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21.「リハビリテーション」

 それから、リックと他愛のない話をする日々が続いた。

 平和な日々だった。

 時間が、ゆっくりと過ぎていく。

 リックと接する際に焦るのは禁物で、僕は、ウザがられるのではないかと思うほど、慎重に運動量を上げるように誘導した。

 研修医時代にローテーションした、リハビリテーション科や精神科での研修を思い出した。

 本当に回復しているのか分からないほど、リックの回復は緩やかだった。

 それが、一度の転倒で台無しになってしまうかもしれない。

 ミューズがいないので回復魔法も使えない。

 骨折などをしたら、リハビリテーションは、かなり後退する。

 頭部打撲で頭蓋内血腫などを起こしてしまうかもしれない。

 抗生物質のないこの世界で、血腫除去などは殺人行為に等しい。

 転倒させないのが最も大切なことだ。

 だから、リックには、過度の負荷はかけない。

 それは、有酸素運動を行うという意味でも大切だった。

 リックの運動の負荷の具合は、彼の呼吸数で判断した。

 脈拍数を測るためには、実際に触れる必要がある。

 僕は、未だに自分が医者であるということを話していなかった。

 何をしているのかと言われ、答えに窮すのは目に見えている。

 息が切れない程度に、適度にリックを休ませた。


 そのうち、ティアは仕事ができたと言って、どこかへ行ってしまった。

 また、誰かを殺しに行くのだろうか?

 人が生きていくのは大変だ。

 リックを良くするのに、どれぐらいの月日が必要だろう?

 良くならないかもしれない。

 けど、人を殺すのは、一瞬だ。

 なんだか、やるせなくなってしまう。


 マーテル孤児院の子供たちが「ティアがいない」と騒ぎ出した。

 遊び相手がいなくて寂しいのだろう。

 リックも「姉さんは、いつも、いつの間にか、いなくなってしまうんです」と寂しそうに言った。

 今回、いなくなることを断ったのは僕にだけのようだった。

 助かった。

 前振りなく、見知らぬ土地に放置されるのでは、僕は取り乱してしまったに違いない。


 その頃には、リックはアルデンの町の中央広場までくらいなら、自力で歩いて来れるようにはなっていた。

 あまり距離を歩いたり、早く歩いたりすると息切れを起こすため、僕はリックのペースに合わせて、休憩を挟みつつ、ゆっくりと歩いた。

 慢性心不全の患者さんに運動をさせると、骨格筋が鍛えられて静脈の還流圧が上がるので心不全が改善すると、循環器内科の先生が言っていたことを思い出す。

 僕は眉唾だと思っていた。

 しかし、ゆっくりだが、確実に、リックは良くなっていた。

 運動することで不感蒸泄量が上がり、循環血漿量が減っただけなのかもしれない。

 僕としては、リックにこの世界の話を聞かせてもらえるのは貴重で、リックの心不全の治療はおまけみたいに考えていたところもあった。

 そんな距離感が、かえってプラスに働いたのかもしれない。

 何が何でも治さなければという追い詰められた状況では、リハビリテーションのような治療はうまくいかないことが多いことを、僕は経験から知っていた。


「カナンさんは、元の世界では何をしていたんです?」


 ある日、リックはそんなことを聞いてきた。

 僕は言葉に詰まり、咄嗟に言葉が出てこなかった。

 その様子に、リックはクスクスと笑った。


「カナンさんは、人の病気を治す職業の方、なんですよね?

 ティア姉さんが教えてくれました」


 なんだ、知っていたのか。

 僕は、拍子抜けしてしまった。


「医者、と言うんだ。

 けど、リックを見ていて痛感したよ。

 医者は病気を治す職業じゃない。

 病気を治す手助けをするだけの職業なんだ」


「同じように聞こえますけど?」


 リックが笑いながら言う。

 僕は、肩をすくめて見せる。


「大違いさ。

 医者自身は、病気を治すことはできない。

 リックは随分よくなった。

 けど、それはリックが頑張ったからだ。

 僕は、独りで寂しい異世界で、話し相手ができて喜んでいただけだ」


「ぼくも、嬉しかったです。

 カナンさんが来るまで、ぼくは、あの部屋でずっと一人きりでした。

 外に出て行きたくても出て行けないし、出て行くのにも誰かの助けが必要だし。

 たまに、急に息が苦しくなることがあるんです。

 そういう時は決まって、明け方とか、周りに誰もいない時なんですよね。

 苦しくて苦しくてたまらなくて、助けを呼んでも誰も来てくれなくて、不安で不安でたまらなくて。

 もう死ぬかも、それも仕方がないかなって、何度も思いました。

 それでも、人ってなかなか死なないんですね。

 いつの間にか、息が苦しいのが落ち着いてきてしまうんです。

 そして、そんな時に限って、他の子や、姉さんたちが部屋にやってくるんです。

 何で生きているの? って、言われている気がしていました。

 今もそうです」


 リックは力なく笑う。


「ぼくの世界は、あの部屋が全てでした。

 あの部屋で、姉さんたちが持ってきてくれる本を読んで、見たこともないことを、さも知っていることのように話すことが、ぼくの全てだったんです。

 でも、カナンさんのおかげで、ぼくの世界は広がりました。

 これからも、広がっていくと思います。

 世界が広がるのって、こんなに気持ちのいいことだったんですね。

 だから、教えて下さい。

 カナンさんの世界のこと。

 そして、カナンさんの目から見た、僕の病気のこと。

 治らなくたっていいんです」


 僕は、驚いてリックを見た。

 リックは、これから僕の口から語られることを、楽しみで仕方がないといった表情で僕を見ている。

 僕は、不治の病に罹っている人間が、こんな表情をするのを初めて見た。

 僕は正直戸惑いつつも、ゆっくりと話していった。


 リハビリテーションと同じだ。

 いきなり全てを話す必要はない。

 リックは、すぐに色々なことを知りたがった。

 時間はいくらでもある。

 僕たちは、毎日、少しずつ情報を交換した。

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