22.「黒い三日月の刻印」
どれくらい経ったろうか?
リックは、一人で町中を散歩できる程に改善していた。
その日、僕たちはマーテル孤児院で子供たちと遊んでいた。
遊ばれていたという表現の方が適切かもしれない。
リヒャルトという、小学生低学年くらいの子を例に取ろう。
まず、手を差し出される。
握手する。
そのまま、僕の手は下に引っ張られたかと思うと、彼は僕の股をくぐり抜けて、後ろに飛ぶ。
それで終わりじゃない。
ズシン、と体重が増え、視界が何かで覆われる。
リヒャルトは、先ほどの反動を利用して、僕に前後逆の肩車をしてきたのだ。
視界を覆ったのは、リヒャルトの腹部だったという訳だ。
正直、若くないので、僕は腰が心配だった。
こんなことをリックにされたらたまらないと思っていたが、子供たちも人は選んでいるようで、リックには多少おとなしめな遊びをしていた。
僕は、チェンという10歳くらいの子に、肩の上でブレイクダンスをされながら、ハラハラが止まらなかった。
けど、子供たちもリックも、一緒になってケラケラ笑っていたので、気にし過ぎなのかもしれないと思った瞬間に、リックとリヒャルトが一緒にバタンと倒れた。
心臓が止まるかと思った。
まあ、二人とも、すぐ起き上がって、またケラケラ笑っていたのだが。
僕の目の前では、あまり過激なことはしないでほしい。
いや、目の前じゃないところでされた方が困るか……。
そんな感じで、孤児院でハラハラドキドキ過ごしていると、久しぶりな声が辺りに響いた。
「たっだいまー!」
声の主は、ティアだった。
しばらくぶりだった。
ティアは相変わらずのようだったが、肩にうごめく巨大な芋虫のような物体を担いでいた。
僕たちで遊んでいた子供たちは、ワイワイ言いながら、すぐさまティアの方に殺到する。
現金なものだ。
「皆、いい子にしてたかな?
お土産を持ってきたよ!」
ティアは、その芋虫を放り投げる。
着地に轟音が響くかと思ったが、意外にも芋虫は華麗に受け身を取り、ほとんど着地音はしなかった。
その芋虫は、銀色の長い髪をしており、猿轡を噛まされ、全身をロープでぐるぐる巻きにされていた。
そう。その芋虫は、拘束されたミューズだった。
「むー! むー!」
ティアに訴えたいことがいっぱいありそうだったが、猿轡のせいで何を言いたいのか全然わからない。
「んー? 何かなー? わかんなーい」
ティアが、わざとらしくミューズに耳を澄ますようなジェスチャーをし、挑発する。
子供たちも真似をする。
ミューズのむーむーが強くなる。
僕は、猿轡を外してやった。
「こ、この暗殺者め!
私をどうするつもりだ!
こんなことで、膝を屈する私ではない!
殺せ!」
ミューズは興奮してまくし立てる。
その言葉に、表情を失くしたティアは、どこからともなくナイフを取り出した。
「じゃあ、お望み通りに、そうしてあげようかな?
このナイフには、この前、あんたに食らわせてあげた毒がたっぷり塗ってある。
その綺麗な顔に赤い線を引けば、また天国へ一歩近づけるよ?
でも今度は、あんたを助けてくれたナイトはいない。
その男の額を見てみな?」
ミューズは僕の方を見て、一瞬、安堵のような表情をした後、すぐにそれを絶望に変えた。
「カナン! その額は!!」
僕の額には、黒い三日月のような刻印が刻まれている。
ティアが、それを見て高笑いする。
「あっはっはっはー!
そいつは、カナンではない!
デビル・カナンだ!
あたしが直々に暗黒魔法を使ってやったのだぁ!」
……。
なんだ、それ。
「なんだって!
くッ! カナン、せっかく会えたのに!」
あれ?
ミューズは、歯ぎしりをしてティアを睨みつけている。
物凄い形相だ。
あれれ?
「聖騎士!
あんたにも、あたしが直々に悪魔の烙印を押してやる!
『父と子と聖霊の御名において……」
「姉さん!」
ティアが祈祷の言葉と共に手を黒く光らせた時、リックが僕たちの間に割って入った。
「聖騎士に《サイン》はダメだよ!
使った途端に死ぬことになってしまう!」
「ん? ……あ、そうか」
ティアは少し考えてから、僕の顔を見て納得がいったように、手を下した。
黒い光も消え失せた。
裏切り者に死を与える魔法、《サイン》。
光の教会の信者であるミューズは、既に暗黒教団を裏切っているということか?
「めんどくさいから、そいつらの対応はリックに任せた!
頑張れ、リック! あとはよろしく!」
ティアは、そう言うと表情を一変させ、温和な表情になると、近くにいた子供たちの2人を肩車し、孤児院を出て行った。
子供たちも皆ティアについていく。
後には、きょとんとした僕、リック、ミューズが残された。
「もう。姉さんは相変わらずなんだから」
リックは溜息をつきながら苦笑する。
ミューズは、目に涙をいっぱいにして、僕を見つめてきた。
「ああ、カナン。
変わり果てた姿に……」
僕と言うか、僕の額を見つめている。
どうやら、あの暗黒魔法のことを知っているらしい。
ていうか、僕は額に黒い三日月の刻印がされている以外、ミューズといた時とあまり変わっていないはずだ。
大袈裟だなあ、と思いながら、ミューズの拘束を外そうとする。
「カナンさん、不用意なことはしないでくださいね?
あなたには感謝しています。
恩人の死ぬ姿を見たくありません」
僕は、僕の額を見るリックの、その冷たい口調に衝撃を覚え、手が完全に止まってしまった。
リックは、《サイン》のことを知っていたのだ。
確かに、あの博識さから考えれば当然だ。
僕が勝手に、知らないのではないかと誤解していただけだ。
リックが話題に出さず、僕の額を見ようとしなかったから。
僕が呆然とリックを見ると、彼は同じく呆然とするミューズに、恭しく礼をする。
「聖騎士さん。
アルデンの町にようこそ。
ぼくは、リック・ディーン。
あなたと、カナンさんの監視者です」




