第8話 第二王妃アナスタシア
アルベールと城内を少し歩いたタイミングで父上とお会いした。
先手を打ち、頭を下げて謝罪をすると
「よい。お前が全て正しかった。どうか愚かな父を許して欲しい」
そう言われてしまった。どういう心境の変化なんだ?
また、自分のことを"父"と言っていた。ここアストリアの王ではなく、一人の父親とただの娘の口論だったという事にしてくれたという訳か。
そして、謝罪することでただの父として娘の意見を聞き入れ反省した態度を見せている。
……これは私も態度を見直さなければならないな。
正直、ユリウスを若い王として侮っていた。今回のたった一言の謝罪だけで私の考え方を改めさせる、非常にクレバーなやり方だ。
熟達した貴族社会に長年居続けた老齢の王のような狡猾さが垣間見える。
それに、その日から鬱陶しいソロンの視線が消えた。
忙しくなったのか……?あの馬鹿の考えることは分からんな。
兄上と言えば、次兄のエヴァンは城内でお会いしたことが無い。噂によると魔法研究に心血を注いでいるらしい。
……あまり関わりたくはない人種だな。セラフィエルに私の事がバレたらまずい。どこにヤツの目があるか分からないから、魔法を通して私を見つけるかもしれない。
それに、黒の魔力を鍛えることもできない。
ヤツは『魔神の力』と言っていたな、この黒い魔力のことを。
『魔神』。聞いたことは無い。古に祀られていた神の一柱だろうか。なぜ私にその力があるのだ?
考えても分からん。何かヒントになるような事があればいいんだが、頭脳労働は私の専門じゃあない。そこら辺は今後のアルベールに託すとしよう。
「姉さま、魔力のせいぎょうまくいったよ」
「! 本当か!」
いつもの如く私の部屋で魔力のコントロールの基礎練習をしていたが、とうとう自在に操る感覚を掴んだようだ。
「素晴らしい成長だ、アル。やはりお前には素晴らしい成長余地がある。この姉と共に全てを守り通す力を付けるぞ」
「はい!姉さま!」
それから数日後、アルベールに少しだけ難しい訓練をつけてやったり、ソロンの邪魔が入ったりするある日の事、私は母上に呼び出された。
普段は後宮に住み、私に与えられた部屋とは少しばかり離れているため用向きが無いと中々会う機会が無い。
第二王妃と言えど、あまり自由は無いらしい。外交やパーティーへの出席など、心労があるだろうに。
その表向きの性格は和やかで清らか、清廉な雰囲気で人を癒すような温もりのある人物だ。周囲にいる人間は誰もそれを疑わない。
しかし、私だけは知っている。母上の心は激情家だ。
「母様、イザベラが入りますよ」
「どうぞ」
母様の部屋に入ると、無表情の母上、アナスタシア妃が佇んでいた。
後ろ手に扉を閉めたその瞬間。
バシィッ!!!!!
「お前は何をしているのですかッ!!」
思い切りのいい平手打ちを食らい、私は吹っ飛んだ。
ハハ、我が母はいい攻撃をお持ちだな。
「アルベールを守ると言ったその口はいつ無くなったのですか!考え無しに陛下に突っかかるなど、お前こそ愚か者ですッ!」
全くその通りだ。
先日の私の愚行はアルベールを巻き込んだものだ。
「お前を信用したからアルベールを任せたのです! 自分のことしか考えられぬなら王族など辞めてしまいなさい!」
「申し訳ありません」
謝ることしかできない。
私は母上の気持ちもよく分かるのだ。
自分の子供が異常なほど賢いことに誰よりも早く気づいたのは、メイドを除けば母上であるアナスタシア妃だ。
私はアルベールが双子の弟だと気づいてから、この子を守ると決めていた。私の異常さに気づいてる母上に、私から少しだけ打ち明けたことがある。
「母上、私は他の子供よりも少々賢いようです。魔力の発現にも気づけました」
そう言ったのだ。
そして、アルベールを守るための力を欲していると。
ソロンが貸してくれていた仮訓練場は、母上が人避けをしてくれていた。
我が子が己を鍛え、守る力をつけたいと心の底から願っていることを感じ取った母上は、私のアルベールに対する暴挙を黙認してくれていた。
その信頼を、陛下への態度という形で裏切ってしまったのだ。
「謝って済む問題ではありません。アルベールは純粋な子供です。お前の言葉一つでアルベールに被害が及ぶ可能性を少しは考えたのですか?」
「考えなかった訳ではありません。あの場ではあの回答が最善だと考」
バシィッ!!!!!!!
先程よりも強く頬を打たれた。
「子供に興味が無いなどと言い放ったお前の言葉が最善だとでも言うのですか!」
「!!」
そこを母上は気にしていたのか。
言い過ぎてしまったことを後悔はした。
だが、子供に顔を会わすことさえしない国王に対し、少々の不信感を抱いていたのは事実だ。
今回の件は、それが露呈した。
「陛下はあなた達に興味が無くて会っていない訳ではありません。イザベラ、もう少し考えなさい。あなたなら分かるはずです」
もう少し考える、か。
そうだな、考えてみるか。
私は目を瞑り、思考の海に意識を投げ出した。
子供に会わない理由。
母上が怒り、悲しんでいる理由。
興味が無いのだろうと言われた時のあの顔。
…………会えない理由があったのか。
会いたくても会えない理由はなんだ。
母上のあの怒りよう、政務が忙しいだけではないだろう。それならば陛下に対してもっと会うように言っているハズだ。
私に怒っているということは、私に非がある。
母は激情家だが、考え無しではない。そこには必ず理由がある。
母。
母は第二王妃だ。その子供の優先順位は高い。
それよりも優先しなければならないこと。
「…………ソロン?」
王太子であるソロンに、何かが起きていた……?
今思えばあの時、私がユリウスと対峙していた時のソロンの表情は不自然だった。
今までのソロンは飄々とした性格で、それにしては私に執着し物で釣ろうとしたりする単純な阿呆だった。
だが、あの時のソロンはニヤニヤとしていただけだ。
おかしいだろう。剣を私に譲り、訓練場を貸しているのは兄だ。私が問い詰められている時に助けてくれてもいいハズだ。
可愛い妹の為に、できる事は沢山あったはずだ。
それをしなかった。
それに、日常的に感じるソロンの視線。可愛い妹の言動を確認しただ一人悶えている馬鹿者だとばかり思っていた。
それに、あの書斎での登場……。
私を助けない理由。
視線の理由。
『監視』だ。
ソロンに何かが起きていた訳ではない。
異質な私を、ソロンを使って監視していた奴がいる。
それは、第二王妃である母上より立場が上で。
それは、ユリウスにとっては愛する子供たちよりも気にかけるべき相手で。
それは、ソロンに命令できる立場の人物で。
それは、私に監視を頼むほど身の危険を感じている人物で。
そんな人物、一人しかいない。
「…………第一王妃、ミネルヴァ」
「遅いですよ、この大馬鹿者」
すまないな母上。
私は頭脳労働があまり得意じゃないんだ。
私を監視する人物など第一王妃のミネルヴァしかいない。
奴は私の異常な優秀さに危機感を覚えたのだろう。ソロンは優秀だが王たる器には見えず、次男のエヴァンは引きこもって魔法の研究に没頭している。
そんな中、第二王妃が優秀過ぎる双子を産んだ。ミネルヴァの焦りようが目に浮かぶな。
我が子が王を継ぐ予定が根底から覆されるかもしれないんだ。そりゃ危機感もあるだろう。
そして、国王であるユリウスが私達に会えば会うほどミネルヴァは危険視することを止めないだろう。
会いに来なかったのは、それが理由だな。
ユリウスとしては複雑だっただろう。だからこそ、私に「子供に興味が無い」と言われた時あの表情をするしか無かった。
本当に、愚か者は私の方だったようだ。
「母様、考えが足りませんでした。この愚か者に処罰をいただきたく思います」
けじめは必要だ。私の考え無しの行動が母上にまで危険が及んでしまう。
あのまま放置していた場合、焦ったミネルヴァが母上の派閥の勢力を削ぎに行動する可能性もあった。
下手をすれば、内戦だ。
「愚かなイザベラ。お前には一つ頼みを聞いてもらいます」
母上の頼みか、嫌な予感がするな。
ただ痛めつけられる程度の処罰の方が気が楽だが……。
「化け狐のミネルヴァに話を付けなさい」
そうはいかんよな。