09.「気胸」
僕は、ミセリコルデをグリグリと突き刺す。
グレッグが悲鳴を上げるが、息がそれほどできないために、悲鳴も長くは続かない。
傭兵たちも、きちんと仕事をしている。
さすがに多少の体動はあったが、その程度だった。
僕は突き刺しすぎないことを第一に考えながら、少しずつ、刺入を深めていった。
ある程度、刺入すると、今度は、てこの原理を利用して、グリグリと、横方向に動かせるだけミセリコルデを動かした。
グレッグが、痛みに顔をゆがめる。
肋間筋は内側と外側で走行がほぼ直行しており、簡単には刃物などが入りにくい構造になっている。
今やっていることは、筋肉と筋肉の間を広げる行為だ。
人によっては迷走神経反射が起こり、失神してしまう程だ。
僕なら、絶対に麻酔がほしいと思う。
グレッグは、よく頑張っている。
痛いとは思うが、気絶せずに目を見開いている。
この調子なら、気絶せずにいけそうだ。
ある程度グリグリを続け、先端が胸腔内にある程度入ったと思われた時、試しにミセリコルデを引き抜いてみた。
すると、プシュ、と音がして、刺入部から少し空気が漏れた。
ただ、続かない。
もう少し、深く刺入する必要がありそうだ。
僕は、さらにグリグリする。
そして、引き抜く。
今度は、比較的、長く空気が抜けた。
それに伴い、今度は、グレッグの表情が柔らかくなる。
「大丈夫か、グレッグ?」
僕がそう聞くと、グレッグは弱々しいが、自分の口でちゃんと答えた。
「大……丈夫……とは……言い……難い……が……、
楽……には……なった…」
少し喋れるくらいには、肺が広がったらしい。
とりあえず、これで一安心だ。
「よかった。
皆さん、グレッグを解放してあげて下さい。
これで一安心です。
次の処置は、ケインさんが戻ってきてから行います。
グレッグは、まだ動かないでね?」
僕が、そう言うと、グレッグは顔をしかめた。
「げえ……まだ……あるのか……」
部隊にも、笑いが広がる余裕が出来ていた。
しばらくすると、ケインがやってきた。
馬上から、持ってきたものを掲げて見せた。
「博物室にあったアーティファクトと、あったら持ってきてくれって言ってたブランデーも持ってこれたぞ!」
「ありがとうございます!
グレッグ、このボールペンとブランデーを治療に使ってもいい?
高そうだけど……?」
僕がそう聞くと、グレッグはコクコク頷いた。
まあ、この期に及んで治療拒否はないとは思ったけどね。
僕はまず、陶器に入っていたブランデーを、木のカップに移した。
ブランデーの良い香りが辺りに立ち込める。
木目がブランデーを通して透けて見える。
澱を除いてあるのは、好評価だ。
試しに舐めてみると、かなり強いことが分かる。
どれくらい強いかはさすがに分からないが、アルコール度数にして20%以上はありそうだ。
次に、ボールペンを分解した。
このボールペンは、多分、百円未満で買える、最もシンプルなタイプのボールペンだ。
キャップを外し、中の軸を抜き去り、外筒だけの状態にする。
使うのは外筒だけだ。
僕は外筒をブランデーに浸し、よくなじませた。
「じゃあ、グレッグ。
治療の第二段階に入るよ。
覚悟はいい?」
僕がそう聞くと、グレッグは覚悟を決めたように、目を閉じて頷いた。
僕は、また傭兵の皆さんにグレッグを押さえつけてもらうようにお願いした。
傭兵の皆さんが押さえつけたのを確認すると、僕はブランデー漬けボールペンの外筒を、グレッグの右胸、ミセリコルデを突き刺したところに挿入を試みた。
まだちょっと抵抗がある。
仕方がないので、ミセリコルデをもう一度使い、穴を広げる。
ボールペンの外筒とミセリコルデを、グレッグの胸に交互に突き刺すような試行錯誤を繰り返し、何度目かでようやく外筒の先端を、グレッグの胸腔に入れることに成功した。
よし!
「じゃあ、ミューズ。
《ヒール》で、このアーティファクトの周囲を治して。
隙間から空気を出入りさせたくないんだ」
「わかった」
僕の指示に従い、ミューズはグレッグに《ヒール》を掛けた。
みるみるうちに傷が塞がり、グレッグの胸からボールペンの外筒が生えているような、シュールな状態になった。
「じゃあ、皆さん。
グレッグの上半身を起こすのを手伝ってあげて下さい」
傭兵たちは、肩を貸したりしながら、グレッグの上体を起こす。
起き上がったのを確認したのち、僕はボールペンの外筒のグレッグの体内に入っていない方の端を、ブランデーの入っていたカップに沈めた。
外筒からは、コポコポ空気が漏れてきている。
成功だ。
「これで、しばらくこの状態で固定しておいてください。
少しずつ、胸の空気が外に出て行くはずです。
苦しくなくなったら、抜いて《ヒール》を掛けましょう。
それまでは、あまり強く息をし過ぎると、外筒を通じてブランデーが胸の中に入ってしまうので、気を付けてね」
傭兵に一人、介助に入って頂き、屋敷に帰るまではカップと外筒を持っていてもらう。
なるべく外筒を縦にして、ブランデーを中に入れないことが重要だと教えてあげた。
これは、水封と呼ばれる方法で、この方法をとれば、胸腔内の空気は外に出るが、外からの空気は入ってこない。
筒状の物であれば、胸に通すものはボールペン外筒である必要はない。
むしろ細い分、この用途には不向きかもしれないが、この世界で筒状のものとして咄嗟に思い浮かんだものが、これしかなかったのだ。
ブランデーを利用したのは、殺菌効果を期待してのことだ。
煮沸した水は、煮沸してすぐは良いが、しばらくすると冷めてしまい、また雑菌が入ることになる。
持ち運びが大変だ。
かといって、傷を負うたびに湯を沸かすわけにもいかない。
その点、ブランデーならば保存も効くし、ある程度、殺菌効果もある。
使用した人間が酩酊状態になったり過敏症をきたしたりする難点があるが、グレッグは酒豪であるため大丈夫だろう。
また、先に出てきた破傷風菌などの芽胞形成菌には、アルコール消毒や煮沸消毒は無効だ。
過信しないようにする必要があるが、かなり便利なのも事実で、僕は、その後からブランデーを持ち歩くことにした。
アル中じゃないよ?
感想にあった「生水はまずいんじゃないの?」に対する答えです。
現実的にはブランデーを使用するのが最も効果的だと思い、登場させました。
中世ヨーロッパ世界にもありますし、グレッグ邸にあっても不思議じゃないでしょう。




