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マクラな草子   作者: いーさん
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第一章『始まりの草子』 002

 これはあくまでも噂ですけどね、と菊池綾子は前置き話を始めた。

「特技開発カリキュラムを受講していても一向に『自己流特技』の開発ができない生徒ってたくさんいるじゃないですか。周囲の人たちが開発と習得に成功していると自分だけが取り残されていくみたいでプレッシャーになるのだそうですけど、そういった、いつまでも特技を開発できない人たちに特技を与えてくれる人がいるそうなのです」

「特技を与える? そんなことできるのかい?」

「特技というのは本来自分自身が自分自身の適正に気づいて開発していくもの。誰かから与えてもらうものではないでしょう」

「だから噂なのですよ。わたしはそんなことができる人は見たことがないし、特技を貰ったという人も聞いたことがありません。ただ、仮にそんな人がいて、この学校の一般生徒のどれだけがその人に特技を与えてほしいと思うのでしょうね」

 特技開発カリキュラムを受ければ必ず『自己流特技』を開発できるわけではなく、一年から三年まで欠かさず受講していても特技を開発できずに卒業していく生徒は少なくない。いや、むしろ何も習得することなく卒業していく生徒が大半を占める。『どうせ習得できないから』といってカリキュラムを途中で止める者、自身の素質に合わない『自己流特技』の習得に躍起になる者。そういった生徒たちでは特技の開発は難しいとも言われている。特技開発カリキュラムによって開発された『自己流特技』は特技の持ち主の任意で教師側にデータを提出することができ、それによって過去、夢美里学園高等学校で開発された特技のリストも一般生徒は閲覧できる。リストに登録されている特技の習得を目指すことも可能だが推奨はされていない。『自己流特技』はあくまでも開発者自身の素質によって完成されたものであり、開発者以外の人間がそれを習得するためには、それこそ開発者と同等の能力を持っていなければならないのである。

 そのため他人から特技をもらうというのは本来ありえない話であり、もしもそれが真実なら、特技開発カリキュラムの存在意義が問われる問題でもある。

「菊池ちゃんはどうなんだい。君の前に特技を与えてくれる人が現れて特技をプレゼントしてくれるとしたら、君はどう答えるつもりだい?」

 菊池は考える、考えるふりをして、答えた。

「貰うでしょうね。夢みたいじゃないですか。わたしみたいな平平凡凡な生徒だって『特技持ち』になれれば特別になれる。特別な人間になるということは学生であれば何度でも夢見る話ですから」

 自分の才能を捨ててでも、か。

 蒔良は心の中で呟き、例えば自分も己の才能に絶望などしていたら、それを投げてでも特技を与えてほしいと願うのだろうか。

 瀬川はどうだろうか。

 瀬川も欲しがったりするのだろうか。

 誰かにとって特別な存在になれる『自己流特技』というものを。

「噂ですよ、噂。本当にいれば良いなあくらいには思いますけどね」

「そんな人がいたら僕もきっと願うだろうね。才能が欲しいって」

 美術室の奥の小部屋から一人の男子生徒が出てきた。痩身蒼白で、いかにも栄養が足りていなさそうな見た目をしている。

 彼の事は三学年のフロアでよく見かけている。つまり蒔良や瀬川と同様、三年生だ。

「あ、鈴木せんぱい」

 鈴木正時。現美術部の部長をつとめていて、特技開発カリキュラムを受講する一般生徒である。

正時は尾崎の元に近寄り、右手を差し出した。

「初めまして。僕は鈴木正時っていいます。微力ながら美術部の部長を任されているんだ」

「こちらこそ初めまして。僕は尾崎蒔良だ。君は、瀬川とはかかわりを持つタイプの生徒かな」

「そうだね。僕は瀬川さんの事を特別に避けたりはしたことはないかな。彼女は同じ部員だし、とはいえ最近になってようやく来てくれたくらいなのだけれどね」

「そっか。それはありがたい話だね」

 蒔良にとって、瀬川奈々実とかかわりを持ってくれる人間というのはそれだけで味方になれると考えていた。特に自分が瀬川のことをどうこうするつもりもないしその義務もないのだが、新学期が始まってからの数週間彼女のそばに居ただけで、瀬川のためになにかできないものかと考え続けている。高校最後の一年間、瀬川と共に気持ちの良い卒業を迎えられればいいと、そう考えている。

「ところで菊池ちゃん」

「なんでしょう正時せんぱい」

「もうそろそろ次の美術展に出展する作品の仕上げに入った方が良いと思うよ。美術展は五月の中旬だからタイムリミットは五月初週といったところかな」

 そういえば美術室に訪れるようになってから菊池がなにか作品を創作している様を見たことがない、と蒔良は思った。瀬川に流されるままよく美術室にお邪魔をしていたけれど、その実、確かに邪魔をしていたのかもしれない。

「それは悪いことをしていたね、菊池ちゃん。これからはもう少し自重しておくべきかい?」

「いやいやその必要はないかと思われますよ、蒔良せんぱい。というかすっかり忘れていましたよ、美術展の事なんて。残り二週間ほどですか。毎日描いていけば間に合うでしょうから、一日一時間くらいまでなら面会を許可します!」

「何様なのかな、菊池ちゃん。危ういことは確かなのだから、君は作品に集中しなさい」

 細身の男に説教される菊池である。

「じゃあ綾子。今日はこのくらいで勘弁してあげるから、ちゃんと頑張るのよ」

「私のひそかなる楽しみが……。まあよいでしょう、奈々実せんぱい、次に会うときはニュー綾子ちゃんに生まれ変わっている予定なので覚悟していてください」

「期待しないで待たないでおくわ」

 うなだれる菊池を後に美術室を後にし、帰路につく。

「さてと、どうする?」

「どうするもなにも、帰らざるを得ないのでは?」

「それもそうなんだけれど。僕たちみたいな帰宅部には放課後自由に使える時間というのが他の人たちよりも多い。そこでなにか有意義なことなどできないものかと思っているのさ」

「わたしたちは最上級生であり、つまりするべきことは就職にしろ、進学にしろ目的に合った勉強というのが唯一の選択肢だとわたしは認識しているけれど、例えばそう、勉強というのは家で行う方が集中できて効率的だから家に帰るまでの間は勉強など決して出来はしない、するべきではないという発想もあるいは可能なのかもしれないわね。つまり尾崎くん。わたしが言いたいのはね」

 ひどく長く前置き、瀬川は短く結論を述べる。

「家に帰れなければ勉強はしなくてもいいのよ」

「それ、単に君が勉強をしたくないだけだよね」

 瀬川の校内学力は平均よりやや下である。周囲から疎外されていて、出来ることといえば勉強または読書くらいのものだから蒔良よりは学力がある、と瀬川は蒔良の目の前で宣言したこともあったが実際にはそうではなく、蒔良の方が学力は上である。

「そういう風にとらえられないこともないだけで、とらえ方は人それぞれよね。わたしはそんな尾崎くんを責められないわ」

「責められないだろうね。責めるべき点は一つもないと自分で言えるくらいには責めるべき点がないよ」

「むう」

 蒔良に言い押されて黙る瀬川である。

「まあ。定期試験の折には僕も手伝うからさ」

「その時くらいは……まあお世話になってあげてもいいのよ」

「さいで」

 口が減らないと思いつつも瀬川の事を憎めないでいる尾崎である。たかだか数週間。されど数週間。尾崎が瀬川とかかわりを持ち、瀬川に対するなにがしかの心境の変化は大きく、それが今後どのような影響を二人に与えるかは二人にとってはあずかり知らぬところである。

「さて、勉強を怠けたい、もとい家に帰れない瀬川さんはこれからなにをしたいのかな」

「家に帰れない事には家に帰れないなりの理由が必要なのよね。その理由をでっち上げなければならないのでわたしは家に帰れません。ということにしておきましょう」

「さようで。じゃあひとまず交差点まで行こうか」

 夢美里学園高等学校は夢美里のほぼ中心の高台の上に位置し、そこへ至るには一本のゆるやかな坂道を登らなくてはならず、夢美里学園高等学校に通う生徒ならば必ずその坂道を通ることになる。坂の麓で十字の交差点とつながっていて、生徒たちの間で交差点と言う場合はその交差点を主に指す。

「この二年間と数週間この坂道と付き合ってきたけれど、もうすぐお別れね」

「いざお別れとなると全然寂しくないな」

「ええ。ちっとも寂しくならない」

 大した勾配がないとはいえ、寝ぼけた体でこの坂道を登るのは堪えた。悪友とふざけ合い、坂道を転げ落ちてけがをした生徒も中にはいる。それは自業自得というものだが。

 坂を下りながら二人は時間の持て余し方を考えていた。

「家に帰れば晩御飯にありつける。外で何かを食べていくというのは却下ね」

「ゲームセンターには僕は寄りたくない。必要以上にお金を消費してしまうからね」

「商店街の本屋さんならいくらか暇をつぶせると思うけれど、あまり有意義とは言えないわね。お店の人にとっては迷惑でしょうし」

「図書館……は確か今日が休館日だったっけ。そもそもあそこはあまり本が揃っていないはずだね」

「川に行って、たそがれる? という青春を謳歌できるのは中学生までよね」

「そうだ。勉強をしよう。……そうあからさまに嫌な顔しない」

 有意義に暇をつぶせる最善の方法を模索しながら交差点に辿り着き、二人はふと思いついたことを同時に言う。

「今日はもう家に帰るか」

「今日はもうお家に帰りましょう」

 暇を持て余した二人の放課後と言えばこのようなものである。何も考えず、何にも憚れず、何にも遮られない平和な日常を二人は送っている。それは当たり前といえば当たり前の話ではあるのだが、こと二人に関しては事情が他に比べて多少異質である。

 周囲から疎外され、二年間孤独に生きてきた瀬川奈々実と、今まで瀬川とは会話すらしたことのない尾崎蒔良の両名が平和に日常を送っている。二人にとっては異質ではないかもしれないが、周囲にとってそれはやはり異常に見えている筈なのである。

 およそ二人と平気でかかわりを持つことができる三学年三組の一部のクラスメイトたち、瀬川の美術部の後輩、同輩。尾崎蒔良と今まで接してきた友人たち。彼らも彼女らも抜かりなく二人の事を同様に同様の印象を抱きながら二人と接している筈である。

 なにもおかしなことはない。

 二人がおかしく見えているだけで。

 二人はおかしくなどないのだから。

「じゃあ瀬川。また明日。気を付けて帰りなよ」

「心配は無用だわ、尾崎くん。あなたこそ背後には常に気を配った方がよいかもしれないわ」

「なんだよ、それ。まあいいや。じゃあ」

「ええ。じゃあ」

 蒔良と瀬川の家は交差点から反対方向の位置にある。坂道を下りきり、交差点を左に曲がる蒔良と右に曲がる瀬川。二人は今日も平和に日常を謳歌していたと、ここではこのような結末で一日を締めくくろう。

 ただし明日からの二人に何が起こるかは。

 ご想像にお任せしよう。


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