一話
丘の上に立つ、大きな洋館。
村に入ってすぐに目に入るそれは、目立つ故にこの村には不釣合だった。
けれど一度その存在を認識してしまうと、そこにそれがあるのが当然だと思えるのだから妙な話だ。
おそらく精神干渉の類の術が仕掛けられているのだろうが、何の為に?
すぐに違和感を感じ取れるほどに雑な術だが、それにしたって範囲は広い。
範囲に比例してその複雑さは大きくなっていくのだから、一介の術者ってわけじゃないだろう。
もしかしたらお遊び程度の術式はわざとなのかもしれないと思いながら、その場に足を止めたまま村一帯をざっと眺めた。
――こうした術の媒体は、どうしたって目立ち易い。
そこを起点に周りに溶け込ませるのだから、それも当然なのだが。
その媒体はあの洋館に間違いないということなのだろうけれど、それにしたって術の意味がないほどにおざなりすぎる。
本来ならこうした術の媒体に使うのは、手に収まるほどの小さなものか、もしくはそこにあっても違和感を感じさせないものだ。
つまり、術者は目くらましの用途でこの術を使っているわけではないのだろう。
よほどの馬鹿でない限り、なのだが。
「――…近寄るなって、警告かねぇ…」
おそらく俺がこの村に足を踏み入れたことを相手はもう知っているだろう。
何しろあの洋館から村の様子は一望できるし、村の入口はあの洋館の真正面にある。
別にたまたま立ち寄っただけの村で悪さをするわけではないが、監視されているようで何となく居心地が悪い。
おそらく触りだけしか知らない術に対する、未知に対する恐れのようなものも含まれているのだろうが。
術、――魔術とも称されるそれは、習えば誰にでも使えるものだ。
逆にいうと、習わなければ誰にも使えないらしい。
人ならざる力を使役し、顕現させる。
最初は数の少なかったそれらの術は、代を重ねるごとにその数と種類を増していった。
今では一族郎党にしか伝承していないらしい術もあるのだというそれの起源を誰も知らない。
そもそも術に関する事柄は記録に残せないように世界が造られているのである。
たとえ残したとしても、それらは何らかの形によりすぐに抹消される。
やがてそれは創造主により与えられたものだという妄言にまで発展し、今じゃそれが悪化してことあるごとの理由付けに創造主が挙げられる。
術師は特にそういった行動が顕著である。
もちろん例外がいると知ってはいるが、それこそ例外。
―――けどまあ、なぁんとなくその例外のような気がすんだよな。
それこそ、何の根拠も理由もなく。
もう一度丘の上の洋館に目をやり、ようやく足をすすめる。
人の良さそうな村人に声をかけて宿の場所を聞き、紹介されたそこの一階部分にある食堂で腰を休めた。
中途半端な時間だったため、軽食を頼むだけに止め出された水を口にしたその時「兄ちゃん、旅人かい?」と向かいの席に一人の男が座った。
日に焼けた肌に、がっしりとした体格。
短く切りそろえられた髪にどこか人好きのする顔立ちのその男は、そのまま厨房へと酒をひとつ注文する。
「ああ、今日ついたばっかりでな」
「へぇ、そうなのか。兄ちゃん、なんか願い事でもあんのかい?」
「…は?」
あまりにも唐突な質問に、思わず妙な声が溢れた。
反射のようなものだったのだが、どうやら男はそれを返答と受け取ったらしい。
「何だ違うのか」そう言って届いたばかりの酒を煽る。
「じゃあなんだってこんな何もない村なんかに来たんだ?」
「なんで、って言われてもなぁ…」
理由なんかない。
俺の旅はいつだって、進みたい方に進んで気の向くままに歩くだけなのだ。
目的地も、するべきことも、何もなく。
それを正直に口にすると、男は奇妙な顔をした。
見覚えのある表情に、しかし気づかなかったふりをして言葉を続ける。
「それに、何もないって言っても何だか此処には珍しい洋館があるじゃないか。ありゃ、なんか曰くつきか?」
その言葉に、男はとうとうその表情を歪めた。
旅人を忌避する村ではよく見るその表情が、さっさと出ていって欲しいと物語る。
男は「そんなんじゃねぇ、ただの洋館だ」と早口で呟き、酒のグラスを持って別の席へと移動していった。