第45話 魔王の住処
「……アーサー?」
眼前に現れたのは過去の私、前世の私。
アーサー・アルバス・カストルムだった。
「あぁ、名を覚えてくれていたのか……。こんなに嬉しい事はない」
何故。
何故私が。
「訳が分からないという顔をしているな。手に取るように分かるぞ。お前は私だからな」
朗らかに笑う魔王アーサー。
あぁ、そうか。
全ての辻褄が合った。
道中で出会った柱のマフアンは言っていた。
『俺達を憎んでいた様子だった』
『嘘なんかついてない!あの瞳、あの顔。怒りに震え、俺達を逃がしてしまう事にすら怒り狂っていた』
魔王は私だった訳だ。
恐らく、セラフィエルは魔王の素体に私の死体を選んだのだろう。
魔神の力を操り、セラフィエルに多少の苦戦を強いた私は素体にはぴったりだったんだ。過去最高の魔王が創れるかもしれない。
だが、どういう訳か自我が残っており、魔人を生んではたちまち殺して回ったんだ。
そりゃあ憎しみの瞳を向けるわけだ。
「……分からないことがいくつかある。聞いてもいいか」
「あぁ、何でも聞け。私よ」
アーサーは常に微笑んでいる。この時がよほど待ち遠しかったのだろうな。
……なんとなく、やりづらいな。
「なぜお前は自我を保てている。恐らくセラフィエルは魔王の素体にする段階で自我を消すように魔王を創るはずだ。でなければお前のように叛意を持った魔王が出てくるだろう。魔王システムは上手く動作しない」
真剣に聞いたつもりだが、アーサーはカカッと快活に笑った。
「なぜ分からないんだ?私よ。魔神の侵食があったからに決まっているだろう」
……!!
そうか。
この魔神の力は、ただ与えられた力じゃない。
サイが感じ取ったように、本当に魔神の加護なのかもしれない。
死後も加護は残り、セラフィエルは魔王化に半分成功し、半分失敗した。
つまり、魔王としての力をつけたが、自我は魔神によって守られそのままのアーサーとして蘇ったのか。
これはセラフィエルにも予想外だっただろうな。
「そうだ。魔神の侵食に比べればセラフィエルの祝福など取るに足らん。お前にも分かる時が来るだろうな」
私にも分かる時が……?
魔王化するという事では無いのだろう。
セラフィエルは精神を汚染するような魔法を用いるという事でもあるだろう。
「アーサー、なぜ魔人を生み出すんだ」
聞かれたアーサーは顔を険しくさせた。
「好き好んで生み出す訳がなかろう。あやつらは私の魔力から勝手に出てきよるのだ。だからプチプチと潰していった。全くもって手のかかる糞共だ」
なるほど。
望んで出していた訳じゃないから、自ら殺し尽くしていたのか。
狂った魔王というより、あの魔王戦線を生き抜いた戦士なら全員がそうする行動だろうな。
「……最後に一つ。お前、どうしてその病に侵されているんだ」
「…………」
こうして話しているアーサーは、ベッドに横たわっている。
身体を起こす事もできないらしい。今もその病が身体を蝕んでいるのだろう。
「その微弱な魔力、弱っているなどというレベルじゃない。今にも死にそうじゃないか。なぜ、そうなった」
諦観の顔で笑ったアーサー。
本当は、もういくばかの命を繋ぐので精一杯だろう。
「あぁ、これはな。セラフィエルの呪いだ」
呪い。
やはり、セラフィエルの呪いか。
嫌な予測ばかりが当たってしまうな。
今考えれば、ウルネラ村に疫病が蔓延したのも分かるな。
ソロンが派遣した調査チームによると、現場に黒い布が残されていたという事だった。
それが唯一の手がかりだったが、恐らくそれは魔人の着ていた衣服だったんだろう。
弱った魔人が森で倒れたんだ。それを狙った魔物に襲われ喰われた。
喰ったディアサーペントが疫病に感染し、感染したまま村人に噛みつき感染が拡大したんだ。
「私がどれほど経っても人類を滅ぼしに行かないから我が母は困惑しただろう。歴代で最強の力を持つ魔王に誕生したのに、人間を殺したくなるように創り出したはずのに、一向に人類の討滅に向かわない。そんな私に、セラフィエルは命のタイムリミットをつけたんだ」
それが、呪い。
感染する疫病。
魔王がいつまでも引きこもって目的を果たさないのはセラフィエルにとって禁忌だったのだろう。
手足は腐り落ち、全身を蝕む恐ろしい病をアーサーに与えた。
だが、凶悪な痛みに私は耐えた。
いや、耐えてしまった。
「魔王と化した私でも、疫病に侵されてしまえば魔人を殺し尽くすのは段々と難しくなっていった。この身を蝕む病は魔人に移り、移った魔人すら殺せなくなってしまった。お前達にはかえって迷惑をかけてしまっただろう。申し訳が立たん」
何?
迷惑?
「魔人はそこまで影響していないと思うが……疫病で村人が数人死んだが、言ってしまえばその程度だ」
そう、村人が数人死んだのは悲しい事件だ。
だが、魔王の災厄による被害としては大きいものでは無いと言えるだろう。
前世ではそれこそ国単位で人が死んでいた。
それに比べれば圧倒的に少ない被害で済んでいる。
「……?まだ影響が無いのか?」
「だから、何のだ?」
二人で困惑してしまっている。
「……疫病だ。人類には大きく影響するだろう」
今まで黙っていたサイが口を開いた。
影響自体は既に出ていると思うが……。
「それほど大きな問題になると?」
「あぁ。さっきこの魔王は魔人にも移ると言っていた。お前も村人が死んだと言っていたな。疫病に感染した魔人が大陸中に散らばり、病を振り撒いていく事になるんじゃないのか?」
……その可能性はもちろんある。考えてなかった訳じゃない。
だが、爆発的に広がるのか?
魔人は複数いるだろうが、そこまで人数の多いものでもないだろう。
それに、人類が受け入れるとは限らな……。
あぁいや、魔人に病があるなど思わんだろう。殺してそのまま放置などしてしまえば、疫病はそれだけで拡散していく。
……待て、そもそもこの時代の人間は魔人を知らん。アルベールやティナは魔人を保護しようなどと言ってきた程だ。
人間扱いされて救助された後でも疫病は感染したままだろう。
人間扱いされた魔人はその身に病を隠しながら人間社会に溶け込んでいくだろう。
もはや、自分を感染源として人類を破滅に導くことさえ躊躇なくやってくる。
そういえば、遭遇した魔人は全員疲労困憊だった。
てっきり魔王との戦闘で疲労したか、道中で逃げ惑っていたからだと思っていたが。
もし、もしだ。
あやつらが疫病に侵されているせいで疲労していたら……。
学園に一人、疫病を拡散させ続けている奴がいる事になる。
いや、それどころじゃない。
本当に世界中で魔人が疫病を拡散し続けている事になる!
「……間に合わなかったんだ。私は、こんな所にいる場合じゃなかった」
今にも世界で病気が蔓延してしまう!
目の前が真っ暗になってしまう。頭がクラクラしそうだ。
「イザベラ、落ち着け」
ハッとして左を見上げる。
腕を組んだまま難しい顔をするサイ。
「もし疫病そのものがセラフィエルの呪いであれば、解呪する事で全ての呪いが消える可能性もある。魔王を殺す事で呪いがこの世界から消えるかもしれん」
「……あぁ、その通りだ。さすがは赫鬼殿、と言えばいいか」
そう、だな。
ただの疫病であればもう感染拡大を防ぐ手立ては無かったが、セラフィエルの呪いだとすれば話は変わる……かもしれない。
元々はサボっていた魔王のケツを引っぱたく為のシステムだ。魔王が動けば状況が変わるかもしれん。
「イザベラ、私は自殺ができん。魔人の攻撃も受け付けられん。どうか私を殺してくれ」
つまり、そういう事だろう。
「アーサー。お前はよくやった。たった一人で魔人の侵略を食い止め、世界の寿命を伸ばした」
「……あぁ」
床に伏せてからも、魔王化した私は魔術を使い魔人を殺したのだろう。
「アーサー。お前の勇姿は我らがクロエも見守ってくれている」
「…………あぁ」
「アーサー……。お前は、お前は、お前……は……」
お前はよくやった。
死した後、憎きセラフィエルの手駒として無理矢理生き返させられ、更に魔王の素材として消費された。
これ以上ない屈辱だっただろう。
悔しかっただろう。無力感に苛まれただろう。
それでもクロエの事を忘れずに、世界を守り通した。
「もう一人の私よ。もうよい」
涙の止まらぬ私に、アーサーが優しい声で語りかける。
「私はこの世界がどういった世界なのかを知らぬ。私が魔人を殺した事で生まれた悲劇もあっただろう。私に感謝など、ましてや慰めなどいらぬ」
その、通りだ。
「イザベラよ。今のお前からは私などよりも大きな力を感じる。世界を滅ぼす事ができる大いなる力だ。セラフィエルと同等かは分からぬが、私よりもセラフィエルの近くにいることは間違いない。お前に全てを託す」
そう言ったアーサーは、赤黒く光りだした。
「な、何を」
「黙ってそのままにしていろ」
鋭い口調のまま赤黒い光を纏う右手を、私の頭に乗せた。
「これは……」
魔王としてのアーサーの力が流れ込んでくる。
ただの魔力譲渡などという力じゃない。
もっと根源的な何かだ。
「それは私の魔王としての力そのものだ。魔人をちまちま殺しながら私の中の力を探った時に見つけた。未来を託せる者に譲渡しようとしたが、それがまさか私自身になるとは思わなかったぞ」
ああ、その通りだ。
私も魔王が私自身など全く思っていなかった。
「気をつけろ、イザベラ。私が死んだことは必ずセラフィエルに伝わる。お前はこれからセラフィエルに見られながら生きていくことになる。迂闊な真似をするな」
「……分かった」
そうだろうな。
アーサーが魔王の素体として完全なものだったはずだが、それを撃破せしめた私はセラフィエルにとって極上の餌だ。
転生したことなど、もう誰にも話す事はできんだろう。
魔神の力の解放もセラフィエルに悟られてしまう。かなり制限がかかってしまった。
「まぁ、なんとかなるだろう。アーサー、今の私には友人が何人もいるんだ」
不敵な笑みを浮かべた私。
「な、なんという……。あの私が、友人を……!」
目を見開いて、心底驚かれた。
この不敬な奴めが。
いや、私だが。
ふぅ。
これで、終いだ。
「アーサーよ、心配する事なく逝け。後の事は全て任せろ」
「……あぁ、任せた」
この魔王を殺した所でセラフィエルの呪いが消えると決まった訳じゃない。
それに、死んだ人間も生き返ることは無い。
それでも、私が全てなんとかしてやる。
私の不始末は、私が対処してやる。
静かに、休んでくれ。
アーサーは静かに目を瞑り、待ち侘びたその時を迎えた。
「あぁ、我が姫クロエよ。私も……すぐお傍に……」
私の剣が、アーサーの首を刎ねた。




