第29話 告解
「あんた、どうしたのよ……」
その日、寮に戻った私を驚いた目で見たティナ。
「どうもこうもない。話しかけるな」
八つ当たりで魔物を数十匹ほど殺し尽くしたが、怒りが収まらん。いけないと分かっているが、負の感情が私を責める。
「ダメよ。話しなさい」
私に命令するのか?
殺意を持って振り返ったその瞬間、目に入ったのは涙を堪えるように顔を顰めたティナの表情だ。
私は、十三の子供に殺意をぶつける程乱れている。
だが、クリスタの事ならまだしもソロンの事は話せない。次期国王に内定しているんだ。ソロンの良くない話を貴族に吹聴するなど、翻意があるとみなされてしまう。
「……信じていた者に、裏切られた。ただそれだけだ」
「そ、それだけって……。イザベラ、詳しく聞かせなさい」
「ダメだ」
それだけはダメだ。ティナを巻き込む訳にはいかない。クリスタの件は、単なる私への裏切りではない。
国家と宗教、そして前世という複雑な要素が絡み合い、揉みくちゃになっている。
ティナを巻き込んでしまえば貴族の大家に影響し、王国が揺らぐ可能性がある。それだけはまずい。
だが、ティナも引き下がらない。
「あのね、イザベラ。あんた今見た事ない顔してんのよ。裏切りなんてあんたにとって大きな問題のはずで、強いストレスを感じたはずよ。それを誰にも話さなくてもいいから……話せない事もあるのは分かってるから……お願いだから抱き締めさせて……」
ティナは大粒の涙を流しながら私を抱き留めた。
「王族だからといって、強くなくてもいいのよ……」
私の服を濡らしながらそう言うティナ。
私は、王だった。でも、それ以前に騎士だった。
たった一人愛した女を守り切る事のできない、未熟な騎士。
新しく生まれ直しても、身内からも友人からも裏切られる蒙昧な騎士だ。
そんな者が強いわけがない。
「私は、どうすれば……」
「お馬鹿ね。ゆっくり私を抱き締めて寝ればいいのよ」
そうか。
未だ十三の小さな娘にここまで慰められるとは思わなんだ。
だが、今日は。今日だけは。
その大きな器に、少し甘えさせてくれ。
◇◇
ふと目覚めた。
ティナのベッドだ。
あぁ、情けなくも抱き締められ、慰められたのだった。
……また、魔力の質が向上したな。
負のエネルギーは私を強くさせる。
皮肉なものだ。弱い私は、弱くなればなるほど強くなる。
セラフィエルに勝てる頃には、私には何が残っているのだろうか。家族も、友人も、感情すらも全て負の力に変換されていく。
どれほどの原罪を持つというのだ、私は。
「イザベラ?もう起きたの?」
おや、ティナは起きていたようだ。机に向かって座っている。
同居人の勉強の邪魔をする訳にはいかんな。
「ああ。もう大丈夫だ」
またも心配そうな顔でこちらを見てくる。
お礼を言わなければならないな。
「ティナ、助かった。ありがとう。お前がいてくれてよかった」
そう言うと、ティナは笑顔で応えた。
「もう夜か。少し出てくる。門限までには戻る」
外の空気を吸いに行く。
「私もついて行く?」
気遣いのできる女だ。だが、無用だ。
「心配いらん。門限までには戻る」
少し、やっておきたい事があるんだ。
外に出た私は、とある魔術を組み上げる。これは、呼応の術式。特定の魔力波長を持つ相手に小さな振動を与える術式だ。
つまり、アルベールを呼び出している。
しばらくすると、見慣れた男前が走って現れた。
「姉さん、どうしたの?」
「少し顔を出せ」
それを聞くとアルベールは顔を顰めた。
「何かあったんだね」
その通りだ、我が弟よ。
そのまま寮の裏手にある川向うにたどり着いた。密談するならここにすると約束していたんだ。
「私の力がソロンとヴォルコフに暴かれた」
「!!」
アルベールは目を剥いた。
「私の唯一の友として行動していた女がヴォルコフだった。もちろん偽名で「クリスタ・ウィンドミア」と名乗っている。一学年Cクラスの栗毛の女だ。だが、問題はそこじゃない。ソロンだ」
神妙な顔つきで聞いていたアルベールが口を開く。
「分かってるよ姉さん。ソロンの監視がまだ続いてたんだね。……あの愚兄は必要なのかい?」
おお、怖いアルベールだ。私の為に動く時は大抵この顔になる。
「必要だ。ソロンが死ねばエヴァンが次期国王だが、奴は辞退するだろう。お前が国王になどなれば必ず暗殺を疑われる。それに、ミネルヴァが敵対するのは避けたい。奴の権力は絶大だ。昨日の友が今日殺しに来る事だって日常になる」
そう、ソロンは私をどうこうするつもりは今のところは無いはずだ。何故なら、危険な理由を知っているから。危険度を分かっているから、手を出せばどうなるかも分かっている。
故に安全。逆にソロンを殺してしまえば全てが敵になる。
私達は国を追われ、逃避行になるだろう。
二度目の逃避行など、御免被る。
そして、実際私の力は危険なんだ。制御が甘い災厄など、放置しておく方がどうかしている。
ユリウスとソロンはまだ優しい方だ。私が王ならば既に危険分子として殺しているだろう。
だが、これは私の力を正確に把握していないからだとも言える。もし、ソロンの勘違いで私を殺してしまった場合、大問題になるだろう。
アルベールは発狂し、アナスタシアはルベリオに戻る。下手をすれば戦争だ。周辺国を巻き込むかもしれない。
そうなれば崩壊だ。秩序無き国政になる。それだけは避けなければならない。
「アルベール、慎重に行動しろ。私は国家の崩壊は望まない。だが、ソロン達は私を警戒する事を止めないだろう。私たちの行動で警戒を解くしかない。……私の力の制御さえ上手くいけばこんな事にはならん。すまない」
真剣な顔付きのアルベール。こやつは、埒外の力を持つ姉をどう感じているのだろうか。
「姉さん。心配しなくていいよ。僕は姉さんを裏切らない。他の人は、いらないよ」
……内心を見透かされていたか。さすがだな。
私は、何がしたいのだろうか。
この世界で、何を成し遂げる事を望まれているのだ。
『魔神』
その存在は、未だ掴めない。
私は未だ、神々に翻弄されている。
◇◇
それから、二年の月日が経った。
私達は十四歳になった。この歳にまでなると、身体つきはほとんど大人だ。
表面上はクリスタと仲良くしながらも学園の生活は続いていた。
今後の事を考えれば学園はきちんと卒業した方がいい。わざわざ攻撃される材料を与える事はしないでおく。
アルベールは未だにAクラス、というか三学年の星だ。この二年で背も大きくなり、より逞しく成長した。すでに学園内どころか国を見渡してもアルベールに勝てる存在は片手に収まるだろう。
ティナもよくアルベールに合わせて行動してくれている。そこそこの頻度で魔術を教えているお陰か、もう基礎魔術理論は完全に把握している。
あの魔法への信仰心は何処へやら、こちらから積極的にならずとも魔術の虜になっていった。
エイルは……。
「うわぁん!やだよォ!ヤダヤダヤダー!!」
「うるっさいわね!出て行きなさいよ!」
「うわぁーー!イジー!!離れたくないよォー!!!」
情けない悲鳴を上げている。
そう、エイル卒業の年だ。それの時期が迫っている。
「エイル、落ち着け。卒業後は婚約者として行動するんだろう。アストリア王家の世話になれ。あそこなら私も行く事があるし、卒業後はそっちに戻る。私がそうしろとソロンに手紙を送っておいた」
「え!本当かい!?……でも今は離れたくない気分なんだ!うわぁん!」
「あんた本当にうるさいわね!魔法ぶっ放すわよ!」
同居人のティナがお怒りだ。
まぁ、もしティナの婚約者がこんな所で泣き叫んでいたら私もぶん殴って追っ払っていただろう。
私は王族だから、婚約者を部屋に招く事は半分無理やり寮長に納得させた。
内緒話をするには打ってつけだ。
それに、エイルは女だ。問題は起こらないだろう。
「全く、学園の王子様がこんな様になっているなんて知られたら……アンタを慕っているみんなが気絶するわよ?」
はは。見てみたい気もするが、明かす気はない。
「私の前だけだからな。許してやれ、ティナ。こうして我儘を言えるのも私の前だけなんだ。エイルには重い枷がある。解放させてやるのも人徳だ」
「あぁ〜!僕の事をそんな風に言ってくれるのはイジーだけだ!愛おしいよォ〜!離れたくないよォー!!」
まぁ、少々頭のネジが取れてしまっているが、優秀な私の犬だ。その優れた嗅覚は筆舌に尽くし難い。
「はぁ……。あんた達がラブラブなのは良いことなんでしょうね……。巻き込まれる側はたまったもんじゃないわ」
そんな呆れた事を言うティナも、もう大人の年齢。少々身長が小さい気もするが、気にしているらしいので言わぬが花だ。
そういえば、聞いてなかったな。
「エイル、ティナはどんな匂いがするんだ?」
エイルはビクッとして動かなくなった。
……なんなんだ?
「ティナ嬢は……言わなくちゃダメかい?」
当然だろう。私が聞いているんだ。
「え、匂い?私ヘンな匂いする?なんで?」
ティナは何も知らない。見当違いな事で慌ただしくしている。
「エイル、どうした。言え」
「…………」
黙り込んでしまった。
これは…………まさか。
「え、何なの?何なの?なんの話?」
ティナは慌てている。
おいおい、頼むよ。変なことは言わないでくれ。
頼む。
「ティナ嬢は…………裏切りの匂いがする」
世界が凍りついた。




