表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕に回復魔法をください。  作者: シロツメヒトリ
エーネルスホルンの章
11/71

10.「必殺の一撃」

 グレッグの胸に繋がったボールペンの外筒とブランデー入りのカップが傾かないように、交代しながら、そろそろとグレッグ邸まで帰ってきた。

 帰ってきてからは、グレッグ邸のメイドさんたちに、代わる代わるカップ持ち当番をお願いした。

 グレッグが元々、健康であったことが幸いしてか、すぐに呼吸状態は良くなった。

 しかし、レントゲン検査もできない状況では、肺が広がったかを確認する手段が本人の呼吸状態ぐらいしかなく、大事を取って2日、外筒を繋げていた。

 聴診器があれば、ある程度は呼吸音の範囲で気胸の治り具合が判断できるかもしれないが、そんなものすら、この世界にはない。

 僕たちの世界であっても聴診器の発明は意外と新しく、19世紀に入ってからだから、それも仕方のないことかもしれない。

 原始的な聴診器であれば、この世界の職人にお願いしても作ってくれるかもしれないが、それまで外筒をつなぎっぱなしにする訳にもいかない。

 胸腔と外界を繋げたままにしておくということは、感染のリスクが高い状態が続くということだ。

 感染に対する有効な手段がない以上、2日というのが僕なりの最大の譲歩だった。


「たまには人に物を食べさせてもらうのもいいな。

 この歳になって、アーン、とか、やることになるとは思わなかったぞ」


 僕の苦悩を知ってか知らずか、僕が見舞いに行くとグレッグはいつも上機嫌だった。

 多分、ボールペンの外筒を通じて、ブランデーが胸腔内に流れ込み、酩酊状態が続いていたんだと思う。

 行く度にブランデーの量が減ってたしね。

 ただ、感染防御という点から言えば、ブランデーが多少、胸腔内に入ってもらった方が都合がいいと考えてもいた。

 不潔なミセリコルデが一度、突き刺さっているわけだし、そもそも外筒を通す穴を開けたときに胸壁の消毒をしなかった。

 グレッグ邸に帰ってから、その刺入部の消毒をブランデーで何度かやったために、創部からアルコールが吸収された分も、あるかもしれない。


 ともかく、2日目の朝に、僕はボールペンの外筒を抜去し、ミューズに胸壁の穴を《ヒール》で塞いでもらった。

 これにより、少なくとも外見上は、グレッグは元通りになった。

 気胸は、恐らく多少は残存しているのだと思う。

 ただ本人は、もうすっかり良くなった気分でいるし、残存した気胸も少しずつは吸収されていくだろう。

 確認する方法がないのと、これ以上の処置ができないという意味で、僕はグレッグが治癒したと判断した。


 グレッグを襲った暗殺者がまた襲ってくるのではないかということで、グレッグ邸ではそれなりの警戒態勢を敷いていたが、結局は襲ってこなかった。

 今襲えば、かなり有効だと思うが、不思議だった。

 もしかしたら、暗殺者は既にグレッグを暗殺した気でいるのかもしれない。

 確かに、あの気胸は単純に回復魔法を掛けただけでは回復できない。

 というより、回復魔法のあるこの世界では、心臓を一突きにされるより、肺を一突きにされた方が、生存率が下がるという状況があるのかもしれない。

 もちろん、現代世界で心臓を一突きにされた場合、救命は絶望的だ。

 心臓を縫縮できる施設に運び、緊急開胸を行い、などの時間がかかる処置をする間に、血圧を維持する必要がある。

 それは、ほぼ不可能だ。

 刺されたその場に、たまたま緊急開胸ができる医師が居合わせて、創部を直接に圧迫止血したまま病院へ運べば、もしかしたら助かるかもしれない。

 現代において、救命率は、それほどの低確率だ。


 しかし、試していないので分からないが、この世界では、恐らく心臓を刺されても《ヒール》で治ってしまうのではないかと思われる。

 骨格筋が回復する状況で、心筋のみが回復しないことはないだろう。

 つまり、《ヒール》の存在する世界では、心臓の穴を塞ぐのは、それほど難しいことではない。

 傷口を治すように《ヒール》を掛ければよいので。

 対して肺は、刺されると気胸を起こすため、単純に《ヒール》を行うだけでは治癒できない。

 そう考えてみて、もしかしたら『急所』に対する考え方も、こちらの世界では違うのかもしれないと思った。

 ミューズの言っていた「負傷即回復」の原則に基づけば、心臓を突かれても頸動脈を切られても救命できる。

 普通では急所攻撃とされる場所であるのにも関わらずだ。

 暗殺者の立場から逆に言えば、回復魔法が使える聖騎士がそばにいるというのは、この上なく厄介な状態なのではなかろうか。

 必殺の一撃が必殺にならないのである。

 ミューズと対峙した時に暗殺者が驚愕していたのも、そういう理由があったからかもしれない。

 だから、初めにミューズを毒殺することを考えたのかもしれない。

 ミューズがいないだけで、暗殺方法のバリエーションがかなり増える。

 しかし、ミューズがそばにいる場合、毒を使ったり気胸を作ったりしなければ、暗殺者が暗殺を完遂できる方法がないとも言える。

 聖騎士を護衛に送るというのは、暗殺に対して、かなり有効な方法なのだろう。

 初めは、こんな若い女性を護衛に送るなんて、教会はあまりグレッグを重要視していないのではないかと思っていたが、そんなことはなさそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ