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第8話 『不完全』聖女(4)

「ちょっと、あなた」


 聖堂の裏にある小さな休憩室。

 聖女がお務めの間に使う小部屋に、聖女の侍女であるミラは、お茶の支度を整えていた。


 お湯は台所でポットに入れてもらわなければならないが、裏廊下を使えばさほど遠くない。

 ミラは空のポットを抱えて、台所に向かうところだった。

 その時、ミラは突然、一人の侍女のお仕着せを着た少女に声をかけられた。

 見慣れぬ顔。

 神殿に来ているご令嬢の侍女かと思われた。

 しかし、一般の参拝者の付き添いなら、関係者以外は入れない裏廊下にいることはない。


 もしかして……とミラは思った。

 嫌な予感を感じる。


「あなた、神殿の召使いね? これを」


 そう言うと、真っ白なエプロンに黒のドレス姿の少女は自分が持っていた大きなポットをミラに押し付けた。


「台所に行くのでしょう? これにもついでにお湯をもらってきてちょうだい」

「え」

「わたし、神殿にお供に来たのは初めてなの。あなたはここで働いているんでしょ? なら、慣れているんじゃないの。わたしの分もついでにもらってきて」


 ミラは戸惑った。

 お湯を入れれば、ポットは重くなる。

 いくらミラでも、ポットを二個一緒に運ぶことはできない。


「……台所にご案内します。一緒に行きましょう。遠くありませんから」


 ミラはそう言って、大きなポットを遠慮がちに返そうとした。

 聖女様のスケジュールは時間できっかりと定まっている。

 ルシアはまもなく昼の休憩に戻って来るはずだった。

 だからこそ、お湯が冷めないようにと、直前にお湯をもらいに行っているのだ。


 しかし、見知らぬ少女は不機嫌そうにポットを受け取るのを拒否した。


「わたしは筆頭公爵家のご令嬢である、コルネリア様の侍女よ。コルネリア様は知っているわよね? 何しろ神殿奉仕団のご令嬢で、そのご身分から言っても、一番上になる方なのだから。さあ、お嬢様がお茶をご所望なの。さっさとお湯を持って来て」


 ミラの嫌な予感は的中した。


 神殿奉仕団……!

 貴族令嬢達で構成されている神殿奉仕団は、聖女を助け、神殿を訪れる人々に奉仕活動を行う建前になっているが、実際は、聖女と同じように白いドレス……ただ、同じ白でも高価で華やかなドレス……を着て、奉仕活動よりも控室でお茶を飲んでいる方が多い。

 ご令嬢方のお遊びのような奉仕団である。

 ミラは思わず言った。


「わ、わたしは聖女様の侍女です……! わたしだって、早くお湯を取りに行かないと困るんです」


 すると、コルネリア嬢の侍女と名乗った少女は、あろうことか、くすり、と笑った。


「え。『不完全』聖女様の? なら、なおのこと、早くわたしのお湯を持って来てちょうだいよ。聖女様が戻られる前に、ね?」


 ミラはきゅっと唇を噛み締めた。


 聖女様に敬意を持たず、あからさまに揶揄するとは。

 これはだめだ。何を言っても、伝わらない。


 ミラは大小二つのポットを抱えて、小走りで台所に向かった。

 しかし、たっぷりとお湯を入れたポットは、小走りで運ぶわけにはいかない。

 台所からの帰り道、ミラは重くなったポットを両手に持ち、お湯をこぼさないように、慎重に歩いていた。

 すると。


「……ミラ?」


 ミラの頭の上から、穏やかな声が降ってきた。


「!?」


 驚いて狭い廊下でミラが顔を上げると、そこには太陽のように明るい金色の髪を無造作に背中で結び、きりっとダークブラウンの騎士服に身を包んだ ヴィクトリアが立っていた。


「ヴィ、ヴィクトリア、様?」


 ミラが驚いていると、ヴィクトリアはひょい、と大きな方のポットをミラの手から取り上げた。


「トリアでいいよ? 休憩時間になってもミラがいないから、どうかしたのかと思って。……こんなにお湯、いるんだっけ?」


 ヴィクトリアはただ単に不思議だ、という顔でミラを見下ろしていた。


「ええと、その……台所にお湯を取りに行こうとしたら、筆頭公爵家のご令嬢の侍女だとおっしゃる方が、ついでに自分の分も取って来てほしいと」


「ついで?」


 ヴィクトリアはどうにもわからない、という顔で、首をひねった。


「聖女様のポットはそちらの小さい方でしょう? 昨日、私がお茶を入れようと思ったから、部屋にあったのを覚えているんだ」


「はい、そのとおりです。小さい方が聖女様のお部屋のポットです」


「大きいポットも一緒だと運びにくいでしょう。それって、ついでって言う?」


 真っ当な指摘に、ミラは苦笑した。


「台所でワゴンをお借りしようかと思ったのですが、手で持って来た方が早いので」


 ミラの言葉を聞くと、ヴィクトリアはあっさりとうなづいた。


「わかった。これは私が届けておくよ。ミラは急いで聖女様のお部屋に戻って。聖女様の休憩時間は短いから」

「!! ヴィクトリア様、ありがとうございます……!!」


 ミラは飛ぶようにして、休憩室へと走って行った。


「ええと、筆頭公爵家のご令嬢だっけ」


 ヴィクトリアは独り言を言った。


「コルネリア……コルネリア……えぇと、何だっけ……聞き覚えがあるけど、家名が出てこないなあ。一応、貴族年鑑は令嬢教育で暗記させられたんだけど」

「筆頭公爵家は、カルネ家ではないか?」

「ひゃっ!!」


 いつの間にか、聖堂の入り口まで戻って来ていたらしい。

 ヴィクトリアの前には、長兄のマーカスが立っていた。


「カルネ公爵家のコルネリア嬢が、どうかしたのか?」


 ヴィクトリアは顔を赤くした。


「ええと、神殿奉仕団のご令嬢方が休憩されているお部屋はどこでしょうか? コルネリア嬢の侍女が、ミラにお湯を持って来いと命令したようでして」


 マーカスはヴィクトリアが抱えている大きなポットに視線を落とした。


「ミラは聖女様のお茶を入れるので、お湯を取りに行くところだったんですよ。それで、私がこっちのを貰ってきました。ミラには聖女様のご用がありますからね。……このポットをご令嬢方のところに持っていっても?」


 マーカスは無言で、ため息をついた。


「忘れるな。トリア、おまえも聖女様のそばにいなければ務めは果たせないだろう。……貴賓室だ。ご令嬢方は……貴賓室でいつもお茶をされている」


 ヴィクトリアはうなづいた。


「マーカス兄様、神殿奉仕団というのは、どんなお仕事をするのですか?」

「…………」


 一瞬、マーカスの表情が固まった。

 ヴィクトリアと同じ、金色の髪に、スミレ色の瞳をしたマーカスが、淡々と、というか棒読みで述べる。


「……筆頭公爵家を始め、主だった貴族家から、若い未婚の令嬢が参加している。神殿で聖女様の仕事を助けたり、神殿を訪れる人々に奉仕する仕事を果たされている」


 ヴィクトリアはうなづいた。

 にっこりと笑う。


「では、後学のために、貴賓室を覗いてきても?」


 マーカスはため息をついた。


「トリア。問題は起こすなよ?」


 ヴィクトリアはわかったのかわからなかったのか。

 明るく「はい!!」と返事をして、ポットを抱えて貴賓室へ向かったのだった。


 そうしてヴィクトリアが軽々とした足取りで貴賓室のドアに近づくと……。


「退屈ですわねえ。コルネリア様、今日は何時までいらっしゃいますの?」

「夕方まではいらっしゃらないでしょう?」


「そうね……」


 ドアの向こうから、物憂げな令嬢の声が聞こえた。

 貴賓室とは言っているものの、ドアは薄くて、あまり防音には役立っていないようだった。


(神殿も予算が厳しいのね、きっと)


 ヴィクトリアはおかしなところに納得してうなづく。

 貴賓室の中の会話は、廊下にダダ漏れだった。

 高貴なご令嬢の声が聞こえる。


「わたくしね、あの『不完全』聖女様の癒しの御わざを見ていると、いらいらするんですのよ。聖女のくせに、万能に治すことができなくて、『最善を』なんておっしゃる。本当に聖女の力がおありなのか」


 ヴィクトリアは思わず息を呑んだ。


「わたくし、こちらで休憩しておりますわ。でも誰かはお務めを果たしませんとね? あなた方、聖堂に戻って、聖女様をお助けして。ああ、お茶を飲んでからでよろしくてよ?」

「はい、コルネリア様」


「それにしても、遅いわね? お茶のひとつも用意できなくて、テレサ、あなたは役立たずね。お父様に言って、クビにするわよ?」

「コ、コルネリア様……! 少々お待ちくださいませ。神殿の使用人に命じまして、お湯はすぐ届くはずなのですが。ちょっと見てまいります」


(……神殿の使用人?? ミラのこと? それにお茶お茶って。皆さんで優雅にお茶会か? あまり奉仕しているように見えないな)


 ヴィクトリアは眉をひそめて、近づいてくる足音に姿勢を正した。

 コンコン、とドアをノックする。

 特別に上品な声を出す。


「失礼いたします。お湯をお持ちいたしました」


「! 遅いわね、お嬢様がお待ちなのよ!?」


 侍女が乱暴にドアを開け———固まった。


「おまえ、いいえ。あ、あなた様は!?」


 侍女の素っ頓狂な声に、部屋の中でおしゃべりをしていた令嬢達も顔を向ける。

 全員の視線が、豪華な金色の豊かな髪を背中で結び、ダークブラウンの騎士服に身を包んだヴィクトリアに注がれる。


 ヴィクトリアは大きなポットを抱えながら、不思議そうに頭をかしげた。

 大きなスミレ色の瞳が瞬くと、令嬢達はぽっと顔を赤らめた。


「えっと。お湯をお持ちしました。私は———」


 次の瞬間、ヴィクトリアの手からポットが奪われ、ドアの脇にあったワゴンの上に置かれた。


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