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第3章 距離の測り方

気づいたとき、澪は誰かの腕の中にいた。

視界が高い。

地面が遠く、足先が宙に浮いている。


「……?」


一瞬、状況が理解できなかった。

次の瞬間、自分が抱え上げられているのだと気づき、思わず息を呑む。


「動かないでください」


落ち着いた声だった。

ついさっき、戦場で聞いた声。


恐る恐る顔を上げると、銀色の髪が視界に入る。

彫りの深い、人形のように整った顔立ち。

金色の瞳が、至近距離からこちらを見下ろしていた。


――近い。


思考より先に、そう感じてしまう。


周囲では、戦闘後の処理が静かに進んでいた。

武器を収める音、短い指示、抑えた声。


「第六班、周辺警戒を継続」

「衛生担当、負傷者の確認を」


誰も、この光景を不自然だとは思っていない。

むしろ、当然のように受け入れている。


「……あの」


澪が声を出すと、彼はすぐに視線を落とした。


「はい」


敬語だった。

それだけで、少しだけ落ち着く。


「ここは……どこですか?」

「アフィーリアです」


即答だった。


「先ほどまでの場所は、結界の亀裂が発生していた戦域です」


知らない言葉ばかりだ。


澪が黙っていると、彼は一瞬だけ言葉を切り、改めてこちらを見る。


「申し遅れました」


なぜか、そのまま抱えた状態で名乗られる。


「アルジェリス・ノクティルナです。

 この部隊の指揮を任されています」


簡潔な自己紹介だった。

称号も、余計な説明もない。


それでも、周囲の空気がわずかに引き締まる。


――この人は、ここでは特別な立場の人だ。


「……助けていただいて、ありがとうございます。

 山田澪と申します」


自然と敬語になった。


彼は一瞬だけ目を伏せ、それから澪を見る。


「こちらこそ」


距離は、相変わらず近いままだった。


そのとき、澪の視界の端に赤いものが映った。

彼の腕。

衣服の隙間から、血が滲んでいる。


「……怪我、されています」


考えるより先に、口が動いていた。


「軽傷です」


即答だった。


澪は視線を逸らさず、腕を見る。

出血量、裂け方、腫れ。


「……確かに、命に関わる状態ではありません」


一度そう告げてから、続ける。


「私、看護師です。

 応急処置の経験があります」


金色の瞳が、澪を捉える。


「ですので、まずは状態を確認させてください」


一瞬、彼は考え――静かに首を振った。


「いえ。

 私はたいしたことがありません」


澪は、思わず眉を寄せる。


「部下を先に見ていただけますか。

 私は後で構いません」


あまりにも自然な言い方だった。


――この人、いつも自分を後回しにする。


澪はそう直感する。


改めて確認する。

確かに軽傷だ。今すぐの処置は不要。


「……分かりました」


一度、頷く。


「ですが、後で必ず診ます。

 これは約束です」


「承知しました」


即答だった。

その素直さに、少しだけ戸惑う。


「衛生担当」


アルジェリスが周囲へ声をかける。

腕に衛生標章を付けた兵士が、すぐに応じた。


「こちらです」


「この方は医療経験者です。

 手当てに加えてください」


即断だった。

迷いは一切ない。


「承知しました」


そのまま、アルジェリスは腕に力を込め直す。

次の瞬間、ふっと身体が下がった。


澪の足裏が、しっかりと地面に触れる。


「……ありがとうございます」


思わずそう言うと、彼は当然のように頷いた。


「必要でしたら、また支えます」


さらりと言われて、澪は一瞬、言葉に詰まった。


澪は、衛生兵と並んで負傷者を確認して回る。


裂傷。

擦過傷。

打撲。


「痛み、強くないですか」

「無理に動かないでください」

「今は大丈夫でも、あとで出てきますから」


声と手が、自然に動く。


二十歳から看護師として働いてきた。

循環器、小児科、手術室、救急外来。


血にも、混乱にも、慣れている。


負傷者の大半は軽傷だった。

止血と固定で十分対応できる。


中等度と判断できるのは、一名だけ。


「この方は、医師に見せた方がいいと思います」


澪の言葉に、衛生兵がすぐ頷いた。


「同意します。移動結界を使用します」


説明を受け、澪は小さく頷く。


負傷者が後方へ送られていくのを見届けてから、澪は振り返った。

アルジェリスが、少し離れた場所に立っている。


「お待たせしました」


そう言って、治療に必要な距離まで近づいた――が、なぜか、彼はそれ以上に距離を詰めてくる。


――近い。


距離が、想像以上に近い。


「……あの」


視線を彷徨わせながら、口を開く。


「少し……距離をとっていただけると……」


彼が、首を傾げる。


「なぜですか?」


即答だった。


「……え」

「処置の妨げになりますか?」


真剣な表情で問い返される。


「い、いえ……そういうわけでは……」


「でしたら、このままで問題ありません」


理路整然と、結論を出される。


「……」


澪は、何も言えなくなった。


――この人、本当に分かっていない。


「……では、処置を続けます」


それだけ言って、顔を正視できなくなり、視線を逸らす。


「お願いします」


距離は、結局、変わらなかった。


落ち着いてきた途端、心臓がやけにうるさい。

きっと、顔も真っ赤だ。


状況は、相変わらず意味が分からない。

ここがどこかも、なぜ自分がいるのかも。


それでも。


今は、目の前の怪我を処置する。


澪は、静かにアルジェリスの腕に手を伸ばした。

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