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プロローグ

 この小説は、医療行為の描写について、なるべく正確を期すよう努力をしておりますが、なにぶん、ファンタジー小説であるため、一部に現実の医療とそぐわない点がある場合があります。

「カナン先生、カナン先生!」


 僕は、まどろみの中、自分を呼ぶ声に、強引に現実に引き戻された。

 滝沢科納、というのが僕の本名だ。

 言いやすいからか、みんな、名前の方で僕を呼ぶ。

 目の前にいる研修医の山添君も、必死な表情をして、名前で僕を呼びながら揺さぶっていた。


「あ、ようやく起きた。

 カナン先生、まずいです。

 救急車が渋滞してます!」


 一瞬、その意味を測りかねたが、救急処置室を見ると、診察待ちの患者さんが何人も並んでいるじゃないか。

 なるほど、診察待ちの救急車が何台も来ているということなのだろう。

 ここらのような地方では、大都市と違って、たらいまわしにできる病院がなく、すべての患者さんは数少ない総合病院である我が病院に来てしまう。

 そう言えば、まどろむ前に、救急隊からの収容要請が、結構な数、来ていたっけ。

 あまりにも眠かったため、受けるだけ受けて眠ってしまったのだった。

 どうせ、最後の砦である地方の総合病院に、拒否権はないのだ。


 それにしても、ここ数日の状況は異常だった。

 僕の少ない医師生活を振り返ってみても、これほどの状況は、ほとんどない。

 僕がずっと診させて頂いてきた3人の患者さんが、一昨日、立て続けに急変し、昨日から今朝にかけて、次々と亡くなった。

 急変したとはいえ、一般的な予後よりは長く生きられた方たちばかりであり、その死に顔は安らかで、家族の受け入れも良好であった。

 ただ、長年診させて頂いてきたという想いもあり、僕としては落ち込む時間が欲しかったのだが、そんなことも許されなかった。

 日中は日常業務をこなさなければならないし、今夜は今夜で当直だった。

 当直業務は交代で回ってきて、我々一般医師1名と研修医2名で、次々とくる患者さんに対応しなければならない。

 しかも、救急車が渋滞ときている。

 2日寝てないのに、今日も眠れないらしい。


「来てる人は、どんな人たち?

 それぞれ年齢、性別と主訴、バイタルを簡単に」


 僕は、白衣の襟を正しながら、山添君に聞く。


「順番に、一人目が88歳の女性で、主訴は呼吸困難。

 バイタルは、酸素10リットル、リザーバーで、サチュレーションが90台後半の他は安定してます。

 二人目は、24歳男性で、主訴は右下腹部痛。

 バイタルは、安定してます。

 三人目は、42歳男性で、主訴は意識消失。

 バイタルは、脈拍が120台と高値です。

 四人目は、28歳男性で、主訴は左下肢痛。

 バイタルは、安定してます」


「一人目と三人目の人が重症そうだね?

 初めにその二人を診ていこうか」


「三人目の人は、今は話ができる状態です。

 アルコール臭がするため、酩酊状態なんじゃないかと思います」


「なるほど」


 僕は、一人目の人から診察していくことにした。

 一人目の女性は、老人保健施設に入所中で、施設の人の言うことを鵜呑みにするなら、本日まで特に何ともなく経過していたのだが、今日の夜になると、途端に息が荒くなり、熱が上がり、サチュレーションの低下があったために連れてきたとのことだった。

 肺炎で何度も入院歴があるようで、聞くと、普段からむせ込みもあるとのことだったので、僕は誤嚥性肺炎を疑い、血算、生化、血液培養、胸部レントゲンをオーダーし、同時にルート確保も行ってもらった。

 可能であれば、吸痰と痰培養もお願いしますと付け加えた。

 誤嚥があれば、これだけで、かなり良くなる。

 また、既往に心房細動ありとのことで、凝固もオーダーに追加した。

 もしかしたら、心不全もあるのかもしれない。

 往々にして尿路感染も否定できないことが多く、尿検査と尿培養もオーダーに追加した。


 次の人は、今まであまり病気になったことのない人であった。

 始めに心窩部痛、嘔吐があり、その後、右下腹部に限局する痛みを発したとのことで、経過からは虫垂炎が強く疑われた。

 このため、手術になることも考え、血算、生化、凝固をオーダーし、ルート確保を行った。

 もう一人の研修医の蒲田君に、血液検査で腎機能に異常なければ造影CTをオーダーするように伝えた。


 次の人は、山添君の言う通り、酩酊状態のようであった。

 バイタルに異常があっても、酩酊状態の場合は、それを異常と取るかは判断に苦しむところだ。

 ただ、酩酊ながらも比較的、受け答えははっきりしており、ざっと診察した限りでは、明らかな外傷もない。

 とりあえず輸液で経過を見て、それから検査をしても良さそうだと判断した。


 次の人は、スノーボードで転倒したとのことであった。

 見た感じ、左下腿に血腫形成をきたしており、骨折をしているように思われた。

 しかし、左の足背動脈の触知は良好で、しびれもない。

 僕は、とりあえず骨折の診断を付ける目的で、患側と健側のレントゲンを2方向オーダーした。

 骨折に関しては素人なので、健側との比較でなければ骨折を診断する自信がないのが理由だ。


 とりあえず一通りのオーダーを終えると、これでしばらくは検査待ちだ。

 僕が一息つこうとすると、院内PHSにコールがあった。

 僕の嫌いな音の一つだった。


「カナン先生、屋上にすぐ来てください!」


 それは、病棟看護師の長谷川さんの声だった。

 病棟に呼ばれるならともかく、屋上に呼ばれるとは。

 僕は当然、理由を聞いた。


「金沢さんが、大変なんです!」


 金沢さんとは、僕の担当患者さんの女性だった。

 まだ36歳と若いのに、胃癌の多発肝転移で、この前、化学療法を開始したところだった。

 若い末期癌の患者さんにありがちなことではあるが、病気に対する受け入れが充分ではなく、僕もかなり心配していたのだった。

 ていうか、この病院に屋上なんてあったっけ?


「ヘリポートのところです!

 金沢さん、飛び降りるって言ってます!」


 僕は、その言葉に仰天し、全速力でエレベータに向かった。

 我が病院は、全国でも比較的早い段階からドクターヘリ事業に参加している。

 このために、病院の屋上にはヘリポートがつくられているのだが、よく考えてみれば、周りに柵がないヘリポートは、飛び降りるのには絶好の場所であった。


「でも長谷川さん、よく金沢さんがヘリポートにいるって分かったね?」


「彼女の携帯から、病棟に電話があったんです」


「なるほど」


 そうすると少し安心だと、僕は上昇するエレベータの中で思った。

 自殺は周囲に心配してもらいたいためのアピールに過ぎない。

 酷い言い方かもしれないが、本当に死にたい人間は、人知れず死んでいくのだ。

 ただ、アピールで本当に死んでしまう人も少なからず存在するため、対応には慎重にならざるを得ない。


 冬のヘリポートは寒い。

 周りには何もなく、ただ冷たい風だけが通り過ぎてゆく。

 僕が身震いしながらヘリポートに到着したとき、こちら側には長谷川さんと山崎さんというもう一人の看護師がいて、向こう側には金沢さんがいた。

 さっきから、大声で叫び合っているようだった。


「ご家族には連絡した?」


 僕は、長谷川さんに聞いた。


「はい。でも、ちょっと時間がかかるかもって言ってました」


 長谷川さんは、囁くように言った。

 金沢さんに聞こえないようにという配慮だろう。

 実際、病気のことについて受け入れが出来ていないのは、金沢さんの家族も同様だった。

 金沢さんに対し、どのように接していいか戸惑っているのだ。

 実際のところは分からないが、今回も何かの理由をつけて、病院に来たくないのかもしれなかった。


「金沢さん!」


 僕は、ありったけの声で金沢さんに呼びかけた。


「落ち着いて、話し合いましょう!

 ご家族も、すぐに来て下さるそうです!

 あなたは動転しているんです!

 落ち着いて、病室で、ゆっくり、今後のことについて話し合いましょう!」


 僕の呼びかけに、金沢さんは、悲愴な声で答えた。


「今後のことって何よ!

 私には、今後なんてないわ!

 家族だって、来やしない!

 私なんて、どうなったっていいのよ!」


 そう言う声の語尾は、涙声になっていた。

 僕は、山崎さんに安全管理の職員に連絡するように伝え、少しずつ、金沢さんに近寄って行った。


「そんなことないですよ!

 まずは話し合いましょう!

 死んでしまったら、話し合うこともできません!」


 僕は、金沢さんから目を離さないようにしながら、少しずつ、彼女に近寄る。

 彼女も、それに気付いたようで、若干身を硬くする。


「来ないで!

 私なんて、どうなってもいいのよ!」


 金沢さんが、そう叫んだ時だった。

 ヘリポートではよくあることだが、一陣の突風が、突然吹き寄せた。

 その突風にあおられ、金沢さんが体勢を崩す。

 危ない!

 僕は、金沢さんの方へ駆け出す!

 落ちる!?

 僕は、金沢さんの手をなんとか掴む。

 そのまま、ヘリポートの内側に、強引に引き寄せる。

 彼女は、思ったよりも軽く、簡単に引き寄せることが出来た。

 よかった、助かった。

 僕がそう思って胸を撫で下ろした時だった。

 不幸な偶然が起きた。

 突風が、もう一陣、ヘリポートに吹き荒れたのだ。

 金沢さんは、僕が引き寄せた勢いで座り込んでいるので、特に問題はなかった。

 しかし、僕は違った。

 金沢さんを引き寄せた勢いで、若干、ヘリポートの外側に重心が移っていた。

 完全に風にあおられる形になった僕は、そのまま、前へ押し出される。

 その先は、漆黒の空間。

 ヘリポートから落下し、その空間に吸い込まれるように落ちてしまった。


 あれ、嘘だろ?

 そんなことで否定できるわけもなく、僕の身体は重力を失っていく。

 最後に思ったのは、これで、しばらく仕事から解放されて楽になれるかなという不謹慎な事だった。

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