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第5章 アルジェリスとの日常

アフィーリアに来て、ひと月が過ぎた。

王や重臣たちとの面談は、すでに終わっている。

生活だけが、先に動き出していた。


澪は、王宮内の診療所で働き始めている。

週に五日、朝九時から夕方四時まで。


アルジェリスに頼み、

神殿と王宮の双方の了承を得た結果だった。


診療所は、常に人手が足りていない。

医師が三名、看護師が六名。

軽症から重症まで、患者が途切れることはほとんどなかった。


「澪が来てくれて、本当に助かる」


そう言われるたび、胸の奥が少しだけ温かくなる。


ここでは、彼女は「魂の伴侶」でも、「花嫁」でもない。

ただの、異世界から来た医療従事者だ。


身分も、肩書きもない。

だからこそ、皆は自然に接してくれた。

それが、ありがたかった。


一方で、アルジェリスは相変わらず忙しい。

戦闘に出ていない日でも、隊長としての業務が山積みだ。


書類仕事。

部隊配置の判断。

彼自身が出るほどではない事案の処理。


王宮内、兵の宿舎にある彼の部屋は、隊長用だけあって、そこそこ広いらしい。

もっとも、澪が足を踏み入れることはなかった。


澪は、神殿内の一室を仮住まいとして使っている。


澪付きのメイドは一人。

リタという名の、十九歳の女性だ。


明るく、元気で、気を使わせるような距離感もない。


彼女と無理なく関係を築けていることに、澪は密かにほっとしていた。


異世界の生活に不慣れな澪を、リタは自然な形で支えてくれている。


とはいえ、澪は基本的に自立していた。

リタの休みの日には、メイドはいない。

それで困ることも、特にはない。


そんな日々の中で――

アルジェリスは、二日に一度ほど、澪の部屋を訪れた。


「今日は、ここで食べていってもいいですか?」


そう言われて、

「二人分、準備してもらいますね」

澪は頷く。


神殿の部屋に運ばれた、簡素な夕食。

湯気の立つスープと、焼いた肉、固めのパン。


特別なものではない。

けれど、彼が来る日は、なぜか食卓が少しだけ明るくなる。


「……今日も、忙しかったんですか」

「ええ。書類が山ほどで」


そう言いながら、アルジェリスは当然のように澪の隣に腰を下ろす。


――近い。


椅子は、まだ空いているのに。


肩が触れ、腕が触れ、気づけば背中に、軽く手が添えられていた。


最初は驚いて、

次は戸惑って、

今は――。


ドキドキしすぎて、どう反応していいか分からない。


「……あの、近くないですか」


いつも通り、そう伝えてみる。


アルジェリスは不思議そうに首を傾げた。


「そうですか?」


そう言って、手を引く気配はまったくない。

むしろ、指先が、軽く澪の背に回る。


――だめだ、顔が熱い。


自分でも分かるほど、頬が火照っていた。


視線を逸らし、スープを口に運ぶ。


「……美味しいですね」

「はい」


短い返事。


それだけなのに、隣にいるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


アルジェリスは、優しい。


口数は少ないけれど、澪の話をきちんと聞く。


仕事のことを聞けば簡潔に答え、危ない話は、決して詳しく語らない。


触れる手も、抱き寄せる腕も、乱暴さはない。


――だから、余計に。


澪は、もう分かっていた。


性格も、言葉の少なさも、不器用な優しさも。

全部含めて。


――好きになってしまった。


容姿端麗で、性格も良くて、

それが役割に由来する感情だとしても。


これで心が動かない方が、きっと無理だ。


生涯ないと思っていた恋愛を、少しだけ楽しんでもいいのではないか。

そんな考えが、胸をよぎるようになった。


澪がここにいるだけで、彼の力が安定しているのは事実だ。


代役だと告げたところで、本来の魂の伴侶と交代する方法も分からない。


だからといって、罪悪感が消えるわけではなかった。


このひと月で、澪の日常はすっかり変わってしまった。


働いて、暮らして、そして――彼を想う。


――このままでいいのか。


そんな疑問は、今はまだ、胸の奥にしまったまま。

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