第12話 ヒラリオンの密告
多目的ホールは杉浦カズキの軽い告白に静まり返った。 照明の残響がかすかに鳴り、外からは蝉の声が遠く滲む。 誰もが息を呑み、夏の午後が一瞬、止まったようだった。時が止まったように凍り付いた場を、まるで意に介していないように、芹澤ミヤコは淡々と告げる。
「そうですか。じゃあ、ミステリー研究会の部室で詳しくお話を伺いますので、どうぞこちらへ」
「はいはーい。行きまーす」
ミヤコが歩き出すと、海を割ったように道を開ける部員たち。そして、その後を杉浦カズキはついていく。誰も一言も話さない。静謐とは異なる静けさ。間宵ライラは体操着をきつく握りしめて、その様子を黙って見ていた。犯人確保の瞬間。あっけない幕切れ。だが、胸の奥で違和感が鈍く疼いていた。
まるで、演目の幕が早すぎに下ろされたような――そんな感覚だった。
◇◇◇
ミステリー研究会の部室を開けると、信田リカがソファに座っていた。探偵紙袋が書斎机の上で揺れている。この空間だけ外と断絶されたように、静かだった。
ミヤコはリカに目線で合図を送り、隣に腰かけた。
「どうぞ、そちらにお掛けください」
「はいよ」
杉浦カズキは悪びれる様子もなく音を立ててソファに座り込む。芹澤ミヤコは黒皮手袋の裾を引っ張り、しっかりと指の奥まで付け直した。
「確認なんですが杉浦さんは図書室で偽台本を印刷した後、そのまま間宵ライラさんに渡したということで間違いないですね?」
杉浦カズキは「そうだよ」と一言。ソファに身体を倒して、大きく背を預けた。
「これまでのお話は嘘だったと」
「まぁ、全部が嘘って訳じゃないけどな。当日みんなパニクってたのは本当だし」
寺前ルカの事故が影響してか。その混乱に乗じて実行された。多目的ホールでの間宵ライラの反応を考えると、やはり――
「間宵ライラさんとは共犯関係だったということでよろしいですか」
「ちげぇよ。なんか勘違いしてるだけ。お人好しだし、あの娘」
杉浦カズキはこれ以上聞くなとでも言うように、吐き捨てた。だが、二人が無関係では説明できない部分がある。芹澤ミヤコは睨みつけるように首を傾げた。
「間宵さんが誰かに改竄した内容を確認するかもしれない、とは考えなかったのですか?」
「あぁ、そういうこともあったんだ。思いつかなかった」
ヘラヘラとした言い方。なんだ、この投げやりな態度は。何を隠している。何を守りたい?いったい、誰を庇っている。
「……そうですか。では、一番大切なことを」
芹澤ミヤコは言葉を切って、杉浦カズキの目をじっと見つめて言った。
「――なんでこんなことをしたんですか?」
「寺前ルカの事故。あれ、実は俺が原因なんだよね」
軽いイタズラの告白のような言い方だった。眉を上げて、肩をすくめて。
「……本当ですか?」
「今更嘘つく意味なんてないだろ。事故ってことになってるけどな。いつバレるかヒヤヒヤしてたぜ」
芹澤ミヤコの目が泳いだ。杉浦カズキは軽薄な男だとは思っていたけど、舞台に対しては誠実な態度を持っていた。少なくと、初めて会ったときはそう見えた。なのに、なんだ、この豹変は。人を見る目には自信があると思っていた芹澤ミヤコは、眉一つ動かさずに動揺した。胸の奥が鉛のように重くなった。
「台詞の意味は何だったんですか?」
「照明を落としたのは脚本の佐伯で、ワザと落としたって意味。思ったよりも伝わらなかったけど」
「……つまり、事故の責任を佐伯シズカさんに押し付けようとしたと」
「そうそう。アイツ今、腫れ物扱いされてるし。ちょうどいいかなーって」
ニヤニヤと笑いながら言う杉浦カズキにミヤコは言葉を失った。夕見先輩の言葉は何だったんだ。台詞に悪意は感じられなかったって。杉浦カズキには胸糞悪いほどの悪意に満ちている。これはもう、穏便には済ませられない。
「……佐伯さん、傷つくでしょうね」
「知らねぇよ、そんなこと。まぁ、俺も終わりだな。責任とって辞めるわ」
杉浦カズキはそういって立ち上がり「全部話したし、もういいだろ?」と、出口へと向かっていく。ミヤコは何も声を掛けることが出来なかった。ノブに手を掛けて、扉が開け放たれる。
その時だった。
「……ま、待ってください」
今まで黙って話を聞いていた信田リカが口を開いた。
それは、とても小さな声だった。でも、杉浦カズキは振り返った。
「何?逃げるなとか寒いこと言う気?それか、土下座でもしろって?」
「……誰かを、庇ってるんじゃないですか」
「誰かって誰を?俺一人でやったって言ってんじゃん」
「……違います。そうじゃないんです」
リカは机に視線を落としたまま、声を震わせながら独り言のように、呟く。しかし、その声は確かに強くなっていった。
「……杉浦カズキさんが全てを抱えて退部することで、得をする人が一人だけいます……」
「何言ってんの?ルカちゃんの事故も台本のすり替えも全部俺がやった。それで全部。深読みしすぎ――」
「あ、あたしの推理を聞いてくださいっ!!」
リカは叫ぶようにして言った。杉浦カズキは面食らい、固まった。そして、リカはまくしたてるように言葉を紡いでいった。
「まず、寺前ルカさんの事故が起きた。そして、杉浦カズキさんが、疑われた。でも、本当に事故だった」
言葉が空気を裂いた。リカの肩が、小刻みに震えている。それでも、止まらない。
「だけど、怒りの矛先が佐伯シズカさんに変わった。それを憂いた杉浦カズキさんは責任を感じて、台本のすり替えを計画した」
その震えは、部屋の静けさをかき乱す。そして、リカは最後に大きく息を吸うと、吐き出すようにして言った。
「佐伯シズカさんに向けられた悪意を、全部、背負うためにっ!」
リカは顔を真っ赤にしながら、息継ぎも置き去りにして推理を並べ立てた。芹澤ミヤコは目を見開いてリカを見ていた。
――言葉じゃなく、演技の“呼吸”で何かを告白していた。
夕見レオの言葉が蘇る。そして、頭の中に電流が走った。点と点が閃光の如く繋がっていき、火花を上げて一筋の真相に達した。そうか……そうか!そういうことかっ!杉浦カズキの本当の目的は――
「つまり、杉浦さんは“照明事故”と“台本改竄”の両方を、自分一人の罪として引き受けようとした」
ミヤコは肩で息をするリカの頭に手を置いた。リカは本当にすごい娘だ。そして、全身に力を込めて立ち上がり、杉浦カズキと向き合った。
「杉浦さん、本当は間宵ライラさんが貴方を告発する予定だったんじゃないですか?
それで、寺前ルカの事故の鬱憤を自分に向けようとした。違いますか?」
「……ちげぇよ」
「でも、佐伯シズカさんは私達ミステリー研究会を頼ってしまい、言い出すタイミングを失ってしまった」
杉浦カズキは目を見開いて、呼吸が荒くなっていく。リカがミヤコの腕に隠れながら立ち上がる。腕に温かみを感じながらミヤコは突きつけるようにして、推理を並べていく。
「時を見計らって言い出そうとしたけど、私達が思ったよりも早く貴方に行きついてしまった。だから、間宵さんは慌てて止めに来た」
「……違う」
「貴方は間宵さんとの共犯関係が知られることを恐れ、咄嗟に怒鳴り声を上げて止めた。そして、杉浦カズキさん。今、貴方は全てを抱えて、自分だけを悪者にして問題を治めようとしている。これが、この事件における私達の推理、いえ……」
言葉を切り、芹澤ミヤコは信田リカを見下ろした。目に力を込めて頷いている。その眼差しに勇気をもらったミヤコは、静かに言った。
「――真相です」
その言葉はミステリー研究会の部室に溶けるように浸透していった。杉浦カズキは唇を噛み、立ち尽くしている。だが、握られた拳は血が出そうなほど震えていた。
「……全然違う。間違ってる。何もかも。俺が全部やった。それでいいだろ」
「よくない。杉浦さん。貴方は重大な見過ごしをしています。佐伯シズカさんの気持ちはどうなるんですか。貴方に裏切られた心の傷は、どうやって癒すんですか」
「それは……」
「二日後に期末公演の最終日です。それまでに、真実を佐伯シズカさんに話してください。あなたの口から」
「……話さなかったら?」
「私達が真実を話すだけです。杉浦さんを信じて待っています」
「……」
杉浦カズキは何も言わずに、踵を返して部室を出ていった。
開けっ放しにされた扉の奥、廊下の窓から蝉の乾いた鳴き声と共に温い空気が入ってくる。芹澤ミヤコは大きく息を吐き、ゆっくりと扉を閉めた。閉じた扉の向こうで、蝉の声だけが鳴き続けていた。
まるで、夏そのものが、誰かの嘘を焼き尽くそうとしているかのように。
つづく




