第10話 信田リカの推理
佐伯シズカに「今日はここまで」と告げ、芹澤ミヤコは軽く伸びをした。
日も傾き、昼の熱がようやく抜けていく。――コーヒーが恋しい。
大道具の廊下を抜けて、ミステリー研究会の扉を開けた。
「はぁもう、疲れたよ~。リカ、ただいまぁ」
「あ、お帰りなさい。ミヤコ先輩。コーヒーをどうぞ」
「くぅ~、助かる~」
蛍光灯の白が、マグカップの湯気を淡く透かしていた。ミヤコはソファに倒れ込むように座りこみ、ブラックコーヒーに口をつける。ほのかな苦味と共に温かみがじんわりと広がった。正面に座る信田リカは机に並べられている二つの台本を見比べていた。
「それでそれで?何かわかりそう?」
リカは「はふぅ」と一息ついて、眼鏡の位置を直した。
「はい。現状、最も怪しい人物は杉浦カズキさんですね」
照明担当の杉浦カズキか。台本の動きが杉浦先輩から一切不明。この事件におけるキーマンであることは間違いないだろう。
ミヤコはふと、リカのマグカップが空になっていることに気づいた。
「ほほう。じゃあ、カフェオレ入れる?」
「お、お願いしますっ」
「よし来た」
ミヤコは立ち上がりリカからマグカップを受け取る。アーモンドミルクにブラックコーヒーを混ぜてシナモンフレーバーをいい感じに混ぜると、特製カフェオレが完成。
リカは「わーい。ありがとうございます!」と、受け取るとズズっと音を立てて一口飲んだ。
「では、あたしの推理をお話しますね」
カフェオレの湯気が揺れる部室。張りつめた空気の中で、信田リカはコウモリと砂時計が描かれたスマートフォンを取り出した。
「杉浦カズキさんですが、台本のアリバイが最も薄い。偽台本を誰から貰ったかわからないというのは、疑わざるを得ないです。そして、彼には動機もあります」
「ああ、照明の落下事故で疑われたことね」
ミヤコは頷いてマグカップを口に運んだ。
杉浦カズキが事故の原因を佐伯シズカだと匂わせる動機。杉浦先輩は全体的に軽薄だったけど、照明に関しては誠実だった。だからこそ、疑われたときに必死で弁明した。実際に操作して落とした後輩に逆恨みしても不思議ではないか。
「……そのせいで、操作していた佐伯シズカさんに恨みを持って、犯行に及んだ。これが最も単純なシナリオですね」
リカは台本を指先でなぞりながら言った。白い指先が、文字の列をゆっくりと横切る。
だが、杉浦カズキが犯人だとしたら、腑に落ちない部分がある。間宵ライラは受け取った偽台本の台詞の意味をしっかり考えたはずだ。罪の告白。佐伯シズカの意志だと勘違いして。でも、間宵さんが他のキャストに確認したら杉浦カズキはどうするつもりだったのだろうか。
「でも、その線だと間宵ライラを味方につけないと危なくない?
台本をすり替えても、演者が内容を確認したら一発でバレちゃうでしょ」
「そこが一番の懸念点です。実は間宵ライラさんは佐伯シズカさんのことを悪く思っていた、そういうことであれば説明がつきますが、憶測にすぎません」
信田リカは胸の前で腕を引き寄せて目を瞑り、祈るようにして言った。
間宵ライラの蒼い瞳を思い出す。彼女はそんなタイプの娘だっただろうか。寺前ルカの事故を他人のせいにして貶めるなんて。自分が疑われているのに演劇部内の雰囲気を慮る娘なのに?
「恨み……だったのかな。台詞に悪意は感じられなかったって夕見先輩が言ってたし」
リカは目を開いて、珍しく顔を顰めた。
「……正直、あたしは眉唾物だと思っています。証言としては曖昧過ぎです」
そう言いつつも、リカの声はほんの僅かに震えていた。夕見先輩の言葉を否定するのが怖いように。
実のところ“演技の呼吸で何かを告白していた”という言葉の意味を芹澤ミヤコも測りかねていた。だが、夕見レオの言葉には確信めいた力があった。有無を言わせずに信じさせる圧力のような。こればかりは実際に聞いていないリカには響かない。
「うーん。杉浦カズキが犯人だったとして、間宵さんは真っ先に杉浦カズキを疑うと思うんだけど、そういう気配は一切なかったんだよね。何かこう……迷っているような……」
そう。迷い。曖昧な証言。肝心なところでは言葉を濁してわからないという。あれは、もしかしたら杉浦カズキを庇っていた……という風には取れないだろうか。
でも、なぜ――
「ふむ。なら杉浦カズキの容疑を確定させてから考えましょうか」
「え、そんなこと出来るの?」
リカは机の上に二冊の台本を並べ、ページを開いて指先で触れた。
「この偽台本、実は本物の台本と紙質が違うんです」
「ええ?そうなの?」
「はい。あたしも先輩のレポートを読むまでは気づきませんでした」
ミヤコは身を乗り出して2冊の台本をめくり、指の腹で紙をこすってみる。
「色と触り心地に違いがありますよね?本物は若干茶色でざらざらしていますが、偽物はツルツルです。演劇部は再生紙を使っていますのでその影響ですね」
言われてみれば、というわずかな違いだ。素晴らしい観察力。芹澤ミヤコは信田リカの顔を見てニヤリと笑った。
「ホントだ。古いだけかと思った。家で刷ってきたのかな」
リカは待ってましたと言わんばかりに、脇に置いていた紙の束をミヤコに差し出した。
「先輩、この本を見てください」
そこには、やけにリアルな人体模型のイラストに“超常現象同好会”と署名された表紙。リカが図書室で貰って来た七不思議本だ。
「この明星高校七不思議第2弾と――偽台本は同じ紙です」
言葉が落ちた瞬間、部室の空気が張り詰めた。
ミヤコは思わず息を呑んだ。
「まさか……図書室で?」
リカはコクリと頷いた。
「明星高校の図書室は、生徒が自由に印刷できる文芸部のプリンタがありますからね」
なるほど。リカが偽台本の生産ルートが割れたと言っていたのはこのことか。芹澤ミヤコは膝を叩いて背もたれに大きくもたれかかった。
「ほほう!なら、履歴調べれば何時に印刷したかもわかるねぇ!」
「調査済みです。『銀砂の王国』上演3日前に印刷されてますね。時間帯も特定していますので、アリバイ調査すればかなり絞れるかと」
あの引きこもり探偵の信田リカが図書室で調査。芹澤ミヤコは胸の内から湧き上がる快哉をどうにか抑え込みながら、温くなったブラックコーヒーを呷った。
「オッケー!じゃあ、時間も時間だし。明日、杉浦先輩から行こうか!」
「はいっ!お願いします……!」
そうして、ミステリー研究会は今日の活動を終えたのだった。
帰り道、夏の宵風が二人の影を揺らす。一つは大きく壮観に。一つは小さく静謐に。並んで歩く二つの影は鷹と梟を象っていた。
◇◇◇
「いやぁ、それにしてもリカ!すごいねぇ!あそこまで調べてくれるなんて!」
「えへへ……ありがとうございます……」
「じゃあ、今度、聞き取りやってみる?」
「え、えぇぇえっ!?む、無理ですっ……!」
ミヤコは笑いながら肩をすくめた。
「アハハ!まぁ、ちょっとずつだね~」
「は、はわわ……そんなぁ……」
つづく




