第58話 異常
「あの……まだ歩かなきゃダメかい?」
「当然だ。お前たちは弱過ぎる。全ての行動を鍛錬と考えろ。考えうる全てを鍛錬としてもあの女は超えられんが、辛うじて戦いと呼べるものにはなる可能性がある。弱いくせに満足などするな」
私は助けてもらった真っ赤な鬼のサイと共にアストリア王国へ向かっている。
徒歩で。
目を覚ましたエイルは元気そのものだったが、この移動方法には不満があるらしい。
エイルの重症を治したあのサイの魔法は尋常じゃない効果だった。
イザベラの魔力を代償にすると言っていたけど、本当なの?
私が想像しているものより大きな代償なんじゃ……。
「いや……ハハ。最近のオーガは手厳しいね」
それは本当にそうよ。死にかけた人を散々歩かせるなんて信じられない。
「この鬼」
「オレは鬼だ」
そうだった。
「バカ」
「…………」
無視された。
腹立つ事にこの鬼は本当に強い。
道中、魔物とは一体も出会わなかった。
本能的にこの鬼を避けてるんだ。
森がこんなに静かなのは初めての経験だった。
「まぁまぁティナちゃん。僕のことを助けてくれたんだし、おかげさまで元気だから平気だよ?」
「私はエイルが死にかけてる姿を見たのよ。心配して当然じゃない。それに……」
それに、目の前で死んだ子もいた。
エイルは暗くなった私の顔を見てクリスタのことを思い出したようだった。
「そう、だね……。イジーにはなんて説明すればいいんだろう」
私も、それが憂鬱。
イザベラになんて言ったらいいか分からない。
どんな顔をして会えばいいのか、一つも分からない。
エイルと二人で俯いていると、横の大きな鬼が口を開いた。
「……己の弱さから目を逸らすな」
え?
「お前達は弱い。守りたいものを守る力など持ってはいない。あの女にどう説明すればいいかなどと悩むのは阿呆の所業だ。己の未熟さを素直に受け止める事ができない脆弱な精神。そんな事だから失うのだ」
そうね。
強い人の言葉だから、説得力があるわ。
私たちは弱いのよ。
私もエイルもクリスタも。
おまけのアルベールも、皆弱かった。
だから理不尽な暴力で大切な物を失う羽目になる。
「……慰めてくれてもいいんじゃない?」
自嘲した私が冗談めかしてそう言うと、鬼は鼻白むように眉を曲げる。
「そんな事を言うヒマがあるなら己を鍛えるんだな。お前達は甘過ぎる。結局あの女がどうにかしてくれると思っているんじゃないのか?」
正解。
この一見粗暴な赤鬼は、イザベラに寄りかかってしまった甘い私を即座に見抜いていた。
エイルも私も寄りかかっていると気づかなかった。
本当に、甘い。
「世界はお前達に都合良くできていない。この教訓を活かすか殺すかはお前達次第だろう」
それだけ言って終わりだと言わんばかりに口を閉じてしまうサイ。
教訓、か。
まさにその通りだ。
今回の件は、痛い。
私達の間に治らない傷跡が刻まれた。
この傷を受け入れなければ前に進めない。
私には、まだ時間が必要だ。
「……ありがとう、サイ。僕達はまだ、何も知らないんだ」
私も知らなかった。
敗北が、心の傷が、こんなに痛むなんてね。
顔にシワが寄っていけないわ。
「サイ、イザベラとはどうやって出会ったのか教えてよ」
話題を変えよう。
イザベラのことを考えたらなんだか笑顔になれる気がするの。
「あぁ。あいつとは森の中でばったり出くわしたんだ」
「森?」
何のために?
「ヤツは魔王と会う為に森を駆け抜けていたが、久しぶりに強そうなヤツを見つけて嬉しくなってな。だが、あいつは強かった」
今も最短距離で戻るために森を抜けているけど、やはり魔物とは出会わない。
サイ程の力を持つ魔物とまともに出会える生物はそもそも珍しいんだろう。
だからまともに対峙した小さな人間の女の子に興味を持ったと。
「ボコボコにされちゃったのね?」
「……言い過ぎだ。まともな戦いにはなった。俺が負けたのは事実だが、その後行動している間に何度か意表を突けた事もある」
怖い顔を更に歪ませたサイ。
怖そうに見えるけど、これはただ困っているだけね。
「でも、だとしたらイザベラの力は私の知るものよりも更に強大な力ってことになるわよ?」
「そうなのかい?」
エイルが疑問に思っているが、アルベールを一方的に蹂躙した姿は私しか見ていない。
私が知るイザベラは、あの力と同等以上だとはどうしても思えないけれど……。
「お前達の前で全力攻撃ができる訳無いだろう」
「……?」
というと?
「アイツの力は強過ぎる。弱いお前達の前で力を放てば全員巻き込んで死ぬぞ」
あぁ、そういう事。
あの子は常に手加減しないといけなかったのね。
「お前達はイザベラの弱点の一つだ。あれ程の力を持ちながら、どうにも情に弱い。とてもアンバランスだ」
「アンバランス?」
エイルが尋ねる。
「あぁ。あの力は完全に常軌を逸している。あそこまで力を高めるには俗世の全てを捨て去る覚悟が必要のハズだ。だが、イザベラは違う。人間性も情も持ったまま化け物になった。虫けらに愛情を注ぎ、過去の自分を戒めている」
思わず言葉を失う。
私達は強くなる為には何かを捨てなきゃいけないのだろうと、そう思った。
鍛錬に打ち込むなら学園など不要だし、魔術を極めるなら権力も必要ない。
私の持つ全ては強くなるための足枷でしかない。でも、それを捨ててしまえば私は私である必要が無くなってしまう。
そういう意味では、イザベラは確かに異常だ。
私達とクリスタが三人でも手も足も出ないアルベールを、圧倒的と呼べる程に蹂躙したサイと全力戦闘をして勝利してしまう。
それでいてまともな価値観を持ち、学園に通い、情に厚い人物。
「オレ程度の異常では計り知れない。イザベラは、真なる異常だ」
そう言い放ったサイの顔は、どこか遠くを見つめていた。
◇◇
白く大きな建造物の小窓から街並みを眺めているのは、白い法衣を纏った金髪の少女。その目は青く、煌めく髪を風に揺らせて物憂げな顔を携えている。
そこに声をかける男の姿があった。
「聖女様、こちらにいらっしゃいましたか」
そこに居たのは肥え太った男。
指は腫れたように膨れ上がり、付けている指輪がまるで贅肉に喰らいついているようだ。
指輪に嵌められた美しい宝石だけが輝いている。
白い法衣の少女はその豚を見やると鈴のような声で返事をする。
「ええ、民の姿を見ていました。この神聖な魔力に満ちた素晴らしい世界を作り出したセラフィエル様へ心の中で祈りを捧げてしまった程です」
「ほっほ、さすがは聖女様です。素晴らしい信仰心ですな。私も見習わなくては……」
贅肉を揺らしながら笑う太った男は汗を拭きながら答える。
その姿を見る法衣の少女の目に、少しばかり影が差した。
「それで、ゲリウス枢機卿。何用ですか?」
ゲリウスと呼ばれた男が困ったように話し出す。
「それがですな……アストリア王国が魔王撃破の報を我が聖王国へ送られまして対処に困っております。いやはや、魔王などという眉唾な存在を、よもや討伐したなどと信じられない虚偽を堂々と言われまして」
急な魔王討伐の功績。
果たして功績なのか、虚偽なのか判断がつかない。
しかし、白い法衣の少女は目を見開き驚愕する。
「魔王……」
「ほ?聖女様はご存知で?」
白い法衣の少女はそのまま黙りこくってしまう。
魔王など、その存在が古い書籍に少し載っているだけで実在する脅威だとは誰も思えなかった。
その討伐報告が出るまでは。
「…………」
「せ、聖女様?」
ハッとした様子で顔を上げる白い法衣の少女。
「いえ、なんでもありません。それと……残念ながら恐らく事実でしょうね。討伐までが早過ぎますが、不吉な魔力は感じていました。まさか魔王だとは思いませんでしたが……」
ゲリウスは顔を蒼白にして愕然とした。
「い、いや、ハハハ!聖女様も冗談がお上手ですな。あの伝説の魔王を討伐することが一国の姫にできる訳がありますまいて」
「姫?」
再び思案顔をする。
「それは……アストリア王国唯一の姫?あの有名な獅子姫?」
「え、ええ。まぁ、自らの力を誇示したがるあの国らしい虚報でしょう。それに踊らされてはなりませんぞ聖女様。神のお導きのみが正しいのですからな」
聞いているのか聞いていないのか分からないが、その少女は返事をせずに視線を外へ移す。
「獅子姫……怖いですね。セラフィエル様の神託の通りです」
その瞳は、もう街並みを写してはいなかった。
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王宮動乱編、終了です。




