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集会終了後の放課後、蒔良と瀬川は美術室に赴く。『特技合わせ』のチームを菊池綾子と組むためだ。
「もちろんいいですよ。せんぱい方と一緒なら百人力ですよ!」
菊池は当然のように了承した。
「ありがとう。それでなんだけれど、実はもう僕たちにはチームを組めるあてがないんだ。同学年なら候補はたくさんいるんだけれど、帰宅部の僕は下級生に知り合いが少ないからね」
「わかりました。じゃあ私と同じクラスの子から選ばないといけないわけですね。ちょっと適当に電話してみます」
菊池は携帯電話で何人かのクラスメイトに電話をかけに行った。
「チームを組んだら生徒会にチームメンバー表を提出しなければならないらしいから、メンバーが揃ったら一度全員の顔合わせをする必要があるね」
「そうね。……チームの半分は初対面になりそうだけれど」
「今回の『特技合わせ』はそう考えると非常にバランスが悪いね。コミュニティがすでに出来上がっている三年生なんかは簡単にチームを組めるだろうけれど、新入生は例え同じ部活動に属していても上級生とチームを組むなんて案外難しいんじゃないかな」
「それも生徒会の言うチーム編成の例外として認められるんじゃないかしら? 別に新入生じゃなくても、私みたいなのは例え美術部の後輩だろうと組みたくは無いもの」
瀬川は美術部に所属こそしてはいるもののほとんど部活動に顔を出すことは少ない。それでも鈴木正時や菊池綾子のような一部の生徒との関わりを持っていたというのはある種奇跡とも言えるのかもしれないが、それは鈴木、菊池の人間性にも依るところなのだろう。今回の『特技合わせ』も、下級生とチームを組むなど以前の瀬川ならありえないことであったのだが、蒔良との関わりを続けている内に徐々に他生徒との関わりも増えてきている。その甲斐もあってか、瀬川奈々実を極端にさけようとする生徒は減っている。それでもまだまだ多くはあるが。
蒔良も、瀬川との関わりを続けている以上弊害も数多くある。第一に、今まで友だちだった生徒たちとの関わりがなくなった。蒔良はそれを「一人の生徒と友だちになっただけで僕から離れていくくらいの人たちを友だちとは呼べない」と言っていたが、やはり多少寂しくもあった。ただその代わりと言ってはなんだが、三学年三組のクラスでの友だちが新たにできたので良しとした。
瀬川奈々実の本質。蒔良は四月の一件が片付いた後、入院していた病院でそれを知った。蒔良の見舞いに来た瀬川が蒔良に施した心温まる振る舞いと安らぎ。それを知った時点で蒔良は、今まで瀬川が周囲から囁かれていた悪い噂が瀬川を苦しめ自傷行為をさせた負の循環がなされていたのだと理解した。今回の『特技合わせ』で瀬川の本質を他の生徒が知ることができれば、それも少なくなるだろうと蒔良は考えている。
「一人、わたしたちのチームに加入したい子がいましたよ。仙堂里あひるちゃんと言う子なのですけれど、ついでに一年生から二人誘っておくと言っていました」
電話を終えた菊池が蒔良と瀬川の元に戻る。
「やったね。これで僕たちのチームメンバーには目処がついたね」
「綾子。その仙堂里という子はどういう子なのかしら?」
「クラスではよく一緒におしゃべりをしていますよ。クラスの中では大人し目な子なんですけれど頭が良くてよく頼られていますね。ただ運動は苦手みたいで体育の団体スポーツでいつも他の子の足を引っ張っているのが悩みだと言っていたことがあります。『特技持ち』みたいですけれど、どんな『自己流特技』を持っているかは分かりませんね」
「ふうん」
「心配しなくてもあひるちゃんは奈々実せんぱいの事を避けたりするような子じゃありませんよ。むしろ積極的に関わってみたいと言っていました。あひるちゃんはよくいろいろなことに興味を持ってわたしとか他の子たちを振り回すので」
菊池はその例にもれず、むしろ一緒になって騒ぐタイプであるので菊池が言えた事ではない。
仙堂里あひる。蒔良も瀬川もこの名前には聞き覚えはない。帰宅部である蒔良と他生徒との関わりを持っていなかった瀬川にとってそれは当然の事であり、他の生徒にしたって夢美里高等学校に通う全生徒を記憶しているのは生徒会副会長である山田未来くらいのものなので、知らない生徒の一人や二人珍しくもない。
だから仙堂里あひるがどのような人物かは菊池綾子の言の通りであり、特に補足する点はない。ただし訂正すべき点が一つだけある。
仙堂里あひるが蒔良たちのチームの加入を承諾したのは瀬川奈々実に興味があったからではなく、尾崎蒔良の方に興味があったからである。
蒔良も瀬川も菊池もそれを知る術はもちろんなく、知ったところでどうなるわけでもないが故に、仙堂里あひるが招待する二人の一年生においても何らかの意図を絡めてくるに違いないとだけ、ここでは言えよう。
「それと明日くらいに他のメンバーを連れて私たちと顔合わせをしたいとのことなので、放課後どこかで落ち合えたら、と言っていました」
「そうだね。顔合わせは早い方がいいからね」
「場所は流石にここでは迷惑になるわね。どこか他にいい場所を確保できないかしら」
「それはまあ……どこか適当な教室でも借りればいいさ」
蒔良たちは適当な場所に目処をつけ、明日の放課後にそこへ集まることにして解散した。
帰り道、蒔良と瀬川は二人で並んで交差点までの坂道を下る。
「それにしても響くんと戦える『特技合わせ』か。ルール次第では確かに勝てるかもしれないけれど、それでも響くんじゃあ相手が悪すぎるね」
「その前に他のチームリーダーの腕章を手に入れなければならないけれど。そんな自信はあるの? 尾崎くん」
「どうかなあ。やっぱりルール次第かな。僕たちのチームは今のところ運動面でも学力面でも突出して能力の高い人はいないみたいだからね。いや、一応仙堂里……あひるさんだっけ? その子が頭いいらしいけれど、例えばクイズみたいな問題で勝てるかどうかは別問題だしね」
「一年生の二人に期待はしてみる?」
「それも難しいかなあ。結局、一年生というのは学校行事で活躍できる学年ではないからね。それは今回の『特技合わせ』にも言えることだよ」
『特技合わせ』は特技開発カリキュラムを受講する生徒なら誰にでも参加することができるが、今まで年度最初の『特技合わせ』で活躍できた一年生というのは一握りだ。その代表格が現生徒会長である立川響なのだが、それ以外の一年生の多くは『特技合わせ』の序盤でリタイアすることとなった。稀に、一年生に有利なルールで『特技合わせ』が開かれることもあるが、それはその時の生徒会の気分次第である。
今回はそれでも上級生と組めるため、一年生でも活躍できるチャンスは少なからず与えられている。
「……他のチームメイト、僕も気になるけれどね」
「何? 私が本当に、見ず知らずの人とチームを組むからって緊張していると思っているの?」
「そうじゃないの?」
ここ一か月で多少慣れてきたとはいえ、瀬川にとってはまだ他人とのコミュニケーションというのは不安を感じるものである。それを少しでも払拭させることができればと蒔良は思っているのだが、どうもうまくいかない。
「君は基本的に人見知りなんだね。変な噂で避けられていたこととは別に」
「そんなわけ……」
「いや、いいのさ。僕は別に、君がいろいろな人と関わりを持ってほしいと思っている訳ではないんだ。けれど、君が思う程周囲の人間は君を嫌ってなんかいないとは思っているよ。クラスメイトの佐藤くんや野中さん、卯の花さん、河野くん。それに菊池ちゃんや、まあ鈴木くんも君を嫌っていたわけじゃないし、もちろん生徒会長の響くんもね」
「……それは分かっているわ。みんな優しくていい人たちよ。だけれど、それでも今まで私がどれほど蔑まれてきたか、あなたは知っているでしょう?」
それがどれだけ心を抉ったか。
「この一か月間で確かに少しは気持ちも楽になってる。尾崎くんには感謝しているわ。けれど、まだ私は他の人をすぐには信用できない。例え私の事を知らない一年生だとしても、私に興味を持っている二年生でもね」
「うん。辛ければ『特技合わせ』には出なくてもいいんだよ?」
「馬鹿にしないで尾崎くん。『特技合わせ』には私も出るわ。じゃないと……いつまでたっても変われないままよ。……でも少しだけ手伝ってほしい」
瀬川は蒔良の手を握る。その手が少し震えていることを蒔良は感じとれた。
「緊張しているのは本当。不安に思っているのも。だからこの手を握っていて。この震えを止められるのは、きっと尾崎くんだけだから」
「うん。君がそうやって僕を頼ってくれると、僕もうれしい。君が僕に手を離すなと言ってくれれば、僕は君の手を離さないよ」
そして感じる瀬川のぬくもり。震える手から感じ取れる、瀬川の心の痛みと安らぎ。瀬川は蒔良と一緒に居ることで自分の心の陰りが徐々に引いていくことを知っていた。
なぜだかは分からない。心の中で蒔良の存在がとても大きくなっている。
それを口にしていいものかと瀬川は考えたが、結局やめることにした。
今はまだ、言葉にはできないから。
「君の手、あったかいね」
「尾崎くんのもね」
交差点に差し掛かり、二人は揃って右に曲がる。四月の一件以来、蒔良は瀬川を家に送り届けることに決めている。瀬川には余計なお世話だと毎回言われているが、今日は何も言われなかった。手を繋ぎながら他愛もない会話をして二人は道を歩いていた。