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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

雨傘

作者: 壱寸先闇朗
掲載日:2025/12/29

雨傘


今から八年前の話だ。

二〇一七年、お盆の少し前。

当時、私は三宮界隈に住み、

同じく三宮にある職場へ徒歩で通勤していた。


その日も仕事を終え、夜七時か八時頃だったと思う。

外は小雨が降っていて、私は傘を差しながら、

いつもの国道沿いを歩いて帰っていた。

家までは十分から十五分ほど。

特別なことは何もない、いつもの帰り道だった。


ところが、家まで残り三、四百メートルほどの場所で、

なぜか左にある路地へ曲がりたくなった。


理由は分からない。

疲れていたわけでもないし、急いでもいなかった。

気づけば、体が勝手に曲がっていた。


「この先にコンビニがあったな」


そんな軽い理由を、後から自分に言い聞かせた。

傘を差したまま、細い路地を進んでいった。


二百メートルほど歩いた時だった。

突然、傘のすぐ上に、はっきりとした気配を感じた。


何かが、真上にいる。

落ちてくる――。


反射的に身を引いて、すぐ上を見上げた。

だが、そこには何もない。


「気のせいか」


そう思い、歩き出そうとした瞬間、

ふわりと、線香のような匂いが鼻をかすめた。


その匂いで、ある出来事を思い出した。


それは一年前、二〇一六年の秋。

同じ路地にあるコンビニに立ち寄っていた時のことだ。


店内の雑誌棚で立ち読みをしていると、

外から突然、


「ガシャガシャガシャッ!」


と、金属が激しく擦れるような、

異様に大きな音が響いた。


思わず顔を上げた。

これは事故だ、と直感するほどの音だった。


外を見ると、すでに人が集まり始めていた。

気になって店を出ると、

四つ角の交差点に赤い車が止まっている。

周囲からは、


「大丈夫か!」

「救急車呼んだか!」


と、切羽詰まった声が飛び交っていた。


野次馬になるのは良くないと思いながらも、

何が起きたのか確認せずにはいられず、

私は人の隙間から中を覗いた。


そこで目に入った光景に、息が詰まった。


赤い車の前輪が、わずかに浮いている。

その下に――

女性らしき人物の、腰から下だけが、

うつ伏せの状態で見えていた。


「……人身だ」


シャッターや壁にぶつかった形跡はない。

道路の真ん中で、車が何かに乗り上げている。


私はそれ以上、近づけなかった。

周囲にはすでに人が多く、

下手に出しゃばれば邪魔になるだけだと思い、

その場を離れた。


ただ心の中で、

「どうか助かってほしい」

そう願いながら、その日は家に帰った。


数日後、また同じコンビニに立ち寄った。

顔見知りの店員がいたので、何気なく聞いた。


「この前の事故、大変でしたね。

 車とぶつかった女性、いましたよね?」


すると店員は、少し言いづらそうに首を振った。


「いえ……あれ、違うんですよ」


「え?」


「あの人、ビルの上から飛び降りたらしいです。

 そこに、たまたま車が通りかかって……」


一瞬、言葉が出なかった。


「じゃあ……」


「落ちた時点で、もう……って話でした」


コンビニを出ると、入り口の正面、

ほんの十メートルほど先が、

あの事故現場だった。


私は無意識に立ち止まり、

小さく手を合わせていた。


「どうぞ、安らかに」


声に出ていたかどうかは、覚えていない。


そして一年後。

雨の夜、傘の上で感じた気配と、線香の匂い。


「ああ……」


その女性のことが、はっきりと頭に浮かんだ。


今年は、初盆だったのだ。


あの日、私が声をかけたのを覚えていて、

国道を歩く私を見つけ、

わざわざ路地へ呼び寄せたのかもしれない。


怖さはなかった。

ただ、胸の奥が締め付けられるような、

切ない気配だけがあった。


後になって調べて知ったことだが、

この飛び降りは 大島てる氏の

事故物件サイトにも掲載されている。


ただし、この件で

そのビルは事故物件にはなっていない。

亡くなった場所が、道路上だったからだ。


もし、ほんの数メートル違い、

敷地内に落ちていれば――

そのビルは、今も「事故物件」として記録されていた。


事故物件は、特別な場所にあるわけじゃない。

今日、何気なく歩いている道も、

いつも通っている建物も、

たまたま立つ位置が違えば、

明日には事故物件になる。


あの夜、雨の中で傘の上に感じた気配は、

その事実を、静かに教えてくれた気がしている。

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