第1話 聖女の護衛に任命される(1)
「ヴィクトリア嬢、今日は男装ではないのか?」
王子殿下のその一言に、ヴィクトリアは一瞬、肩を揺らした。
ヴィクトリアが着ているのは、上質な素材で、品のある淡い水色のドレスだった。
控えめに開いた胸もとと、袖にあしらわれた白いレースに重ねられたごく細い紺色のリボンがささやかなアクセントになっている。
舞踏会ではないので、あっと人の目を奪うような華やかなドレスではない。
しかし、侯爵家の令嬢にふさわしい、上品で、さわやかな印象の装いだ。
まあ、年頃の令嬢としては、少々地味かもしれないが、王宮の中を歩いていても、けして違和感を感じさせるものではない。
何しろ王子殿下じきじきのお呼び出しである。
ヴィクトリアは王子殿下の前に立つにふさわしい装いをしているつもりだった。
(———覚えて、いらっしゃらない……?)
ヴィクトリアにとっては、悩みに悩んで、ようやく選んだドレスだった。
彼女の傍らに立ち、エスコートを務めている、純白の騎士服を身に付けた父が、不安げに愛娘の表情を見守る。
実は、ヴィクトリアはとある令息との間で、婚約破棄を経験している。
それは六年前。
彼女がたった十二歳だった時のことだ。
家のためにと、並々ならぬ決意のもと、侯爵令嬢らしく装った少女だったが、周囲の期待に応えることはできなかった。
その時、決意したのだ。
もう、自分を偽らない。
子どもの頃から、将来の夢は決まっていた。
尊敬する父のように、聖騎士となって、聖女を守るのだと。
あの人は、そんな少女の夢を笑わなかった。
頑張れよ、と励ましてくれた。
(でも———)
ヴィクトリアはゆっくりと顔を上げ、十年ぶりに間近で見る、高貴なる王子殿下のきつい表情を見つめた———。
(あなたにとっては、私は宮廷にいるたくさんの令嬢達の一人)
(……覚えては、いらっしゃらなかったのですね)
ヴィクトリアは無意識にきゅっと唇を噛んでしまい、慌てて緊張を緩めた。
いや、当たり前のことなのだ、と自分に言い聞かせた。
王子殿下は二十二歳。
もうとっくに婚約者がいたっておかしくないお年である。
しかも、この国の王子として抱える責務は、他国とは比較にならないほど大変なものだ。
ヴィクトリアは心の痛みを隠し、見るからに不機嫌な表情をした王子を静かに見上げた。
(あなたがご自身の役割を承知しているように、私も、私自身の役割を、よくわかっているつもりだわ)
ヴィクトリアは心の中でそっと思う。
(私は、完璧な令嬢になれる。そして、完璧な騎士にもなってみせます……!)
それを見せて、さしあげましょう……?
私ももう、大人になったのだから———。
ヴィクトリアは思わず見る者がはっとするような、整った微笑を見せた。
「殿下のご命令とあれば、今すぐ着替えてまいります。本日のドレスは———王子殿下にお目にかかる、ということで令嬢らしく装ったまで。どうぞご心配なく」
非の打ち所がない、上品な微笑み。
なのに貴族令嬢特有の冷たさを感じないのは、きゅっと口角の上がった口もとか。
まるで太陽の光のように明るい、金色の豊かな髪のせいか。
それとも———。
ヴィクトリアは恐れることなく王子を見上げた。
ロンバルディ侯爵家の直系にのみ現れる、不思議なスミレ色の瞳がまっすぐに王子を見つめていた。
その時、ヴィクトリアの前で、初めて王子の表情が動いた。
それはまるで、目の前の令嬢が、ロンバルディ侯爵家の末っ子令嬢だと初めて気がついたかのようだった。