第2話 聖女の護衛に任命される(2)
ロアノーク聖王国、王都フィオレ。
王国が誇る聖女を守る、聖騎士団長であるロンバルディ侯爵の末子。
男四人の後にようやく生まれた『花のように美しい末っ子令嬢』であるヴィクトリアは、その日、未来の王太子であるナイジェル王子に呼び出されて、王宮に立っていた。
用途によって、さまざまなテーマで整えられた、数多い応接の間の中の一室である。
『花のように美しい末っ子令嬢』は、侯爵家で作った社交界用の宣伝フレーズだったが、あまり成功しているとは言い難い。
何より、十二歳で婚約破棄を経験してしまったのが、痛かった。
実際に広まっているフレーズはこちらの方である。
『聖騎士団長の末っ子男装令嬢』。
婚約破棄の後、もともと活発で男まさりの少女だったヴィクトリアは、父と兄達の後を追って、聖女を守る聖騎士になりたい、と男装をして騎士の訓練を始めた、というのが社交界の定説だった。
男装令嬢の誕生である。
しかしナイジェルは、その前からヴィクトリアが男装をしていたのを知っていたし、彼女の騎士になりたい、という夢もまた知っていた。
ナイジェルは目の前に立つ、美しいことは美しい、ヴィクトリア・ロンバルディ侯爵令嬢を不機嫌そうな目でにらみつけていた。
ナイジェルがその時考えていたのは、ただ一点である。
(男装令嬢が、男装をしていない)
そしてそのとおりに言葉がポロリとこぼれ落ちた。
「ヴィクトリア嬢、今日は男装ではないのか?」
豊かに波打つ金色の長い髪に、細かく編んだ三つ編みが揺れる。
瞳と同じ色のスミレ色の宝石で作った髪飾りを付けたヴィクトリアは、優雅なカーテシーを披露しながら、ちらりとナイジェルを見上げる。
活動的な質であるヴィクトリアは、他の令嬢達より背も高いし、鍛えられたメリハリのある体をしている。
その一方で深窓の令嬢のように肌は白く、きめが細かく、まるでこぼれ落ちそうに大きな目は表情豊かで、少し大きめの口もとは、きゅっと口角が上がって、いかにも愛らしい。
令嬢のように振る舞っているヴィクトリアだが、同じ年頃の令嬢達に比べて、その表情はいきいきとし過ぎているし、本来の負けず嫌いが出てしまっている。
(おそらく、自分では気がつかないのだろうな)
ナイジェルはその不機嫌そうな表情の下で、そんなことを考えていた
ヴィクトリアが父や兄達のように聖騎士になりたいと日々鍛錬に励み、普段から男装をして過ごしていると知らなければ、「なんて愛らしい令嬢なんだ!」と感嘆する者も多いだろう。
残念ながら、ナイジェルはヴィクトリアの普段の姿を、よく知っていた。
ロアノーク王国第一王子、『聖女の守護者』と呼ばれるナイジェルは、聖女が属する女神神殿を統括する神殿庁のトップを務める。
神殿を本拠とする聖騎士団長の家庭の事情など嫌でも耳に入ってくるのだ。
ナイジェルは不躾な視線を久しぶりに見るロンバルディ侯爵家の末っ子に遠慮なく注いでいた。
そこに、とある思惑を隠しながら。
***
一方、ヴィクトリアの方も最初の衝撃が和らぐと、久しぶりに見るナイジェル王子の様子を観察し始めた。
ナイジェルは背が高く、騎士には及ばないものの、遜色のないしっかりとした体つきをしているように見えた。
ただ、ヴィクトリアの考える騎士の基準は、聖騎士団の中でも卓越した実力を誇る、長兄マーカスである。
(マーカス兄様は、永遠の憧れよ……!)
聖騎士になりたいヴィクトリアは、マーカスがまさに理想の存在なのだ。
そんなヴィクトリアにしてみれば、王子はやはり王子。
本物の聖騎士であるマーカスには、及ばないのは当然のことだ。
とはいえ、高貴なる王子として、ナイジェルの容貌は際立っている、とは思う。
肌は日焼けして浅黒く、ウェーブがかかったダークブラウンの髪を、襟足から肩にちょっと着く程度に伸ばしている。
真っ黒で大きな瞳。男性らしさに満ちた、濃い眉。
彫りの深い顔だちの精悍な印象の王子は、ワイルド系のイケメンと言って過言ではないだろう。
しかし。
(……たしかに評判になるほど、美形な王子様だわ。でも……)
仮にも王子の、不躾な視線にヴィクトリアは呆れる。
(なんて目つきが悪いのかしら……!!)
こんなに目つきが悪かったかしらね……? なんて、ヴィクトリアは案外失礼なことを心の中で思っていた。
あの時の王子を心の中で大切にしつつ、ヴィクトリアは現実的な質だった。
乙女の夢が砕かれたのは、少々残念だったが、王子も人間なのだ。
勝手に憧れて、勝手にがっかりされても、いい迷惑だろう。
普段であれば、ヴィクトリアはちょこっと肩をすくめるところである。
しかし今は、王子殿下の御前。
強い体幹を持つヴィクトリアがぴたりとカーテシーをしながら静止を続けていると、父であるロンバルディ侯爵が小声で言った。
「……トリア、殿下がうなづいた。大丈夫だよ。体を起こしなさい」
「はい、お父様」
ヴィクトリアはまるでバネ仕掛けの人形のように、パッと体を起こすと、控えめな令嬢風の物腰……のつもりで、顔を上げた。
それを機に、マーカスが口を開いた。
「ナイジェル王子殿下におかれましては、本日もご機嫌麗しくお喜び申し上げます。本日は自慢の妹を殿下にご紹介できますこと、身に余る光栄でございます」
父であるロンバルディ侯爵は、ヴィクトリアと並んで。
ヴィクトリアの背後には、長兄のマーカスとヴィクトリアの護衛騎士、赤毛のアーネストが並ぶ。
マーカスとアーネストもまた、妙に迫力のある二人だ。
ナイジェルはアーネストにも不躾な視線を向けた。
「……その赤毛の男はヴィクトリア嬢の護衛騎士だそうだが、彼女が聖女の護衛騎士となったら、神殿の宿舎で寝起きすることになる。それだけの心構えはあるのか? それに神殿関係者には女性も多い。女性にきちんとした対応ができる男でないと困る」
「殿下———」
マーカスが応えようとした時、赤毛のアーネスト本人が、声を上げた。
「恐れながら!」
アーネストはまっすぐにナイジェルを見つめた。
「ロンバルディ侯爵家で、ヴィクトリア様に手出しする者は一人もおりません。お嬢様に手を出すなら、全員聖騎士団の騎士である、お嬢様の四人の兄上方と相対しなければならず、さらにマーカス様は聖騎士団最強の騎士。悔しいことに私もまだ及ばない身。マーカス様を敵に回しても構わないという男は、侯爵家のみならず、ロアノークにはいないでしょう。つまりヴィクトリア様の身はどこにいようと安全ですし、ロンバルディの人間で、神殿の女性達に不埒なことをする者もおりません!」
「いや、アーネスト。私も聖騎士団長だし、娘のお父様として、大事な娘にちょっかいをかけるような男を放っておかないけど?」
ロンバルディ侯爵が小声で付け足した。
「「…………」」
マーカスとヴィクトリアが沈黙した。
((いや……お嬢様に手を出すとか、ちょっかいとか、それはちょっと王子様の主旨と違うよね……?))
二人とも、何とも言えない表情で立っていた。
団長として聖騎士団を率いるロンバルディ侯爵だったが、実は結構クセのある人物である。
もちろん、騎士としての実力は疑う余地はない。
しかし、その性格は少々面倒くさいのだ。
それを知っているマーカスとヴィクトリアは、あえて侯爵の発言に言葉を挟むことなくナイジェルに視線を移す。
ロンバルディ侯爵とアーネストもまた、「大切なヴィクトリアを粗末に扱ったら、容赦しないぞ」という熱のこもった視線で、じっとナイジェルを見つめていた。
ちなみにアーネストも侯爵家の分家の令息で、ロンバルディ家の家風にはどっぷりと染まっている。
ナイジェルはただただ不機嫌そうに、そんな彼らをにらみつけていた。
その場に居合わせている王子の侍従や護衛騎士達は内心きっと「王子様、そのくらいで。ロンバルディ侯爵家の連中は面倒くさいですから」と思っているだろう。
突然、ナイジェルはふい、と横を向くと叫んだ。
「ロンバルディ侯爵令嬢、ヴィクトリア! よって、聖女ルシアの護衛騎士となることを命じる!」
「はい!?」