15.「マーテル孤児院」
「そちらの方は、初めましてですよね?
リック・ディーンです。
よろしくお願いします」
リックは、そう言ってペコリとお辞儀をする。
僕もつられてお辞儀をし、自己紹介をした。
「滝沢科納です」
「変わったお名前ですけど、いい響きですね。
こんな所まで来て頂いて、ありがとうございます。
ティア姉さんも、ありがとう」
そう言ったところで、リックはゴホゴホと咳込んだ。
なかなか止むことのない、湿った感じのする咳だった。
ティアはすぐに駆け寄り、タオルを手渡し、背中を撫でてやった。
タオルには、ピンク色の痰が付着していた。
しばらく咳込んでいたが、ようやく落ち着くと、リックはまた、透き通った笑みに戻った。
「もう大丈夫だよ、姉さん。
そして、カナンさん、お話の最中にごめんなさい。
ぼくは、よく息が苦しくなって、こんな風に咳が出ちゃうんです」
そう言うと、リックは申し訳なさそうに目を伏せた。
ティアが、頭を撫でてやる。
「いい。いいんだ、リック。
カナンはね、リックみたいな友達がいたんだそうだ。
リックの話をしたら、リックのことを詳しく知りたいって言われてね。
リックの話を、聞かせてあげてくれないか?」
リックの頭を撫で続けるティアも、目を伏せた。
リックのほうを、見ないようにしているようだった。
僕にリックのような友達がいるなど、もちろん嘘っぱちだった。
けど、ティアの目を見たら、僕は何も言えなくなった。
彼女は、自分の目に何も映らないようにしていた。
そういう、奥に何も見通せない目をしていた。
ティアは嘘を吐くのが得意ではないのかもしれない。
だから、嘘を吐くときは感情を消し、目を逸らす。
僕も、末期の患者さんたちの病床で、よく見た光景だった。
僕自身も、担当患者さんたちに何度かしたことのある行為だった。
恐らく、ティアはリックのことを不治の病だと考えている。
だから、僕を医者だとは言わない。
僕の診察が期待外れに終わった時、また、彼を苦しませることになるから。
今まで何度もしてきたように、また、リックが不治の病である事実に、直面させなければならなくなるから。
だけど、リックは、多分、そのことに気付いている。
ティアも、気付いていることを分かってやっていることなのかもしれない。
あまり深く考えすぎない方がいい。
僕も、少し視線を逸らすことにし、リックに話しかけた。
「リック。
ちょっと横になれるかい?」
「え?
あ、はい。いいですよ?」
リックは、ゆっくりと横になった。
僕はその間に、少し彼に近づいて、胸の音に耳を澄ました。
細い所を空気が通っていくような音が聞こえる。
喘鳴だ。
だが、強くない。
僕は、リックの首を見た。
頸静脈が拡張し、拍動している。
足を見ると、少し浮腫んでいる。
「リックは、起きているのと寝ているのでは、どっちが苦しい?」
「え?
そうですね……寝ている方ですかね?
だから、起きていてもいいですか?」
一旦、横になったリックが、再び起き上がる。
慌ててティアが駆け寄る。
「お、おい、リック。
無理するな?」
「大丈夫だよ、姉さん。
今日は調子がいいんだ。
食卓までだって、歩いていけそうだよ」
「そうかい?
今日は、一緒に御飯を食べような?
マーテル先生のハニーパイは絶品だからな。
カナンも食って行くだろ?」
ティアは突然、僕に話を振った。
僕は頷くしかなかった。
「カナン。他にリックに聞きたいことはあるかい?」
「いや。その食事の時に、また、お話しさせてもらえればいいよ」
僕は、リックに、にっこりと微笑んだ。
リックも、にっこりと微笑み返してくれる。
「じゃあ、あたしたちはマーテル先生の手伝いをしなきゃだから、また、食事の時にね。
リック。食卓まで歩いて来れるように、それまでは、ゆっくりと身体を休めるんだ」
「うん」
ティアは、またリックの頭を撫でると、僕を連れて部屋の外へ出た。
リックは名残惜しそうに、ずっと、ドアが閉まった後も、こちらに手を振っていた。
僕たちは、そのまま、アルデンの町の中央広場にやってきた。
町民の憩いの場として、共用スペースになっているとのことだった。
噴水があり、街路樹があり、町民が何人か談笑していた。
いくつかベンチもあり、そのうちのひとつに僕たちは腰を掛けた。
「あれが、あたしの弟のリックだ。
血の繋がりはない。
あそこにいる子供たちは、みんなそうだ。
あたしも、あそこ、マーテル孤児院の出身だ」
ティアは、ポツリポツリと語り出した。
「孤児院と言っても、皆が孤児という訳じゃない。
マーテル先生は、その昔、名の知れた暗殺者だった。
だけど、ある仕事の際に、これ以上、暗殺の仕事ができないような深手を負った。
それから、あの孤児院を開いて、後進を育てるようになった。
マーテル先生は教育者としても非常に優秀だった。
その評判を聞きつけた教会の信者の中には、自分の子供を孤児院に託し、教義のために使ってくれという親もいた。
もちろん、それは建前かもしれない。
光の教会と違って、あたしたちの教会の支持母体は、社会の中ではマイノリティに属する人たちだ。
口減らしの口実にしている親もあるだろう」
僕は、静かに耳を傾けていた。
ティアの目は、再び何も映さなくなった。
「孤児院は、目的があって作られた。
優秀な暗殺者を育てるという目的だ。
そうでなければ、孤児院には収入が無くなってしまう。
本当は、リックみたいな子がいてはいけない場所なんだ。
リックは、昔から身体が弱かった。
昔から、自分のことを要らない子だと言っていた。
教会の教義に当てはめれば、それは正しい。
神は、すべてを愛す。
分け隔てなく。
身体が弱いからと言って、余分な愛を受けられるわけじゃない。
愛は有限だから、分け合わなければならない。
より多数の幸せのために、愛を無駄遣いしてはいけない。
だから、あたしは何度もリックを殺そうと考えた」
ティアの瞳は、相変わらず何も映さない。
でも、僕には、彼女が泣いているように見えた。
「でも、何でだろうな?
光の教会の奴らは簡単に殺せるのに、リックは殺せないんだ。
あんなに簡単に殺せそうなのに、おかしいよな?」




