。
というより、問答無用で襲いかかってくる奴らに、博愛精神など無意味だからね」
おっかない世界だな。
ともかく、教会と暗黒教団は、とても仲が悪い。
覚えておいた方が良さそうな知識だった。
そんな話をしていると、巨大な男が銀色の少女の後ろに現れた。
一応、自分も身長は日本人の平均よりあるはずなのだが、そんな僕でも見上げるような高身長の男だった。
体格もがっしりしている。
「聖騎士殿、尋問の結果はどうだったかな?」
男がそう言うと、少女は恭しく礼をした。
「リッターベイン卿。
どうやら、かの者は異世界人のようです。
アーティファクトと考えられる物を持っていました」
彼女はそう言って、ストラップ付きのPHSを男に手渡す。
僕は驚いて自分の胸に手をやる。
ない。
いつの間にか、僕のPHSが取られていたのだった。
僕が異世界人だということをあっさり信用し過ぎると思っていたが、PHSを見られていたのだとしたら納得がいく。
この世界ではオーバーテクノロジーの産物であろう。
「異界の人よ。俺は、グレッグ・リッターベイン。
ここら辺の領主をやっている。
俺に、このアーティファクトの使い方を教えてくれないか?
悪いようにはしない」
「それは、同じ物が、もう1台ないと使えない」
僕は、とっさにそう言った。
まあ、嘘は言っていないよね?
「だったら、これを俺が頂いてもいいか?
俺は、アーティファクトを集めるのが趣味でね。
あと、使用方法の分からないアーティファクトを、君の元に置いておくのは少々危険な気がするんだよ。
もし頂けるのであれば、対価として、当座の保護をお約束しよう」
僕は、少し悩んだ末に頷いた。
PHSなど、この世界にあっても意味がないと思ったからだ。
そして、得体のしれない機械をグレッグが警戒するという気持ちも分かる。
病院内でPHSが鳴るときは、大体、残念なお知らせなので、僕の中で無意識の拒否があったのかもしれない。
グレッグは、僕の首肯に気を良くしたらしく、「あっはっは、ありがとよ」と言って肩をポンポン叩いてきた。
加減を知らないのか、加減してこれなのかは判断がつかなかったが、僕はガクガク揺さぶられた。
「じゃあ、聖騎士殿。
とりあえず、案内は貴女にお任せしよう。
俺の大切な客人を宜しく頼む」
「かしこまりました」
銀色の少女が再び礼をする。
グレッグは手だけを振って去って行った。
銀色の少女は、見送ってから僕の方に向き直った。
「自己紹介が遅れた。
私は、ミューズ・ロドウェル。
教会に所属する聖騎士で、リッターベイン卿の護衛のために派遣された。
というのも、最近、不穏な噂が流れていてね。
暗黒教団の奴らが、リッターベイン卿を襲うというんだ」
「あまり狙われるような人に見えないけど?」
「暗黒教団のやることなんて、私たちには分からないさ。
ただ、リッターベイン卿は、最近、魔王討伐のために軍を編成している。
暗黒教団は、魔王とは共存の立場を取る者たちだ。
リッターベイン卿が邪魔なのかもしれない」
なるほど。
ていうか、魔王なんているんだね。
「魔王は諸悪の根源だ。
息をするように魔獣を生み出し、人々に災厄をもたらす。
私たち教会の大切な仕事の一つに、魔王討伐がある。
魔王を討伐して、世界に平和をもたらすんだ。
私も、それに協力するためにリッターベイン卿の元に遣わされたんだ。
リッターベイン卿も、ああ言って下さっているし、しばらくは、カナンの案内を私が務めさせてもらうよ」
ミューズは、そう言って、握手を求めてきた。
僕は、白衣で手を拭った後、それに応じた。
それから僕は、彼らとしばらく行動を共にした。
グレッグは、グレッグ・リッターベイン・フォン・エーネルスホルンというのが本名で、ここら辺一帯の領主、正式には辺境伯という身分の貴族様だということを後で知った。
貴族としては破格の人物で、私たちのような者にも気さくに接して下さると、ミューズはベタ褒めだった。
只者ではないとは思っていたけど貴族様だったとは。
今回は、グレッグの発案で領内にいる魔獣の討伐に出てきているとのことだった。
僕は、必死についていった。
魔獣と呼ばれる見たこともない狂暴な獣に襲われたり、武装したグレッグの部下たちに守ってもらったり、戦闘で負傷した彼らにミューズが傷を治す魔法を掛けるのを目の当たりにした。
ミューズを観察していると、《ヒール》が傷の治りを早める魔法であるということが分かった。
切り傷のようにスパッと切れたような傷は痕が残りにくいが、裂けたような傷は痕が残りやすい。
打撲痕などでは、断裂した繊維は修復されるが、できた血腫はそのままとなってしまうようだ。
《ヒール》を掛けると、その傷は10日後の状態になると考えれば、イメージしやすいのではないだろうか。
観察対象、つまり怪我人が大勢いて危なそうに見えるが、基本的に僕はミューズに守られていたので、安全に過ごすことが出来た。
ていうか、ミューズがいなければ10回は死んでいたのではないだろうか。
僕は、ミューズと色々な話をした。
とりわけ、僕は魔法のことに興味津々だった。
ただ、話を聞く内に、魔法も万能ではないことを知った。
まず、誰でも使えて何でもできるという訳ではないようだ。
食事を作る際に皆で焚き火を用意したのだが、その時は普通に火打石を使っていた。
火炎魔法とかで点火すると思ったのに。
というか、グレッグの部下は20人近くいたが、ミューズ以外に魔法を使える人間はいないようだった。
魔法を使えるのは、限られた人たちだけらしい。
僕は、焚き火で煮込んだ干し肉と芋の煮物を頂きながら、隣で同じように食事を摂っているミューズを見やった。
ミューズは、教会という組織から、グレッグの護衛と監視のために派遣されたらしい。
教会というのは、よく分からないが、話を聞く限りではキリスト教のような組織に感じられた。
しかし、一番それと違うのは、やはり、信者が実際に魔法を使って見せることだろう。
ミューズが言うには、ミューズ程度の魔法の使い手なら、教会にはごまんといるとのことだった。
逆に言うと、神聖魔法を使えることが、教会で要職に就くための必要条件だったりするらしい。
だから、この世界に医師はいない。
怪我をしたり病気をしたりしたら、教会に行けばいいのだ。
それはすごいことだ。
魔法があれば、誰も病気や怪我で苦しむことがない。
それは、理想郷のように思えた。
救急車の渋滞に悩まされることや、不治の病と宣告されて絶望することもないのだ。
「病気を治す魔法はないよ。
それに怪我だって、呪いを受けてしまえば、見た目は綺麗になっても、結局はそのせいで命を落とすことになるんだ」
ミューズは悲しそうに首を振った。
病気を治す魔法はない!?
この事実は、僕を戦慄させた。
周りを見る限り、文明レベルは中世ヨーロッパのようである。
そんな医薬品も満足にない所で、僕は生活していけるのだろうか?
呪いとか、不穏な単語も出てきているし。
「呪いって?」
「よく分からないんだけど、傷を神聖魔法で治した後に、傷そのものは綺麗になっているのに、その後、具合が悪くなってしまう人たちがいるんだ。
私たちは、それを呪いって言って恐れている」
ミューズはそう言って、体験談を話してくれた。
グレッグの元に来る前に、僧兵たちと魔物の討伐に行ったことがあるらしい。
その時、トレントと呼ばれる木の魔獣に襲われた。
木なのに魔獣と言うところには、ツッコんではいけない。
ともかく、そのトレントは何十匹もの大群で、ミューズたちも10人ぐらいで討伐に行った。
討伐自体は特に何事もなく終わった。
ただ、マルクという若い僧兵が、右の大腿を枝で刺された。
特に出血も少なく、ミューズは《ヒール》で傷を跡形もなく治してあげた。
「でも、どうやら、そのトレントは呪い付きだったようなんだ。
数日後、マルクは全身がガチガチに固まって、その後、弓反りのような姿勢で固まり、教会の司祭たちが色々な神聖魔法や瀉血とかの治療法を試したけど、結局、そのまま死んでしまったんだ。
マルクの弓反りの体勢は教会内で物議を醸しだし、僧兵たちがトレントを弓で射すぎたせいなんじゃないかってことで、それから、トレントを弓で射るのは禁止になったんだ。
トレントには火矢が有効だったから、これはとても痛い決断だった」
普通だったら、トレントの呪いと思う場面なのかもしれない。
ただ、僕は、その弓反りの姿勢という話を聞いて、反弓緊張を思い出した。
牙関緊急という言葉の方が有名か?
破傷風に罹った際に起こる、有名な症状である。
トレントの枝に破傷風菌が付いていたせいで、体内に菌が入り込み、傷は魔法で治癒したものの、体内の菌が毒素を産生し、破傷風になってしまったんじゃないかと僕は考えた。
破傷風になってしまった場合、筋肉が過剰に収縮するので、弓反りに緊張してしまう。
これを反弓緊張という。
その他、全身のいたる所の筋肉が過剰に収縮し、人によっては骨折を起こしたりする。
死亡の原因は、おそらく、開口障害や呼吸筋の過剰収縮などによる呼吸障害だろう。
現代では、気管挿管など、気道確保が行えれば死に至ることは珍しいだろうが、そういう道具や技術のないこの世界では、救命するのは難しいかもしれない。
僕は、ミューズの話に身震いをしたが、恐らく、ミューズの意図したものとは違うだろうと思った。