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第7章 猶予

婚約が確定してから、数日後のことだった。


「結婚までは、約一年を予定しています」


そう告げたアルジェリスの声は、いつもより少しだけ明るかった。

その表情には、はっきりとした安堵が浮かんでいる。


「準備の時間も必要ですし、無理のない日程でしょう」


未来の予定を語る声音だった。

そこに迷いはなく、穏やかで、前向きだ。


澪の胸が、ふっと軽くなる。


――一年。

思ったより、長い。


「……一年、ですか」


そう返すと、アルジェリスは頷いた。


「急がせるつもりはありません。澪が落ち着いて過ごせる時間が必要だと思いました」


その言葉を聞いた瞬間、

澪の胸に、小さな熱が灯る。


「……ありがとうございます」


思わず、感謝を込めてそう答えていた。


――嬉しい。

この人は、ちゃんと自分のことを考えてくれている。

そう、思えた。


……けれど。


すぐに、澪はその感情にブレーキをかける。

違う。

そうじゃない。


これは、

婚約者としての配慮であって、

魂の伴侶としての“正しい判断”であって。


私個人を見ての選択とは、限らない。


胸の奥で、喜びが静かにしぼんでいく。

それ以上、この話題を続けることはなかった。



――――――



後日、

澪は神殿の一室に呼ばれた。


待っていたのは、神殿関係者の女性だった。

年齢は分からないが、落ち着いた物腰で、声も穏やかだ。

アルジェリスの姿はない。


「本日は、少しデリケートなお話をさせていただきます」


そう前置きしてから、女性は続けた。


「アルジェリス様は、すでにすべて承知されています。

ですので、これは澪様ご本人への説明になります」


澪は、小さく頷いた。


「異世界から召喚された方は、正式な結婚の儀が終わるまで、いくつかの禁忌が設けられています」


禁忌。

その言葉に、澪は背筋を正す。


「具体的には、口づけから先の行為は禁止です」


一瞬、思考が止まった。

口づけから、先。


今ですら距離が近くて、心臓が落ち着かない。

それ以上なんて、恥ずかしすぎて考えられない。


「これは、魂の伴侶であるかどうかに関わらず、異世界からの召喚者すべてに適用される規則です」


例外はない。

そう、静かに告げられる。


「万が一、禁忌が破られた場合」


女性は、言葉を選ぶように一拍置いた。


「召喚は解除され、元の世界へ強制的に戻されます」


澪の胸が、ひやりと冷えた。


強制送還。

その言葉が、澪の中で重く響く。


――戻される。

元の世界へ。

崖から落ちた、あの続きを。


喉の奥が、きゅっと詰まる。


このことは、誰にも話していない。

自分が、どういう形でこちらへ来たのか。


だからこれは、

澪の中だけにある、勝手な想像だ。


けれど。


強制的に戻されれば、

おそらく――生きてはいられない。


「逆に」


女性は、淡々と続けた。


「結婚の儀において、正式に口づけを交わした時点で、澪様の身体はこの世界に定着します」


固定。

この世界に。


それは、帰れなくなるという意味でもある。


澪は、静かに頷いた。


怖くなかったわけではない。

けれど。


内心では、少しだけ、ほっとしていた。


少なくとも、

今すぐ何かを求められることはない。


禁忌があることは、

自分を守る柵でもあった。


説明が終わり、ひとりになってから。

澪は、静かに考える。


一年。

与えられた猶予。


アルジェリスは、

きっとこの一年を、

「共に歩む準備の時間」だと思っている。


でも、澪にとっては違う。


――そのあいだに。


代役であることを、伝えられるだろうか。

本来の魂の伴侶を、どうにかして見つけられないだろうか。


もし、それが叶えば。


アルジェリスは、

この魂の伴侶という縛りから、解放される。


自分がいなくても、

選べるようになる。


それは、

彼の感情を、自由にすることだ。


澪は、静かに息を吐いた。


今はまだ、時間がある。

この一年の間に、

間違ってしまったすべてを、正しく戻さなければならない。


そう思いながらも、

澪は、ほんのわずかに願ってしまう。


――せめて、半年くらいは。

彼の傍にいても、許されるだろうかと。


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