一章 ミスター・クロックマンの幻想
この物語は、フィクションDEATH▼(◎∀<)ノシ~☆
人は、一つの世界に共存しながらまったく別の世界に生きている。
[トオリモノ]
一章 ミスター・クロックマンの幻想
「幸せって、なんなんだろうな・・・。」
足元で団子になっている毛布を蹴り飛ばして、寝返りをうつ。枕カバーから、ほのかな汗のにおいがする。頭上のクーラーは加減を知らず、部屋はもはや寒すぎるくらい冷えていた。
「幸せって、なんなんだよ・・・。」
虚空に消える自らの問いに、答える者は無く。ただ、小さな水槽のモーター音に混じって、水の流れる音が聞こえてくるだけだった。
「・・・、母さん。」
けして、このユエという男がマザコンだったわけではない。マザコンではないものの、お母さんっ子であったことは否定しがたい事実である。ユエの父親には職が無く、変わりに母親が身体を張ってユエを育ててきた。そんな母親の姿を見て育ったユエは、いつか母親を幸せにしてやりたいと心に誓って、道の果ての田舎から、わざわざ東京なんていう都会にふらりと出てきたのである。
しかし上京して2年目の初夏。ユエの母親は自殺した。
あの時の言い知れない恐怖は、きっと死ぬまで忘れないだろう。サークルの帰りにケータイで知らされ、その足で新幹線に乗り込み。乗り物酔いしながらも、ふらふらと帰宅した。その家で俺を出迎えたのは普段めったに顔を合わせない親戚のおばさんで。
玄関口までその異様なにおいは漂ってきた。この家のにおいではない。菊とゆり、それとお線香のにおい。2階にあがると、おばあちゃんが来ていた。棒立ちしてその光景を眺める俺は、おばちゃんに手を引かれて、上着を着たまま座敷に通された。
開け放たれたそのふすまの向こうに、白い布を顔にかけて横たわる、母さんがいるんだ。
なんだよ、この異常事態は・・・。
おばあちゃんに強制的にその白い布を剥ぎ取られて。俺は問答無用にその顔を見せ付けられた。
若干鬱血して紫がかった、生気のない母さんの顔。微笑んでいるようなその顔に、ぞっとした反面で、うっとりと見とれてしまった。ああ、いつもの母さんだ・・・、って。けれど、その頬は氷のように、冷たくて。浴衣の衿から、くっきりヒモの痕が見えた。
俺は、涙を止められなかった。
酷く、酷く怖かった。
アレから、もう一ヶ月半は経過した。49日は実家に帰らなかった。
人は、死んだ後49日はこの世。あるいはその家に居るのだという。いわゆる、あの世で成仏するための試練があって。それが終わるのが、その49日なんだとか。
はたしてそれが事実なのかはわからない。けれど、俺にはわかるんだ。母さんは、まだ、ここに居る・・・。そんな気がする。
ユエは葬儀が終わってしばらく実家に居たが。10日ほどでまた東京に帰ってきた。それから今の今まで、学校に行くわけでもなければバイトをするわけでもなく、部屋に引きこもっていたのだった。
「何、したいんだろうな。俺・・・。」
夢は、もう叶わない。幸せにしたかったその人は、もう居なくなってしまった。
まるで、この世界のものがすべて脱色されてしまったかのように。それらにまったく興味関心を示せなくなっていた。今になって解る。俺は今まで、自分自身の存在意義を母さん所以のものにしてきたんだ。 ただひたすら、母さんの誇りになりたかった。
そんなことよりもまず先に、最愛の母親の自殺という異常事態をどうやって納得すればいいのか。それをなんとかしない限り、先へは一歩たりとも進めるような気がしないのだが。無論納得などしようがなかった。
今のところ有力なのは、「母さんは自分を愛してくれていた。俺が大人に成ったから、信頼してくれたから、もういいと思って・・・。
「じゃあ、どうして待っててくれなかったんだ!!」
そんなもの、ただの幻想だ。俺を慰めるための、甘い幻想に過ぎないんだ・・・。
不意に声を上げたユエの目じりを、涙が伝う。耳のふちをそって、赤茶けた髪の毛に落ち、茶色い布団に黒ずんだ痕を残して消えた。
その夜、幼い俺は母さんに甘えていた。とても、幸せだった。
ジリリと無常に鳴り響く目覚ましの音と共に、ユエは目を覚ました。目覚まし時計がなりつづける中、しばし呆然と虚空を眺めていた。
「今のが、夢・・・。コレは、現実?コレが・・・、現実・・・。」
こざっぱりとしたさびしい部屋は、朝も夜も変わらない。薄暗いその空間に、小さい水槽が一つ。モーター音に混ざって、水の流れる音。それと、ユエのすすり泣く声がひとつ。
気がつくと、夜だった。
俺はまた、ぼんやりと母さんのことを思っていた。
「お前の世界だ。どう会釈するも、お前次第なんだぞ。」
不意に、声がした。俺は驚いてはいたが、自分でも恐ろしいほど冷静だった。ただ、激しく鼓動する自分の心臓の音が、耳元に聞こえていた。
「だ・・・、だれだッ!!」
思い切って、身を起こして部屋を見渡す。
窓ガラス越しに、クモが一匹。水槽はいつものように稼動していて、小さな虫がライトの周りを飛んでいる。押入れの戸が開いたが、その向こうにはひたすら闇があるばかり。
「いやだなぁ。知っているくせに・・・。」
その声はすぐ背後から聞こえてきた。
振り返ると、黒い布を全身にまとった人物が、俺の隣に座っていたのだった。
「そんなに驚かなくたっていいじゃないか?俺たちは友達なんだから。そうだろう?ユエ。」
コイツと友達であった事など一度も無い。だが、知らない人物であるとは、言い切れなかった。
「クロックマン・・・、なのか?」
「失敬な。ミスター・クロックマン。だ。」
ミスター・クロックマン。彼は、俺が作った架空の人物。僕が現実を見る傍らで、彼は魔法を現実のものにできる力を持っている。
「ユエ。そんなに辛い現実を見たいのか?」
「・・・。」
ミスター・クロックマンは、いわばもう一人の俺といってもいいだろう。俺の考えていることは、まるきりお見通しで。それに関していつも指図してくる。こうして具現化したことはさすがに無かったが。
「お前の母親は、お前を愛してくれていた。それではいけないのか?お前が一人前になったから。それまで耐えた。もういいだろうと。そして死んだのなら・・・。きっと今もおまえについていてくれている。この先、色んな災害から守ってくれるだろう。お前の母親が、お前を殺したりなどするものか・・・。」
ミスター・クロックマンは、すらすらと俺が俺を諌めようと心に描いていたそれを読み上げた。
「これでは、ダメなのか?あの顔を見ただろう?」
「あの」
やすらかな、
「笑顔を。」
だって、
「だって・・・。」
解っている。ミスター・クロックマンは、俺を守る存在。苦いコーヒーに砂糖を入れてくれる。そして、コレがコーヒーだと、そう認知させてくれる。そんな存在なんだ。
だから、
「アレは・・・、アレは・・・、」
「よせ。」
「病院で、加工された顔なんじゃ」
「お前が俺を否定したら、」
「本当は・・・、」
「それがお前の現実に」
「首吊り自殺って・・・。」
脳内に一瞬。カメラのフラッシュのような。けれど、どんな現実よりも鮮明な。体験したことの無い現実の、空想のかけらが・・・。
その瞬間、ユエは酷いものを見た。ユエは未加工の自殺現場をまざまざと想像して現実にしてしまったのだ。ユエの瞳から、また大粒の涙があふれ、目の前の惨劇を言葉の羅列にしたような、そんなものが口からとめどなくあふれてきた。
「もう、忘れるのだ」
そう言いながら、ミスター・クロックマンは俺に優しい思い出の場面をいくつも見せてくれた。
「言っていることとやっていることが違うじゃないか」
「俺も、お前の母親の子供なんだ・・・。」
忘れなくては、この苦しみから解放されることは無いだろう。だが、苦しくても忘れることを許さない俺が居た。ずっと、ずっと泣いていたい。俺は、まだ母さんの子供。まだ、甘えていたいよ・・・。
「自殺したものは、あの世にはいけない。だから、まだこの世にいることで自分が死んだと気がつかないまま、生きている人の身体に憑依して何度も死のうとする。」
「それを、トオリモノと呼んだりする。」
俺とミスター・クロックマンの中にある、前提にある知識が、不意に心の中によぎった。
「いいよ、それが母さんなら。母さんは、俺を殺したりしない・・・。」
はたして、本当にそうだろうか・・・。
「・・・あれ?クロックマン??」
不意に、俺は消された。変わりに、ユエの疑念が大きく膨れ上がり、現実となってユエの目前に現れたのだ。こうなっては、もうとめられない。
翌朝、先生が暗い顔で教室に入ってきて言った。
「ユエが昨夜、自分の部屋で首を吊っているのが発見された。病院に搬送されたが、すでに・・・。」
ああ、ユエはトオリモノに殺されたのだ。そう思った・・・。