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第二話 おもちゃのヤマト

 街灯の電球が切れそうなのか、ジジジ――と音を立てながら光が揺れている。

 その明かりの下を、ショートヘアに幼さの残る素朴な顔立ちの少女が通り過ぎた。身に纏う制服は近くの中学校の物で、膝丈のスカートを翻しながら歩いている。

 生ぬるい風が彼女の頬を撫でた。髪がそよぐ。

 今彼女が歩いている細い道を遡った先には、近所でも評判の学習塾がある。

 彼女はそこに、同じ中学校の友人たちと共に通っていた。最近では、違う中学校の友人もできた。講師はやる気に満ちた人たちばかりで、その授業は丁寧でわかりやすい。

 塾に通い出してから中学校の成績も右肩上がり。てんで理解できなかった授業内容も、どうにかついて行けるようになった。

 だから、彼女は塾に通うことを嫌ってはいない。

 ただ、一つだけ不満があった。

 肩に提げた鞄を担ぎ直す。彼女は脇目も振らず、早足で歩いていた。

 彼女の他に人の姿は見えず、光源も点滅している街灯が点々と立っているだけ。月は、左右にそびえる建物の陰に隠れてしまっている。

 その不満とは――この道のこと。

 友人たちは、もっと明るい道を帰っている。彼女もできればそうした道で帰りたかったが、それでは非常に遠回りとなってしまう。

 親に迎えに来てもらうことも考えたことがあった。けれど、共働きで帰りも遅い両親に迷惑をかけることはできない。

 仕方なく、本当に仕方なく、この何か出そうな――薄暗く人通りのない道を毎度毎度歩いて帰っている。

 そのことに加えて、今日は彼女の足を速める理由がもう一つあった。

「あーもう、あんな話聞くんじゃなかった」

 体に纏わりついてくる恐怖心を振り払うように、わざとらしく大きな声で悪態をつく。

 授業の後に友人から聞いた怪談話が――恐怖心が、幻聴を生み出す。


 カッ、カッ、カッ――


 彼女の足音に合わせて、背後から硬い足音が聞こえてきた。

 突然の出来事に彼女は肩を震わせる。更に歩調を速めると、後ろから聞こえる足音もまた速くなった。

 これはきっと、自分の足音が何かに反響して、それで、後ろに誰かがいるような、そんな、錯覚を――

『ねえ、知ってる?』

 彼女の理性を剥ぎ取るように、怪談話がフラッシュバックした。

 噂話が大好きな彼女の友人が、したり顔で話を始める。

『今日みたいな満月の日にさ、出るんだって』

 友人のおどけた表情が、恐怖を掻きたてる。

『何が出るの?』

 別の友人が、話を煽った。

 ――止めて、話さないで!

 彼女の意思に反して、記憶は呼び起こされ続ける。

『女の子ばっかりを狙う誘拐犯っ!』

『えーなにそれー』

 周りにいた数人が笑い出す。

 おどろおどろしい雰囲気が、陽気に様変わりした――

『あ、聞いたことあるかも』

 その時、髪の長い友人が静かに声を上げた。

『なんか、一か月に決まって一人、中学生とか小学生の女の子が突然姿を消すって話でしょ?』

『家出とかなんじゃないの?』

『あたしなんて、今月もう三回家出してるよ』

『あんたが家出すると、あたしん家に直で電話がかかってくるようになりました』

 ドッと笑いが起こる。

 しかし、好奇心と恐怖心の混ざり合った雰囲気は払拭されない。最初に話し始めた友人が、笑いが収まるのを待って話を再開する。

『確かさ、半年くらい前だっけ? うちらと同じ年の子が道端で殺されてたってゆーのあったじゃん』

『あーあったね。犯人まだ捕まってないんだっけ』

『確か捕まってなかった』

『あたし思うんだけどさ、その誘拐犯ってのが実は、その子を殺した犯人じゃないのかな』

『えーなにそれ』

『だったら、誘拐された子っていうのも殺されちゃってたりするわけだ』

『でもさ、身代金をーとかじゃないの? 誘拐って』

『他の目的もあったりするかもよー。ほら、あたしたちってピッチッピチだし』

 うっふん、とセクシーポーズを取る。

 再び笑いが起こった。

『あー、そっか……』

 髪の長い友人が、ポンッと手を叩く。笑いが収まり、皆が一斉に彼女を見た。

 静かに、彼女は口にする。誘拐犯と殺人犯が同一であると友人が言った、その推理の根拠を。

『その子が殺されたのも――今日みたいな満月の日だったね』

 彼女の理性が決壊する。

「わああああああああああああああっっっ」

 叫び声を上げながら、彼女は走り出した。全力で。

 目を見開き、顔を引きつらせ、髪の毛を乱れさせて、足がもつれて転んでしまいそうになりながらも、彼女は走り続ける。

 しばらく進んでいくと、やっと明かりが見えてきた。自動車の走行音も、微かにだが聞こえてくる。

 それはつまり、人工的な明かりと音。

 それはすなわち、人類が築き上げた科学の結晶。

 それは――非科学的な怪談話を嘘っぱちにしてくれる。

 彼女の表情が、微かに緩んだ。

 ゆっくりと足を止める。膝に手を当て肩で大きく息を吸い、吐く。

「……そうよね。気のせい、気のせい」

 自分に言い聞かせるように呟く。

 何度も深呼吸をしてから、体を起こした。

 前を、見る。

「えっ」

 其れは――陰。

 成人男性の姿をした、陰。

 服を着ているようには見えないが、裸にも見えない、陰。

 そこにいるはずなのに、酷く不明瞭で、境界が曖昧で――上手く認識できない。

 近くの道路を自動車が走り抜けていく。ライトの明かりで細道が照らされた。

「ひっ」

 陰は赤黒い色をしていた。何かを幾重にも幾重にもぶちまけられたような斑模様の、嫌悪感を覚える色。

 陰が、腕を振り上げる。その手には何かが握られている。細長い筒のような――何か。

 誰なのだろうか。何なのだろうか。

 混乱する彼女に向かって、陰が、ヒタリ……ヒタリ……と歩み寄ってくる。

 そして――

「あがっ……」

 彼女の体に、何かが突き立てられた。

 血が迸り、陰の体を彩っていく。同時に、彼女の体温が急激に失われる。意識が遠のいていくのが、わかる。

 何度も、何度も、何かが体に突き刺さる。

 激しい痛みに襲われる。しかし、悲鳴や助けを求める声は……でない。

 痛みを感じなくなってきた。

 頭の中が、ぼやけていく。

 自分という存在が薄くなっていくことを――彼女は感じた。

 最期に思う。

 ――やっぱり、あんな話聞くんじゃなかった。


  ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     


 ――約一ヶ月前の、新聞記事の切り抜きだ。

 昨日、D県Y市にて市内の中学校に通う女子生徒の死体が発見された。女子生徒は死体発見現場の路地からほど近い学習塾に通っており、塾からの帰宅途中に襲われたものと思われる。女子生徒の体には十数ヵ所にも及ぶ鋭利な刃物で刺したような傷があり、D県警察は半年前に同じくD県で起こった少女殺害事件との関連を視野に入れつつ、殺人事件として捜査を開始した。


 ――去年の、インターネット掲示板への書き込みだ。

 D県南部を中心として広がってる噂話ってか都市伝説みたいな感じのものなんだけど、「満月の夜に女の子が何者かに誘拐される」ってのがあった。

 出所は不明なんだけど、県外の友人は知らなかったから結構ローカルなネタなんだと思う。五歳離れた職場の先輩は知らなかったらしいし、そう古くはないのかな。


 ――一昨年の、女子中学生のブログの記事だ。

 隣町に引越してった友だちが、最近元気ないみたい。

 メールで聞いてみたら、なんか仲良かった子が行方不明になったとか言ってた。ウチのクラスでも二ヶ月前に一人いなくなっちゃったし、最近なんかおかしい。

 小学校の頃はそんなことなかったのにな。

 部活の先輩に話してみたら、ウチらが入学する少し前くらいにも誰か行方不明になったとか教えてくれた。やばいよ、やばい。

 なんか最近、変な噂聞くし、キモチワルイ。

 でも実際、友達の仲良かった子も、ウチのクラスの子も、先輩の言ってた子も、満月の日にいなくなってるんだよね……。

 あーもうやめやめ! 楽しいこと考えよう。


 ――数日前の、ニュースサイトの記事だ。

 ここ十年で小学生や中学生と言った子どもを対象とした誘拐事件、殺人事件の件数が三倍に膨れ上がっていることをご存じだろうか。これは先日公開されたばかりの情報で、届け出があった事件のみを元にして算出されている。つまり、実際はこれよりも更に多くの児童生徒が被害に遭っているかもしれないのだ。これを読んでいる読者の皆さんの中にも、十年前にD県で起きた残忍な事件のことを覚えておられる方もいるだろう。当時八歳だった被害者は下校途中に誘拐され、一ヶ月後に死体となって発見された。犯人は被害者の隣の家に住む三十代の男性だった。筆者はその当時、犯人の男性が証言した「声をかけたら拒否されてカッとなった」という言葉に対して激しい怒りを覚えたのを克明に覚えている。この事件では犯人は無事に逮捕されたが、同じくD県で先月起こった女子中学生殺人事件のように未だ犯人逮捕に至っていない事件も多い。子どもたちが健やかに生活するためには――


「……ん?」

 視線を感じて、彼は資料から顔を上げた。

 真正面の席に座る少女の紅色の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。

 長い黒髪の、日本人形のような風貌の女の子。とはいえ、身に付けているのは和服ではなく肩を出した涼しげな洋服だが。

「日照雨」

 その少女の名前を呼ぶ。

 日照雨は微かに首を傾げた。はらり、髪が頬にかかる。

「暇そうだな」

「そないなことありまへんよ。旦那さま眺めとるん、楽しいし」

「そんなに面白い顔してるか?」

 言いながら、自分の顔に触れてみる。青年と老人との間を彷徨う、年齢のわからない顔立ちをしているはずだ。

「旦那さまのそのお顔は素敵やと思います。そゆことやのうて、んと、えと……」

 見る見るうちに、日照雨の柔らかそうな頬が朱色に染まる。

「真剣な表情で読んでるん、かっこええなて」

 ごにょごにょとそう言った。彼は曖昧に、そうか、と返事をする。

「空いてる時間に、資料の最終確認をしておきたくてね」

「お昼ご飯食べ終わったら、依頼人はんのとこにご挨拶しに行くんどすよな?」

「そうだね」

「依頼人はんて、どんな方なんどすか?」

「それを知るために挨拶へ行くわけだけどね」

「ほへえ」

「そうだな、俺が現時点で知り得ている依頼人の情報って言ったら……」

 この話を日照雨にしても良いのか逡巡する。

 今回、彼女は部外者ではない。この依頼を達成するための――協力者だ。ならば、何ら問題はないか。

「県内で活動している、妖怪組織の頭ってことくらいかな」

「妖怪組織……てあれどすよな? 妖怪が仰山集まって、お友達になってて」

「大体合ってる」

「ほへえ。何をされとる組織なんどすか?」

「人間相手に店を構えているらしいね」

 日照雨が首を傾げる。

「人間には、妖怪の姿が見えんのやないんどすか?」

「大半の人間にはね。感情が昂ってやっと、おぼろげに認識できる程度ってところだ」

「そうどすよな」

「でもな、雨子。ある程度力のある妖怪にとって、人間に化けるのは簡単なことなんだ」

「人間に化ける……」

 理解したのか、両の手を合わせる。

「人間に化けて、お店屋はんされとるんどすな」

「その通り」

「えへへ」

 日照雨に微笑み返し、彼は資料へと視線を戻した。彼女との会話も楽しいが、もう少し資料を眺める時間が欲しい。

 今手元にある資料は、新聞記事や雑誌の記事、インターネット上の書き込みなどの文章が大半を占めている。しかしそれ以外にも、D県における行方不明者数と年齢分布といった統計データも載っていた。

 彼は資料をパラパラと捲る。

 今回の依頼は、D県Y市を中心として活動している所属不明・種族不明の妖怪を退治して欲しい、というもの。

 依頼人は先述の通り、D県に拠点を置く妖怪組織の頭。好戦的な構成員もおらず、自力で解決するのが困難だと判断して専門家――つまり、彼に依頼した。

 彼にとってこの手の依頼は慣れたものだが、依頼対象の特性や力量を見極めてから行動しなければ足元を掬われてしまうことがある。

 今回の場合で考えると――特性として、活動に幾つかの制限のある妖怪であることがわかる。力量に関しては、規模と歴史はどうあれ都市伝説を持つ妖怪だということを踏まえると――骨が折れる可能性は低くない。

 考察を重ねた上で、どのように退治を行うか案を作成する。依頼人側の協力も必要なため、最終決定は挨拶の際に行う。

 そもそも、依頼対象は何を行い――退治されようとしているのか。

 資料に載っている事件や噂話が全て依頼対象の仕業であると考えれば、そのことを推察するのは難しくない。

 そして、その妖怪によってもたらされた被害はD県Y市周辺の人間に影響を及ぼしている。被害者だけではなく――まだ被害には遭っていない小中学生の子どもとその家庭に対してもだ。

 彼は目を閉じ、静かに息を吐いた。資料を仕舞い、顔を上げる。

 日照雨と共に今居るのは、駅前という絶好の立地にあるファミリーレストラン。その店内は、土曜日の昼時ということもあり席は大方埋まり、賑わっている。

 ただ、家族連れの客の姿が――子どもの姿が見えない。

 駅からここまで歩いてくる道すがらも、高校生らしき姿はあっても、小学生や中学生の姿は一切なかった。

 いや、正確には一人だけいた。

 彼は正面を向く。こちらを見つめていた可憐な少女が、照れくさそうに顔を逸らす。

 大げさかもしれないが、今このY市で出歩いている子どもは――目の前にいる、日照雨だけなのかもしれない。

「あっ……」

 その日照雨が、嬉しそうな表情で微かに声をこぼした。

 ややして、トレイを持った店員がやってくる。

「お待たせしましたー。ご注文の焼き魚定食と――」

 コトン、と目の前のテーブルに料理が置かれる。

 彼は一度深呼吸して気持ちを切り替えると、店員に軽く礼を口にした。

「ハンバーグ定食になります。こちらプレートの方、熱くなっておりますのでお気をつけて下さいね」

「わ、わかりました」

 店員はにっこりと笑ってから伝票を伏せてテーブルの上に置くと、一礼して立ち去った。

「箸とフォーク、どっちを使う?」

「うち、フォーク使うん苦手どす」

「家でフォークはあまり使わないからなあ」

「ケーキ食べる時も箸やもんね」

「……。フォークを使う練習、した方がいいか?」

「明日からでええんやないやろか、明日からで」

「まあ良いか。箸だな」

「はい。旦那さまはお箸とフォーク、どちら使われますか?」

「いや……和食だからな?」

「フォークどすな」

「いやいやいや」

 大げさに否定すると、日照雨が楽しそうにコロコロと笑う。

 彼も釣られて笑顔を浮かべた。

 二人とも箸を手元に置き、顔を見合わせる。

「さて――いただこうか」

「はいっ」

 彼が静かに手を合わせると、倣って日照雨も手を合わせる。

 食前の挨拶の声が、綺麗に重なった。


  ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     


「ふわあぁぁぁぁっっっ」

 日照雨の黄色い声が上がった。

「な、何のお店なんどすか、ここ、何を売ってはるんどすかっ」

 興奮した様子で、傍らにいる彼の服の袖を引っ張る。

 彼は苦笑しながら、

「玩具屋だよ」

 と答えた。

「おもちゃ……。テレビのコマーシャルとかでやっとる、あの玩具どすか?」

「そうそう、その玩具」

「ふわあっ」

 日照雨は好奇心に満ちた瞳で店内を見渡す。

 毎週日曜日に放送されている戦隊ヒーローモノの玩具が鎮座する棚にはブラウン管の小さなテレビが備え付けられており、活躍するヒーローたちの映像が流れている。

 その隣のピンク色に包まれた一帯には女児向け玩具が陳列されている。着せ替え人形やその関連商品と女児向けアニメのグッズが主だろうか。

 対象年齢を更に落として、乳幼児向けの教育玩具や手押し車も売っている。一体だけだが、五月人形が堂々と飾ってあり威圧感を放っている。

 リバーシや将棋、囲碁の対戦ゲームから、双六などの大人数で遊べる玩具も売っている。知恵の輪などのパズル類も豊富だ。

 日照雨の立っている場所からはよく見えなかったが、十年以上前のアニメや特撮ドラマのグッズや、最近の深夜アニメのキャラクターフィギュアなどマニア向けの商品も売られているようだ。

 大小様々な玩具が並べられ、そしてその全てを商品として取り扱っている店。まさか、そんなお店がこの世に存在しようとは。

 スーパーマーケットのお菓子付き玩具を売っているコーナーしか見たことのなかった日照雨は、世界の広さを身をもって体験していた。

「楽しんでもらえたかな」

 妙に縁起がかった口調で問われる。日照雨は彼を見上げて、大きく頷いた。

「そりゃよかった。でもな、雨子」

 首を傾げる。

 彼は日照雨の唇にそっと人差し指を当てて、諭すように言う。

「お店ではあまり騒がないように」

「ぁっ……ごめんなさい」

「わかればよろしい」

 彼はにっこりと笑って、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。日照雨は目を細めて、胸の前で両の手をぎゅっと握りしめる。

 そんな二人のやり取りを微笑ましく見つめる人の姿があった。

 店内にいた客――トレーディングカードゲーム売り場で商品を眺めていた高校生と一人買い物に来ていた初老の男性と他一名――と、レジ近くの椅子に座る若い女性だ。

 日照雨と、その女性との視線が合う。

 赤ワインのような深みのある赤色の髪を無造作に伸ばした、二十代前半と思しき女性。よれたシャツの上に、「おもちゃのヤマト」と店名の記されたエプロンを着ている。十中八九、店員だろう。

 彼が日照雨の頭から手を離す。ゆったりとした所作で、レジの方へと向かう。

 雛鳥が親鳥の後ろをついて歩くように、日照雨はチョコチョコと彼の後ろについて歩く。

「こんにちは」

「こんにちは。何かご用でしょうか?」

 柔らかな、人を安心させてくれる声。

「店長に約束があって来たんだが。今、居られるだろうか」

「店長にですか? ええと、――」

 日照雨は彼の言葉を聞きながら、考える。

 彼は、依頼人に挨拶へ行くと言っていた。そして、その依頼人は人間を相手に商売を行っているとも言っていた。

 ならば、この玩具屋は依頼人が経営しているお店だろう。つまり、店長こそが依頼人というわけだ。

 日照雨はそう結論付け、したり顔で何度も小さく頷いた。

「はい、私が店長です。貴方が……?」

 新しい声に、日照雨は顔を上げる。いつの間にか、知らない男性がそこにいた。

 笑顔の染みついた優しそうな顔立ちの男性で、女性店員と同じエプロンを着ている。名乗った通り、店長だろう。

 日照雨は興味深そうに店長を見つめた。

 微かに、普通の人間と違う雰囲気を感じる。先入観があるから、そう思ってしまうだけなのか。

 彼と店長は二度三度言葉を交わすと、互いに頷き合った。

「日照雨」

 彼へと視線を移す。

「今から少し、細かい話をしてくる。その間、待っていてくれるか?」

 不安げに尋ねる。

「一人で、どすか?」

 彼は静かに首を振り、レジ打ちの女性店員を指した。

「店長の計らいでね、こちらの店員に店内を案内して貰うと良い」

 日照雨の視線が女性店員へと移る。ニッコリと女性店員が笑う。

「旦那さまがそう仰るんやったら……。わかりました」

 彼がポンポンと日照雨の頭を撫でる。それから――関係者以外立入禁止と張り紙のされた扉の向こうへと、消えていった。

 日照雨はその後姿を、静かに見送った。

「っというわけで、お嬢ちゃん」

 レジから出てきた赤髪の女性店員は膝を折り、目線を日照雨に合わせる。

「なんどすか?」

「私はこういう者です」

 エプロンに付けられた名札を見せてくる。そこには、黒のマジックでカタカナが書かれていた。

「アカサカ、はん?」

「そそ。お嬢ちゃんのお名前、聞いてもいいかな?」

 日照雨はジッとその女性を見つめ、口を開いた。

「うちは、日照雨言います」

「ひでりあめちゃん?」

 コクリと頷く。

「そんじゃ日照雨ちゃん。今から店内の案内をしていこうと思うんだけど、何か気になるものとかあった?」

「気になるもの?」

「えーっと……楽しそうとか、面白そうとか、そんな感じの」

 日照雨はグルリと店内を見渡す。

 子ども向けの玩具、赤ちゃん向けの玩具、家族向けの玩具、その他諸々。どれもかれも未知の塊で、魅力的で、興味を惹いて離さない。

 だから素直に答える。

「ぜんぶ」

「ほほう、そう来たか。ま、それでも良いのかな。よーうし、適当なところからご案内していきましょう」

 女性店員――アカサカは立ち上がり、歩き出す。

 日照雨は一度、彼の入っていった扉に視線を送る。そして何かを振り落とすように首を振り、アカサカの後ろを追った。


 音に反応して動作をする玩具を集めた一角があった。

 うねうねと、わしゃわしゃと、カタカタと楽しそうに踊る玩具たちを目の前にして、日照雨は目を見開く。

「これ生きとるんどすか?」

「ん? あーそれはね、音が鳴ると踊るお人形さんだよ」

「あ、生き物じゃないんどすな」

 日照雨が玩具に手を伸ばそうとした瞬間、ハハハハハァーッ! とその玩具がけたたましく叫び声を上げた。

 ビクッと肩を震わせて後ずさる。

「な、なな、な……ッ!」

「踊るだけじゃなくて、歌ったりもするんだよね」

「し、心臓に悪いどすな」

「夜中におトイレ行くときあるでしょう?」

「……ありますな」

「この玩具をトイレの近くに置いておくと、足音や水を流す音で突然騒ぎ出したりします」

 日照雨の表情がげんなりとする。

「お尻の方にスイッチがあるから、遊び終わったらそれを切るようにしておけば安心だけどね」

「切り忘れとっていきなりバーンッてなったら、びっくりしてしまいますな」

「うんうん。でも、面白そうな玩具でしょ」

 コクリと頷く。

「日照雨ちゃんはこう言う玩具欲しい?」

「ん……。素敵なんはわかるけど、家にはいらんかな」

「あら、そう」


 特撮戦隊ヒーロー物のコーナーでは、ヒーロースーツのフィギュアや合体ロボの玩具が並んでいた。

 その内の一つを手に取り、じっくりと眺めてみる。

「あ、動いた」

「日照雨ちゃんはこの番組見たりする?」

 腕をグルグルと回しながら、日照雨は首を傾げて考える。

「確か、何回かは見たことあります」

「早起きさんだねえ」

「旦那さまが起きられるまでに朝ごはん作らなあきまへんし」

「……うん?」

 アカサカは何か言いたそうな表情を浮かべ――好奇心に負けたのか尋ねてくる。

「日照雨ちゃんと、旦那さま? はどう言った関係だったりするのかな。……親子?」

 首を左右に振る。

「えー、じゃあ何だろう。聞いちゃ駄目なことだったら、それでもいいんだけど」

「旦那さまは、うちの旦那さまやけど」

「えっと、雇い主ってこと?」

 再び、首を左右に振る。

「じゃあ、……えー」

 自分で尋ねておきながら、答えを聞いてはいけない衝動に駆られたのだろう。アカサカは視線を泳がせ――

「あっ、日照雨ちゃんこんな玩具はどう? 面白いよー」

 強引に話を切り変えてきた。

 ヒーローの持つ武器の玩具だ。手にとって遊べるよう、箱から出した物が展示してある。黒の極太マジックで「ヤマト」と書かれているのは、盗難防止目的だろうか。

 剣のような形状で、光沢のあるゴツゴツとしたデザイン。もちろん刃は付いておらず、柄には三つほどスイッチが並んでいた。

 日照雨の眼前でそれを掲げ、スイッチの一つを押す。

 ピュインピュインピュイン――

 電子音が流れ、剣の表面を光が走る。日照雨の表情が輝いた。

 続けざま、別のスイッチを押す。

 ボババババァンッ――

 破裂音がして、剣が色とりどりに点滅した。驚いて後ずさる。

 そして最後のスイッチを押す。

 キンッ――

 鍔迫り合いをする刀剣の音が鳴る。剣は、一度だけ輝いただけ。前の二つと比べて非常に地味で、日照雨はつまらなそうに唇を尖らせた。

「ってな感じの玩具でした」

「音は三つあるんどすか?」

「そうだね。スイッチを押すと、それぞれ違う音が鳴るよ」

「よう出来とりますな」

「うんうん。フォルムも実際に使ってる奴とそっくりだし、どうよー」

「見たことある言うても、数えれるくらいやし……。別にいらんかな」

「あーそっか」


 順繰りと、店内を巡っていく。

 興味を惹く玩具を手に取るたびに、日照雨の表情が変化する。

 笑わせてくる玩具には笑顔になって、驚かせてくる玩具には頬を引きつらせて、頭を使う玩具には難しそうな表情を浮かべた。

 玩具の紹介をするアカサカの声もテンポよく、気がつけば、店内の大半を制覇してしまった。

 ホクホク顔で、日照雨はレジまで帰ってきた。

「こんなもんかな。楽しんでもらえた?」

 アカサカの言葉に、大きく頷く。

「そっか、それはよかった。んっと、そろそろ話が終わっても良い頃だと思うんだけど」

 二人の視線が、閉ざされた扉に向く。

 するとタイミング良く、ドアノブが捻られる音がした。キィ――と扉が開く。

 扉の向こう側から、見知った男性とエプロン姿の店長が出てきた。

「旦那さまっ」

「雨子、良い子にしてたか?」

「はい、ええ子にしてました」

 彼に頭をくしゃくしゃと撫でられる。凄く、落ち着く。

「見ていてくれてありがとう」

「ああいえ、こちらこそ楽しませてもらいました。やっぱり良いですね、子どもって」

 アカサカの発言に、店長の表情がかげる。

「そうですね。一日も早く、子どもたちが安心して外を歩けるように……」

 地雷を踏んでしまった、とアカサカが顔を引きつらせる。

「子どもたちが、笑顔で、お店に来てくれて、楽しそうに、笑って、驚いて……。騒がしくて、でもそれが凄く、良いんです。だから……」

 俯きがちになり、店長がブツブツと言葉を連ねる。

 不思議そうに店長を見つめる日照雨の耳に、彼とアカサカの会話が入ってくる。

「さっきもこうなって、中々話が進まなかったよ」

「あはは。店長、相当参っちゃってるみたいなんですよ」

「だろうね。それだけ、子どものことを好いているんだろうな」

「そうですね」

 日照雨はグッと拳を握りしめ、一歩、店長に歩み寄った。勇気を振り絞り、話しかける。

「て、店長はん」

「……はい?」

「……………………げ、元気だし…………」

 勇気が足りなかったようだ。跳ねるように店長から距離を取り、彼の背中に身を隠す。

 しかし、店長の虚ろな瞳に少しだけ光が戻ってきた。

 彼の体から顔だけ覗かせて、日照雨はもう一度挑戦する。

「元気、出して……ください」

 今度はどうにか、最後まで言えた。

「…………」

 彼は驚いた表情を、アカサカは微笑ましそうな表情を浮かべる。

 店長は――

「ありがとう」

「えへへ」

 眩しそうに目を細めた。


  ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     


 夜の帳が降りて、済み渡る青い空は暗い闇に覆われてしまった。しかし、十四日目の月がぼんやりと夜空に浮かんでいる。

 駅前に建つビジネスホテル、その八階の一室から見下ろす地上は――科学の明かりに満ちていた。自動車が道路を走り抜け、信号が点滅し、街灯は行き交う人を照らし、夜間も営業する店舗からは光がこぼれている。

 濡れた髪に浴衣姿の彼は、窓際の椅子に腰かけていた。首に掛けたフェイスタオルを手で弄びながら――空を眺め、地上を眺め、人を眺め、人の作った物を眺め――静かに夜を過ごしている。

 傍らに日照雨の姿はない。

 だからなのだろう、普段は考えないようなことを考えてしまう。

 人間の探究心が、科学を発展させた。正体の分からない不思議な存在だった妖怪は暴かれ、退治されずして、退治された。それでも不思議なもので、人間は今でも、昔と変わらず恐怖し、信仰し、感謝し――妖怪を生み出している。

 地上は明るい。夜は、時代を重ねるごとに明るさは増してきた。それでも闇が晴れることはない。光があれば必ず、闇は生まれる。

 人間が地上に繁栄している限り、妖怪は肩身を狭くしながらも、深い闇の中で生きている。

 今回の依頼対象も恐らく、そうした中で生まれた――

 ガチャリ、戸の開く音がした。思考の渦が崩れて、現実に帰ってくる。

 音のした方を向くと、部屋の風呂場から日照雨がぴょこんと出てくるところだった。

 しっとりと濡れた黒くて長い髪。起伏のない、なだらかな曲線を描く小柄な体躯。白い肌は、ほんのり桜色に染まっている。

「さっぱりしたか?」

「ええ湯加減どした。せやけど、お風呂とおトイレが一緒やなんて変わっとりますな」

「ユニットバスってやつだね。三点ユニットとか言ったかな」

「ユニット……バス?」

 日照雨が首を傾げる。

「道路を走りはしない」

「せやったら、お魚の方やろか」

「惜し――くないか。バスっていうのは浴槽のことだよ」

「あ、そのバスどすか」

 合点いったのか、手を合わせる。ペチンと湿った音がして、水滴が飛び散った。

「ホテルは部屋を多く作りたいから、水周りは一点に集めて場所を節約してるんだろうね」

「ほへえ、賢いどすな」

「そうだな」

 話が途切れる。

 おほん、と彼がわざとらしく咳払いをした。

「それよりも、雨子」

「なんどすか、旦那さま」

 彼は、胡乱な瞳で日照雨を見つめる。

 彼女が風呂に入る前、彼は部屋に備え付けられていた浴衣を手渡した。今、日照雨はきちんと浴衣を羽織っている。だが――着てはいない。

「帯も渡したよな?」

「はい、ここにありますけど」

 右手に握った帯を見せてくる。浴衣が捲れて、彼女の胸からおへそまでの柔らかな肌と細い太ももが露わになった。

「うち一人じゃようつけれまへんどした」

「前に何度か和服着たことなかったか?」

「そんときは着付けしてもろうたし」

「そうだったか……。仕方ないな」

 ちょいちょい、と手招きする。

「帯」

 帯を受け取る。腕を袖に通させ、左が前になるように整える。

「髪上げて」

 日照雨は素直に従う。彼女を抱き寄せ、帯を背中に回した。

「俺も詳しいわけじゃないから、適当だが我慢してくれよ」

 手際良く、帯を結んでいく。

 日照雨はジッと、彼の動きを見つめていた。

「よし、こんなもんでいいだろ。髪下ろしていいよ」

 体を捻り、日照雨は自分の着ている浴衣――洒落も色気もない質素なそれを、隅々まで見る。

「旦那さま、旦那さま」

「ん?」

 彼女の頬が赤い。

 日照雨は浴衣の両袖で口元を隠す。しっとりと濡れた紅い瞳を嬉しそうに細めた。

「おそろいどすな」

「そうだな」

「ベアルック言うんどすよな」

「それはさっきの雨子のことだ。ペアルック、ね」

「ベやのうてペどしたか」

 ペアルックペアルック、と何度か復唱をする。

 その姿を愛おしそうに眺めながら、彼は彼女の頭を優しく撫でた。まだ乾いていない髪で、彼の指が濡れる。

「む……。雨子、ここに座って」

 立ち上がり、彼女に椅子を譲る。日照雨は彼と椅子とを交互に眺め、素直に腰掛けた。

 彼は首に掛けていたタオルを取ると、彼女の頭に被せる。丁寧に、彼女の髪を拭いていく。

 家とは勝手が違って、色々とおろそかになってしまったのだろう。たまには、こういう世話を焼くのも悪くない。

「ふぁーうーあー」

 心地良さそうな、間延びした声が聞こえてきた。

「髪乾かしたら、今日はもう寝るぞ」

「はあい。一緒のお布団どすよな」

「ダブルベッドだから、そうなるな」

「何がダブルなんやろか」

「寝ることのできる人数だと思うが……」

「なるほど。せやったら、一人しか寝れんのは何て言うんどすか?」

「シングルベッド」

「かっこええ響きどすな」

「……そうか?」

 他愛のない会話をしながら、夜は更けていく。

 きっと、明日も晴れるだろう。そうすれば明日の夜は――

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