第6章 婚約
「婚約が、決まりました」
アルジェリスは、いつも通りの声で言った。
けれど、その言い方はどこか――ほんの少しだけ、機嫌がいい。
その瞬間、澪は、自分でも驚くほど胸が高鳴った。
――嬉しい。
そう思ってしまったのだ。
先に浮かんだのは、安堵だった。
ここにいていいのだと、
彼の隣に立っていていいのだと、
そう言われた気がして。
名前を呼ばれ、未来の話を当たり前のようにされる。
拒まれていない。
必要とされている。
その事実だけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
――ああ、やっぱり。
私は、アルジェリスが好きなのだ。
そう気づいた、次の瞬間。
「……え」
声になったのは、それだけだった。
返事というより、音に近い。
突然、現実に引き戻される。
婚約。
今、婚約って言った?
「王に報告しました。了承されています」
淡々と続く説明が、逆に現実味を奪う。
了承。報告。確定。
そこに「相談」という単語は、ひとつもない。
「……待ってください」
ようやく声が出た。
喉が変に乾いている。
「えっと……婚約って、私に聞かないものなんですか?」
自分でも驚くくらい、まともな突っ込みだった。
澪は混乱していた。
混乱しているからこそ、順番がおかしいところが目につく。
「あなたが嫌だと言う可能性があるなら、確認します」
アルジェリスは即答した。
迷いがない。
「……嫌だとかじゃなくて」
澪は、額を押さえたくなった。
そこじゃない。
「……私たち、まだ出会って二か月です。二か月で婚約って、早すぎませんか」
口にした瞬間、ああ、と思う。
早い。展開が早い。
アルジェリスは、わずかに言葉を止めた。
ほんの一瞬。
不安げに揺れた表情が、確かにあった。
澪の胸が、きゅっと締めつけられる。
けれど、澪はすぐに思ってしまった。
――それは、本当に彼の気持ちなのだろうか。
魂の伴侶だから。
そう定められているから。
それは、彼自身の感情ではなく、
そう思い込まされているだけなのではないかと、
どうしても、思ってしまう。
「私は、あなたを不安にさせたくありません」
静かな声だった。
言い訳でも、押しつけでもない。
その言葉を聞いた瞬間、
澪は、自分の不安を見抜かれているのだと思った。
そして、それがとても嬉しかった。
ここにいていいと、
選ばれていると、
そう思えたことが。
――だから。
「……分かりました」
澪は、視線を落としたまま言った。
「急すぎるとは思いますけど……」
少し間を置いて、続ける。
「本当は、すごく嬉しいです」
一気に顔が赤くなるのが、自分でも分かる。
アルジェリスの表情が、わずかに緩む。
それを見て、嬉しい半面、胸の奥がまた痛んだ。
遅れて、罪悪感がはっきりと形を持って押し寄せてくる。
これは、本物じゃない。
魂の伴侶だから。
役割だから。
代役だから。
本来、ここに立つはずの人は、別にいる。
その人が現れたら、
この場所は簡単に失われるはずだ。
それなのに。
嬉しい、という気持ちのほうが、
どうしても勝ってしまう。
未来を語られるたび、
心が前へ引き寄せられる。
――言わなきゃいけない。
代役だということ。
本当の人がいるかもしれないこと。
分かっているのに。
澪は、口を開けなかった。
この喜びを、
自分から壊す勇気がなかった。
結局、まただ。
罪悪感を抱えたまま、
嬉しさにすがってしまう。
代役のままで、
ここに立つことを選んでしまう。
澪は、静かに息を吐いた。
――それでも。
私の気持ちだけは、
偽物じゃないと思った。




