第1話:丘の上の孤島
夕暮れの空が、淡い橙色に染まる頃、私はいつもの散策路を外れてしまった。街の郊外、雑木林が点在する丘陵地帯を歩いていたはずが、気づけば道なき道を進んでいた。スマホの地図アプリを開くと、信号が弱く、位置情報が定まらない。ため息をつきながら、周囲を見回す。遠くに、ぽつんと小さな丘が見えた。高さは10メートルほどだろうか。円形のシルエットが、夕陽に黒く浮かび上がっている。
「変な場所だな……」と独り言を呟く。私の名前は佐藤太郎、32歳のサラリーマン。週末のハイキングが趣味で、今日は新しいトレイルを探していた。だが、この丘は地図に載っていない。好奇心が勝り、近づいてみることにした。丘の麓に着くと、周囲がコンクリートで固められていることに気づく。まるで人工的に作られた壁のように、灰色の表面が滑らかに広がっている。雑草一本生えていない。まるで、誰かがこの丘を封鎖しようとしているかのようだ。
丘を登る道はなく、斜面は急だが、足場は意外と安定している。コンクリートの隙間から、土が覗いている。息を切らしながら頂上に到達すると、そこに一軒の家が建っていた。古びた木造の平屋建てで、周りを木々が囲んでいる。家のある部分だけが、緑豊かな庭のように見える。丘全体が円形をしているせいか、まるで古墳の頂上を思わせる。古墳? そんな馬鹿な。現代の日本で、そんなものが残っているはずがない。だが、この不自然なコンクリートの囲いと、孤立した家。確かに、変な場所だ。
家に近づくと、玄関の扉が少し開いている。呼び鈴を探すが、見当たらない。代わりに、古い木製の看板が立っている。「ようこそ、丘の家へ」と彫られている。招待状みたいだ。躊躇しながら、声を上げる。「すみません、誰かいませんか?」
返事はない。風が木々の葉を揺らし、さわさわと音を立てるだけ。好奇心がさらに膨らむ。私はそっと中を覗き込んだ。家の中は意外と明るく、畳の部屋が広がっている。古い家具が並び、壁には黄ばんだ写真が飾られている。誰もいないようだ。いや、待て。奥の部屋から、かすかな物音が聞こえる。足音? それとも風の音か?
「こんにちは?」と再び声をかけ、靴を脱いで中に入る。畳の感触が懐かしい。子供の頃、祖母の家で遊んだのを思い出す。廊下を進むと、台所が見える。そこに、一人の老人が立っていた。白髪の頭、瘦せた体躯。着物姿で、背中を向けて何かをかき回している。
「誰だ?」老人が振り返る。鋭い目が私を射抜く。「ここは私有地だぞ。勝手に入るんじゃない。」
「す、すみません! 道に迷ってしまって……この丘が気になって。」私は慌てて頭を下げる。「家が一軒だけあるなんて、珍しい場所ですね。」
老人はため息をつき、鍋をかき回すのを止める。「珍しい? ふん、珍しいどころか、呪われている場所だよ。若いもんは知らんだろうが。」
「呪われている?」私は目を丸くする。老人は椅子を勧めて、湯気の立つお茶を淹れてくれる。緑茶の香りが部屋に広がる。私は座り、老人に促されるまま話を聞くことにした。
老人の名前は山田翁、80歳を超えているという。この家に住んで50年以上になるそうだ。「この丘は、昔から『円墳の丘』と呼ばれていた。古墳時代のもので、埋葬地だったらしい。戦後、開発が進んで周りがコンクリートで固められた。家を建てたのは俺の祖父だ。なぜこんな場所に? それは、秘密だよ。」
翁は目を細め、遠くを見るような表情になる。「祖父は考古学者だった。この丘を発掘しようとして、失敗したんだ。掘れば掘るほど、変なものがでてくる。石室や副葬品じゃなく、もっと奇妙なものさ。」
「奇妙なものって、何ですか?」私は身を乗り出す。
翁は笑う。「それは、教えてやれん。知ったら、後悔するぞ。だが、せっかくだ。お前、泊まっていくか? 夜になると、この丘の真実が見えるかもしれない。」
私は迷う。スマホの電池は残り少ないし、外はすでに暗くなり始めている。好奇心が勝ち、泊まることにした。翁は夕食を用意してくれる。素朴な煮物とご飯。味は懐かしく、美味しかった。食後、翁は古いアルバムを取り出して見せてくれる。写真は丘の昔の姿。木々が少なく、土がむき出しの時代。祖父がシャベルを持って立っている写真もある。
「祖父は、この丘に『門』があると言っていた。別の世界への門だよ。」翁の声が低くなる。「古墳の中心に、石の扉があるらしい。開けると、過去や未来が見えるとか。馬鹿げた話だが、祖父は本気だった。」
私は笑い飛ばそうとするが、翁の目は真剣だ。夜が深まるにつれ、家の中が静かになる。外の風が強くなり、木々がざわめく。翁は客間に布団を敷いてくれる。「気をつけろよ。夜中に変な音が聞こえるかもしれない。」
私は布団に入るが、眠れない。翁の話が頭を巡る。古墳、門、別の世界。ファンタジーみたいだ。だが、この場所の不自然さは本物。コンクリートの壁、円形の丘。一軒だけの家。まるで、隔離された孤島のよう。
深夜、目を覚ます。喉が渇き、水を飲もうと起きる。廊下を歩くと、翁の部屋から光が漏れている。覗くと、翁が座って何かを呟いている。壁に投影された影が、奇妙に揺れている。いや、影じゃない。部屋の中央に、何か黒い塊がある。石? それとも……
慌てて目をこする。幻覚か? 翁が気づき、振り返る。「起きていたか。見るなよ。」
「何ですか、あれ?」私は声を震わせる。
翁はため息。「門の欠片だ。祖父が掘り出したもの。触るんじゃないぞ。」
黒い塊は、石のように見えるが、表面が滑らかで、奇妙な模様が刻まれている。触れたい衝動に駆られるが、翁に止められる。「今夜は寝ろ。明日の朝、話す。」
布団に戻るが、興奮で眠れない。丘の秘密が、少しずつ明らかになりそう。だが、それは本当に知っていいことか? 外の風が、まるで丘全体が息づいているように聞こえる。
翌朝、目を覚ますと、翁が朝食を準備していた。卵焼きと味噌汁。シンプルだが、心温まる。「昨夜のことは、夢じゃないよ。」翁が言う。「この丘は、古墳じゃない。もっと古いものだ。縄文時代か、それ以前。祖父のノートがある。読むか?」
私は頷く。翁は古いノートブックを取り出す。黄ばんだページに、祖父の筆跡。「丘の中心に、円形の石室。内部に、輝く門。開けると、時間軸が歪む。」
読み進める。祖父は発掘中に、奇妙な体験をしたらしい。門を開けると、未来の景色が見えた。荒廃した街、浮遊する機械。だが、閉じると元に戻る。副作用として、時間を操る力が得られたが、体が衰弱したとか。
「信じられない……」私は呟く。
翁は頷く。「信じなくていい。だが、この家がここにある理由は、それだ。門を守るためさ。コンクリートの壁は、外部から守るためのもの。木々は、門のエネルギーを吸収する。」
突然、外から音がする。車のエンジン音? 丘の麓に、黒い車が停まっている。スーツ姿の男たちが降りてくる。「また来たか。」翁が呟く。「開発業者の連中だ。この丘を潰そうとしている。」
男たちは丘を登り、家に近づく。「山田さん、そろそろ立ち退きをお願いしますよ。この土地、価値があるんです。」リーダー格の男が言う。
翁は頑として拒否。「ここは、俺の土地だ。出て行け。」
男たちは笑う。「古墳だかなんだか知らないが、証明できないだろ? コンクリートで固めて隠してるんじゃないか?」
緊張が高まる。私は翁の味方をする。「不法侵入ですよ。警察を呼びます。」
男たちは去るが、脅しを残す。「次は本気で来るぞ。」
翁は疲れた様子で座る。「奴らは、門の存在を知らない。だが、掘り返せば大変なことになる。」
私は決意する。「手伝います。何かできることありますか?」
翁は微笑む。「なら、門を見せてやるか。丘の中心だ。」
私たちは家を出て、木々の奥へ進む。地面に、隠された扉がある。翁が開けると、地下への階段。降りていくと、暗い部屋。中央に、石の門。昨夜の欠片より大きい。表面が輝き、模様が動いているように見える。
「触ってみろ。」翁が言う。
私は手を伸ばす。冷たい感触。突然、視界が歪む。未来の景色? いや、過去だ。古代の人々が、丘を築いている。円形の構造、儀式。門を通じて、エネルギーを操っている。
視界が戻る。私は息を荒げ。「本物だ……」
翁は頷く。「これが、丘の秘密。守らねばならない。」
だが、その時、地震のような揺れ。外から爆音。開発業者が戻ってきた? いや、もっと大きい。丘全体が震えている。
「門が反応した!」翁が叫ぶ。
混乱の中、私は門に引き込まれるような感覚。視界が暗転。
(ここで第1話終了。続きは第2話で。)