表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

六章 帰省

六章帰省



 三月、俺は実家に帰った。

 母さんは、相変わらずの様子で。俺を盛大なハグとキッスで出迎えた。やっぱり、家のにおいはほっとする。来た人は、口をそろえて「木のいいにおいがする」という。このにおいが、やっと俺を旅の緊張から解放させてくれた。

「いつまで居るの?」

 母さんが尋ねてくる。「長く居ればいいじゃない?」

「そうだな。3泊くらいしていこうかな。」

「もっと居ればいいのに。もう、帰ってきなさい。」

「うん、お金たまったら帰ってくるよ。」

 母さんは、事あるごとに「帰ってきなさい」と言う。けれど、俺はまだ、帰れない。何も収穫が無いのに、手ぶらで帰るなんて。貴重な時間を、こんなにも無駄にしているのに・・・。

「お金なんていいから、かえっておいで。」

 そういう母さんの顔を見ると、心が揺らいだ。


 夕ご飯は豪華だった。男の一人暮らしで食卓に並ぶものなんて、限られている。それを思えば、かつて普通のように食べていた夕ご飯が、ご馳走に見えた。

「ユエちゃん、おかわりは?」

「まだ食べるのか?」

 俺は母さんに空の茶碗を手渡した。

「いつもユエちゃんはこのお茶碗で2膳食べるのよねーッ!」

「のよねーッ!」

「ユエが好きなもの、母さんいっぱい作ってくれたぞ。まったく、いいなぁ、この人は!」

 父さんが、まるで母さんに愛されている俺をうらやむかのように、そんなことを言う。

「やーい、やーい。嫌われ者~。」

 ふざけてはいるものの、それは紛れも無い事実だった。母さんは、俺が生まれてこなかったら今頃この人と離婚していただろう。

「お母さんお父さんの事嫌―い!」

 追い討ちをかけるように、母さんもそんなことを言う。まあ、腰が悪いし、もう60過ぎの老体だから、働き口が無いことはしょうがないのかもしれない。しょうがないのかもしれないけれど、さすがにそれはよいことではない。

 母さんがおかしくなってしまったのも、この人のせいなんだろう。母さんに暴力を振るうかつての父を、記憶の端っこでまだ覚えている。

 それでも、母さんは、父さんを見捨てなかった。それは、「こんなお父さんでも、ユエにとってはたった一人のお父さんなんだものね。」ということからだった。急に離婚したいと言い出した時も、「別れたら、ユエちゃんの帰る場所が無くなっちゃうものね。」と言って、断念した。

 そんなシリアスな家庭事情を覆い隠すかのように、家族の中でおかしな道化が繰り広げられている。

俺が居ない間、この2人はどんな生活をしているのか。想像すると、少し怖かった。俺にとってはなんら変らないこの食卓も、俺が居なくなったらどんなものになっているかわからない。少なくとも、こんな手の込んだ煮物なんて並ばないんだろう。

 それでも確かに、この人はたった一人の父親なんだ。


 不意に目が覚めると、寒かった。隣には、母さんの横顔がある。

 たしか、昔のように川の字になって眠ったはずだった。だが、母さんはいつの間にか俺の布団に入ってきて、無意識のうちに俺の布団を奪ってしまったらしかった。仕方ないので、母さんの布団から掛け布団を引っ張ってきて、定位置にもどって眠る事にした。


 母さんのにおいがした。


 翌朝、気がつけばすでに母さんは居なかった。もう、仕事に行ったらしい。仕事と言っても、家は自営業。宅配便の取次ぎとか、クリーニングの取次ぎとか、そんなことをやっている小売店だ。元は父さんのおじいさんから続いた荒物屋だったが、父さんの代でそれは終わり、いまや母さんがなんとか切り盛りしている。そんな状態だった。

 台所のふちに、危なっかしくお皿が一枚のっている。俺の朝ごはんは、たいていここにあるんだ。いつも、食べないで学校に行ってたから。そのメニューは、たいてい海苔巻きかサンドイッチだった。

 その日の朝ごはんは、なんかいろいろ挟まってる豪華なサンドイッチだった。

 父さんは、相変わらずごろごろ寝て暮らしている。たまに「イテテ、」と腰をさすりながら起きてきては、そこらへんのものを食べて、テレビを見ながらまたごろごろする。

 仕方の無い、父さんだ。

 昼は、いつかのようにホットケーキを作って店に持っていった。裏で、母さんがテレビを見ながら店番をしている。バターと砂糖の甘い匂いをかぎつけたのか、戸を開けるとすでにそこで待ての姿勢をとっていた。

「気が利かないわねえ、コーヒーとかなんか普通つけるでしょう?」

「は?それが物を頼む態度か?」

「うそうそ、ありがとー!ユエちゃん大好きッ!」

「母さんが好きなのは俺じゃなくてこのホットケーキなんだろう?」

「ユエちゃんも、大好きッ!」

 はいはい、だ。

 それと交換に、母さんがまた隣の店から買ってきた菓子パンをくれた。

「ほら、あのクリーム入ってるやつ、好きだったでしょ?」

「うん、ありがとーッ!」


 コーヒーを入れる。だが、ポットのお湯が冷めているし、もうほとんど無くなっていた。仕方が無いのでヤカンに湯をはって火にかけた。

たった壁一枚。壁一枚下で、母さんはどんな顔してホットケーキを食べているんだろう。


 コーヒーを持って行くと、それと交換に白いお皿が返ってきた。

「もう食いおわってんじゃん!」

「ああいうのは温かいうちにたべなくちゃおいしくないでしょう?」

「まあ、そうだけど。」

「ご馳走様。ムチュッ!」

 「グロテスクなタコ」のような唇で待てしながら目を瞑る母の鼻の先で、ぴしゃりと戸が閉まった。いや、閉めた。まったく、バカばっか!


 夜になった。店を閉める音がして、やがて母さんが二階に上がってきた。

「今日はカレーにしよう。」

 そう言うと、そそくさと調理を始めた。

 コタツの上には、昨日の残りも含め、またしてもご馳走が並んだ。二膳目は白いご飯で、イカの塩辛を食べた。

母さんの塩辛は、安心して食べられる。母さん几帳面だから、寄生虫など絶対に居ない。そんな塩辛に慣れていたので、一人暮らしを始めてから、皮のついた既製品の塩辛の残り汁をご飯にかけた時、ぷつぷつとした、原型は残っていないものの明らかにこれは寄生虫の死骸であろうと思われる白い小さな塊を見てしまった時、凄まじい衝撃を受けたのだった。

「ユエちゃん、おいしい?」

「うん。」


 そうか、もう二日目の夜か。落ち着いて家族で食べれる夕ご飯は、今晩で終わりか。そう思うと、なんだか寂しくなった。次は、夏休みとか、お盆とか。そんなものだろう。


 その日も、やっぱり川の字になって寝て、やっぱり母さんが俺の布団に入ってきて、やっぱり気づけば俺だけ寒かった。

 こんな年になって、こうやって寝るなんて。恥ずかしい話だが、たまにはコレもいいだろう。俺が母さん以外の女性とこうして眠る姿なんて、全然想像がつかない。想像がつかないが、母さんに孫を見せてあげられたら、それは幸せな事だと思う。きっと、母さんは喜んで、孫を抱っこするんだろう。


 朝になると、やっぱり母さんはもう居なかった。

 身支度を済ませて、店の裏のソファに座る。なんか、ここにいたい気分なんだ。とりあえず、一晩眠ったであろう昨夜のカレーを二人前持ってきた。今度はちゃんとコーヒー付きだぞ。


「あら、気が利くじゃない?」

「まーね!」

 母さんが店先から戻ってきて、ソファに落ち着いた。早速カレーをほおばる。

 静かな空間に、カレーのにおいが立ち込めて、テレビがせわしなくしゃべったり笑ったりしている。要するに、食っているときは静かなんだ。

「ご馳走様!あとかたづけもしてくれるの?ありがとう!」

「え、そんなこと言ってない」

「気が利かないわねぇ。」

 俺はすごすごと持ってきたものをお盆に載せて台所に持ち帰ってきた。

 そういえば、「跡形付け」と称して、母さんの首にキッスマークを付ける遊びをしていたことがあった。あ、もちろん小さい頃のお話だ。今やったら、しゃれにならないだろう?


 洗い物を終えた頃、「ユエちゃーん!」と、遠くから呼ばれた。

「何?」

「お店番してなくちゃいけないから、夕ご飯の買い物してきてちょうだい?今夜はお刺身にしましょ。」


 たいてい、手っ取り早く済ませるならお刺身にする。この春先は、カツオもいいかもしれない。マグロより味があって俺は好きだ。

 通りには、まだ雪が残っていた。泥にまみれた汚い雪だが。それでも、ずいぶん会っていなかった旧友に再会したかのような気分だ。ほとんど何も変っていない通りを歩きながら、幼い頃の自分に思いを馳せた。

 なじみのスーパーにつくと、もうイチゴが並んでいた。と言っても、イチゴなんか冬でも並んでいるのだが。なんとなく、春って感じがするじゃないか。誰か知人に会わないだろうかと期待したものの、結局誰にもあわなかった。

そうして、買い物は難なく終了した。


 夜、最期の晩餐。そんな気持で一口一口味わった。母さんの背後に見える紅いキャリーバックと、すっかり綺麗にクリーニングされたクマのぬいぐるみが余計にせきたてる。もう、帰らなくてはいけないのだと。


 カツオをじっと眺めながら食べる俺に、母さんは言った。

「虫いないから大丈夫だよ!」

 そう、俺は背中のほうを買ってきたから。いや、そうじゃなくてさ・・・。



 結局、最後までそんな家なんだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ