第5話 第二音楽室の滑らかな啓告(legato)
祭原フウカへの聞き取りを終えて、芹澤ミヤコは音楽準備室を後にした。第一音楽室では依然として楽器たちが各々《おのおの》主張するように音を鳴らしている。ミヤコは大きく伸びをすると、背筋がポキリと小さな悲鳴を上げた。よしよし、あとは第二音楽室を見て、出来れば黒部さんの友人にアプローチ。田島部長にも改めて話を聞いてみるか。まだ、祭原さんが自白したことは黙ってよっと。
スマートフォンをチラリと確認する。時刻は17:10、廊下の窓から淡い光が差し込んでいた。
「芹澤さん!何かわかりましたか?」と、第一音楽室の扉が開き、田島部長が、ぬっと顔を出した。
「あ、田島部長。お疲れ様です。いやぁ、もう少しなんですけどね~」
「うーむ……。じゃあ、第二音楽室を見ましょう」
「はい!ぜひ!」
田島部長は頷くと、第二音楽室に向かう。その後をミヤコは小走りで追った。
部屋に入り、電灯をつけると一般教室よりも一回り大きい空間が広がった。第二音楽室は前方にグラウンドピアノが一基あり、後方に階段状に連なった机がある構造だ。芹澤ミヤコも普段の授業では数回程度しか入った記憶がない。防音がしっかりしているのか、扉の外で微かに音が聞こえる程度で、ほぼ無音。先ほどまで鳴り響いていた金管の余韻が、ここでは嘘のように途絶えている。
「おぉ、久しぶりに入りました!」と、芹澤ミヤコの声が第二音楽室に響いた。
「授業ではあまり使われない教室ですから。吹奏楽部はほぼ毎日出入りしますけどね」
「なるほど!つまり、黒部さんと祭原さん、どっちかが、あのピアノを使ったということですね」
「はい。それしかありません」
「詳しく調べても?」
「どうぞどうぞ」
芹澤ミヤコは待ってましたと言わんばかりに、グラウンドピアノに近づいた。スマホを取り出し、黒く艶めくピアノにレンズを向ける。屋根は開けられており、ボディは指紋一つないほど磨き上げられている。反射してスマホを構えるミヤコが映った。譜面台には開かれた楽譜。ミヤコは常備している黒皮の手袋をはめ、譜面をそっと持ち上げる。CHOPIN-ショパン ノクターン集-、中は折り目ひとつない——新品のようだ。楽譜が真っさら、ということは──この演奏者は譜面を頼りに弾かなかった可能性が高い。アドリブや暗譜で表現する演奏家の方が、こうした“無書きの譜面”を残しがちだ。何枚か写真を撮り、元の位置に戻す。
「座ってみてもいいですか?」
「はい。大丈夫ですよ」
ミヤコは4本脚の黒い椅子を撮影。そっと腰かける。踵が浮くくらいの高さ。背もたれがない分、クッションがしっかりしていて心地よい。詰めれば二人座れそうだ。
「それにしても大きいですね。普段からこの状態なんですか?」
「いえいえ、いつもは鍵盤蓋と屋根を閉じていますよ。これは昨日の夜のままです」
なるほど。現場はしっかりと保管していたと。なら、当時二人はどこにいたのだろうか。
「黒部さんと祭原さんはどの辺りにいましたか?」
田島部長は顎に手を当てて思案顔。「確か、この辺りでした」と、ピアノの横に立った。
「向かい合っていたということですか?」
「そうですね。向かい合っていました」
「絶妙な位置ですね。どちらが弾いてもおかしくない」
「そうなんです……」と、田島部長はうーむと唸り、額の汗をハンカチで拭った。
芹澤ミヤコは眉を寄せ、ゆっくりと立ち上がった。そして、ピアノの全体像を写真で撮影し、スマホをメモアプリに切り替えた。
「ありがとうございます。では、最後に田島部長にもお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
「えっ!?ボクに?」声が半音上ずり、第二音楽室に跳ね返った。鳩が豆鉄砲を食らった顔をする田島部長。芹澤ミヤコは「はい。確認したいことがありまして」と笑顔で告げた。
田島部長はしどろもどろになりながら「ボクにわかることであれば……」と小さな声で言った。もっとも、静まり返った第二音楽室では、その声も良く響いていたが。
つづく




