第4章 告げられる役割
移動結界は、音もなく展開された。
足元の魔法陣が淡く光り、次の瞬間、周囲の景色が一変する。
ひんやりとした空気。
先ほどまで漂っていた戦場の匂いは、もう残っていなかった。
「……ここは?」
澪が小さく呟くと、すぐ隣から声が返ってくる。
「神殿です」
アルジェリスは、当然のように答えた。
気づけば、また距離が近い。
肩が触れそうなほどだ。
――近い。
この距離感、どうにかならないのだろうか。
ただでさえ、心臓が落ち着かない。
奥から、数名の人物が姿を現した。
年齢も性別もばらばらだが、どこか共通して、張りつめた表情をしている。
「……お戻りになられましたか」
先頭に立つ人物が、深く頭を下げた。
「無事で何よりです、アルジェリス様」
その呼び方に、澪は内心で息を呑む。
――やっぱり、相当な立場の人だ。
アルジェリスは軽く頷き、一瞬だけ澪の方を見た。
「こちらが、今回召喚された方です」
それだけだった。
だが、その一言で、神殿側の視線が一斉に澪へ向けられる。
安堵。
感謝。
そして、言葉にしきれないほどの重み。
「……よくぞ」
「ありがとうございます……」
小さな声が、あちこちから漏れる。
澪は反射的に一歩下がりそうになり――それを、背中に添えられた手が止めた。
アルジェリスの手だ。
押すわけでも、抱き寄せるわけでもない。
ただ、そこにある。
――逃げ場がない。
「まずは、説明を」
神殿長と思しき人物が、澪に向き直る。
「混乱されているでしょう。
無理もありません」
その声だけは、穏やかだった。
「あなたは、この世界――アフィーリアにとって、
極めて重要な存在として召喚されました」
「……重要、ですか」
思わず、聞き返してしまう。
「はい」
神殿長は、静かに続けた。
「この世界が大きく傾いたとき、
強大な魔力を持つ存在が現れます。
それが、この世界の理です」
視線が、一度アルジェリスへ向けられる。
「そして、その存在こそが、
アルジェリス・ノクティルナ様です」
澪は、言葉を失ったまま聞いていた。
「あなたが傍に現れたことで、
彼の力は明確に上昇しました」
神殿長は、間を置いて告げる。
「あなたは、アルジェリス様の魂の伴侶。
その認識に、疑いはありません」
そのときだった。
アルジェリスが、はっきりと口を挟んだ。
「彼女は、私の真の花嫁でもありますから」
迷いのない声。
澪は、思わずそちらを見る。
「……え?」
だが、神殿側は驚かない。
むしろ、納得したような表情を浮かべていた。
「そう認識されてしまうのも、
仕方がないことでしょう」
神殿長はそう言い、二人へと視線を向ける。
「ですが、誤解なきよう。
これは感情の問題ではありません。
役割であり、契約です」
周囲の空気が、それを疑う余地のない事実として受け止めている。
澪の思考は、そこで完全に止まった。
魂の伴侶。
――それは、神殿にとっては、力を支えるための役割にすぎない。
けれど。
彼だけは、そこに、迷いなく「花嫁」という言葉を重ねていた。
それを、誰も否定しなかった。
――何、それ。
頭が、追いつかない。
そのとき、ふいに、記憶の底からひとつの声がよみがえった。
――君は、正式な人じゃない。
胸の奥が、すっと冷える。
――本来の人は、別にいる。
――でも、今はどうにもならない。
すぐに、軽い調子に戻って――
――だから、お願い。
――ちょっとだけ、付き合って。
あれは、選択じゃない。
覚悟でも、誓いでもない。
ただの、この世界の都合。
澪は、唇を噛む。
この人は――抗いようのない力に、そう思わされてしまっている。
本来なら、選ばれるはずのない自分を、
なぜか「花嫁」とまで認識してしまっているだけだ。
澪のせいじゃない。
そう言われれば、そうなのだろう。
それでも。
――私は、間違いなく代役だ。
本来ここに立つはずの人は、別にいる。
澪は、誤解を解かなければと思った。
だが、この空気の中で、「私は代わりです」などと、口にできるはずがなかった。
彼の力が上昇したのは、確かなのだろう。
――代役でも、役目は果たせてしまう。
そういうことなのだと思った。
神殿全体が、救われたという安堵に満ちている。
――世界が、救われた。
そんな雰囲気だけが、確かに、そこにあった。
澪には、この状況が理解できなかった。
それでも。
背中に触れる手の温度だけが、妙に、はっきりと現実だった。




