第37話 別れ
「次余計な事を話したら後ろの奴らを一人ずつ殺す。話を聞きたいのは私だ。たかが一匹の柱ごときが私を無視するなどいい度胸だ」
殺意に満ちた私の顔を見たマフアンは気を引き締めたようだ。
遅い。私はお前たちを味方やら同族やらと思ったことなど一度も無いんだ。最初から敵だ。
私の感情のコントロールが効く内に話せよ。
「お前たちの仲間を保護していると言ったが、実際の所は軟禁だ。監視もつけているし、何かあったら殺していいと命令している。慎重に、言葉を選んで、話せ。私は魔王について知っている事は何か?と聞いたんだ」
「わ、分かった!余計な事は話さない。魔王様についてだな。俺の知る全てを話すが、俺もあまり知らないから期待しないでくれ」
まぁ、柱といえど生まれたばかりの赤ん坊のようなものだ。詳しく知っている方がおかしい。
学園に入ってきた女の魔人もそうだったが、この世界の魔人は生まれたそばから魔王に殺されているはずだ。魔力の扱いは生まれた時から引き継がれた魔王の知識が教えてくれるが、まともに人間と殺し合いをしていた訳じゃない。
コイツらが弱いと感じるのは、昔の魔人と比べて戦闘経験が無さ過ぎるからだろう。
ヴァルハザールにより鬼の経験をさせられた魔人は、それこそ一騎当千の実力を持った者たちが集団で襲いかかってきた。
まぁ、今の魔人が旧魔人より弱いとしても、身体能力の差で状況をひっくり返せるポテンシャルはある。油断はできんやつらだ。
「魔王様は男の姿だ。俺が目覚めた時には、すでに見たことも無い魔法で魔人を殺し尽くしていた。逃げるしかなかったんだ。なぜ俺達を生み出したのかは全く分からない。会話もほとんどできなかった」
魔法で殺していたのか。ヴァルハザールのような余りある膂力で肉弾戦を挑むタイプとは違い、魔法で攻撃してくるタイプなのか。
戦いの規模感としては、魔法のタイプの方が大きくなりそうだ。私の魔神の力が通用してくれればいいが。
「ただ、なんというか……瞳が……」
「……瞳がどうした」
黙りこくったマフアン。何かを思い出しているんだろう。
たっぷり時間を使って応えた。
「俺達を憎んでいた様子だった」
…………は?
魔王が魔人を憎む?何の冗談だ。
「嘘じゃ無さそうだな。嘘にしては嘘過ぎる」
「嘘なんかついてない!あの瞳、あの顔。怒りに震え、俺達を逃がしてしまう事にすら怒り狂っていた」
どういう事なんだ。何も分からない。やはり狂っているようにしか思えん。
「なぜお前たちは逃げ出せたんだ?」
魔王というのは埒外の力だ。柱程度、雑魚同然に蹴散らしてもおかしくはない。こやつらが逃げ出せている事は異常な事だ。
現に私が対峙した魔王ヴァルハザールは柱なんぞ比較にもならん強さだった訳だが。
「あぁ……。恐らく、魔王様は大幅に弱られていた。魔法も精彩を欠いていたんだ。肌は爛れ、黒いアザがあった。まともに歩けてはいなかったから、ほとんど広範囲魔法で殺していた。あれは何かの呪いなのかもしれない」
肌が爛れて、黒いアザがあり、立てていない……?
記憶のどこかにある特徴だ。
あれは何処で見たんだったか。
そう、あの時だ。アルベールと城を抜け出して、森を駆け抜け、到着したあの『ウルネラ村』。
寝転んだナヤの母親。
肉の腐った醜悪な臭い。
黒く爛れ腐った手足。
肌に現れた黒い痣。
これは…………『死の毒』だ。
間違いない。魔王は『死の毒』に侵されている。
だが、何故?あれは辺境の村で起きていた流行病か、魔物の毒だったはずだ。
あの魔王がたかが病で死に体など……。
『呪い』
魔王を殺せるほど強力な呪いとは何だ。
セラフィエル……?
「マフアン、正直に話せ。セラフィエルという名に聞き覚えは?」
「……セラフィエル様は我らの偉大なる母だ。魔王様を……まお……う…………ざ…………」
?
なんだ?
その瞬間。
マフアンが自ら首を掻っ切った。
「ッ!!!」
マフアンだった肉塊は首の肉がごっこり削られ大量の血を流し倒れている。
愕然とした私を、同じく驚愕の表情でこちらを見ながら死んだマフアン。
立ち尽くしている私を罵倒する声が轟いた。
「な、何をした!マフアン様に何をした!」
「人間!騙したな!」
「殺してやる!裏切り者!」
「魔王様も見ていらっしゃる!」
後ろにいた魔人が叫んでいる。
だが、私はそんな事は耳に入っていなかった。
『セラフィエル様は我らの偉大なる母』
『魔王様を』
魔王を、産み出した……?
魔人を産み出しているのは魔王だ。
魔人の母という事は、その魔人を産み出した魔王にとってセラフィエルは……。
もし、万が一、魔王を産み出した存在がセラフィエルだとしたら目的が分からん。
また分からない事が増えた。
それに、首を自ら斬るなどマフアンの意思とは異なる。奴はこの人数を生かすために逃げたんだ。自死を選ぶ理由がない。
マフアンは殺された。
「くそが!死ね!」
魔人がその膂力を持って私に迫ってきた。
私は……。
「"闇死棘"」
死を司る地獄の使者が持つ、命を刈り取る魔の大槍。
この程度の雑魚を殺し尽くすのには大き過ぎる力だろう。
つまり、八つ当たりだ。
魔人はこの大槍に込められた極大の力に気づき、全ての動きが止まってしまった。動いているのは大きくなった心臓の鼓動と、額を伝う冷や汗だけ。
周囲には、魔人の口から発せられる荒い息遣いだけが聞こえている。
とりあえず、死ね。
◇◇
「以上が姉さんからのお話です。信じてもらえないかもしれませんが、実際に魔人は存在しており、学園に侵入しています。どう判断されても構いませんが、僕と姉さんの行動は変わりませんよ」
僕は姉さんからの命令をこなすため、父であり、国王でもあるユリウスへ報告をした。
ついでに、横にいるソロンへのちょっとした警告も。
だが。
「……それについては承知した。対応も出来うる限り検討しよう。だが、現在お前たちの話すら聞く余裕の無い事態が起きている。アルベールよ、お前たちを丁度呼ぶところだったんだ。実に良いタイミングだ」
思わず額に皺が寄った。
アストリア王家に余裕が無い?
姉さんが語った魔王の脅威は現実だ。国家と人類の存続に関わる話を聞いた上で、余裕が無いから聞けないだって?
一体何が……。
「……良いタイミングとは?」
「現在世界中で病が流行っている。ルベリオ王国はほとんど無政府状態だ。パンデミックによる死者で溢れかえっている」
……は?
「や、病……?それに無政府状態?本当ですか?」
「真実だ。ルベリオの土地からこちらへ逃れてくる民が多かった。……我々は気づけなかった。王都はまだ流入を食い止めたが、その他の都市は軒並みまずい状況だ。いつ多数の貴族がパンデミックにより命を落としてもおかしくはない」
パンデミック。世界全体で一つの感染症が非常に広範囲に渡って流行ってしまう事だ。
確か、過去に同様の事が起きた記録があった。
その時は感染力が特別強いだけで症状自体は軽い、魔法ですぐに治せる程度のものだった筈。
でも、この感じ。
嫌な空気感。
恐らく、最悪の事態だ。
もうアストリア王国内で取り返しのつかない程、多数の死者が出てるんだ。
「ルベリオ王家の現状はどうなっているのですか?」
「あぁ。ルベリオは王都まで感染者が多発してる。王族は辛うじて生き残ってるが、城外に出るとなると暴徒が押し寄せる可能性があるから文字通り籠城するしかないな。救援に行けるほど余裕がある訳でもないし、その義理も無い。放っておけ」
うん。僕もそうすると思う。
ルベリオ王国は国家崩壊の危機だ。
だが、それはアストリア王国にも言える事だ。
魔王も脅威だが、対抗するための人間が死に絶えてしまえばそれこそ人類の危機だろう。喫緊の脅威はこの病と言ってもいい。
いや、待て。
姉さんはどこへ行った。
「陛下。姉さんは……」
「そうだ。イザベラも迎えに行かせないといけないな。アレは何処だ?どうせ学園で魔人の存在に夢中になっているに違いない」
いや、そうじゃない。
大変まずい。
「姉さんは魔王討伐に向かいました。行き先が分かりません」
「……」
父さんが絶句した。
「なぜ……?」
「姉さんはこのパンデミックを知りません!まずいことになりました。姉さんは魔王を探しに森の奥へ行くでしょう。魔人はそこから来たのですから、森の奥へ行くのが必然です。その先はルベリオ王国な訳ですから……」
「イジーが危ない」
初めてソロンが口を開いた。
「ソロン兄さんにとっては都合のいい話なのでは?姉さんを秘密裏に殺すチャンスだよ」
目を細めてこちらを睨むソロン。
「あいつは生きて帰ってくる。絶対な。だが、感染症を引っさげて帰ってきたら我々も全滅する可能性がある。それに、この病はさすがのイザベラにも死の危険があるだろう」
清潔にしていれば大丈夫だと思っていたが、確かに既に多数の命が散っている。
…………いや、待て。
病?
死者?
感染……?
「ソロン兄さん、もしかしてその病って」
「あぁ。お前たちがウルネラ村で発見したあの感染症だ。あれは魔物の毒なんかじゃなかった」
!!!!
やはりそうだった!
姉さんの考えていた通り、魔物の毒じゃなかった。
「この感染症は手足が黒くなって死ぬ事から、『黒死病』と呼ばれているようだ。これを正式名称とする。アルベール、この黒死病の収束に手を貸してもらおう。拒否はこのソロンが許さん」
姉さん……!
姉さん…………!!
黒く爛れた姉を想像して吐いてしまった。
僕はそっちに行けなくなった。
頼むから、無事でいてくれ。




