第2話 魔王
北の大地に君臨している魔王に一矢報いるためには、さすがに我々二人だけとはいかない。我々は冒険者ギルドを利用し、魔王に仇なす覚悟のある仲間を集めた。
冒険者ギルドとは、魔王に攻め入られる前は大きな動物や被害をもたらす地方の魔獣などを狩り、得た素材を換金したお金と依頼料を受け取って生計を立てる冒険者を纏める組合の組織だ。大体の冒険者は平民で構成されている。
冒険者ギルドの拠点は支部という形で世界中に点在しており、小国の都市にも必ず存在している。地方の魔獣を打ち倒すために態々騎士団を派遣するには金がかかり過ぎる。腕っ節が強いだけの平民は騎士になりづらい。貴族と平民とのお互いの領分を守れば十分共生できる存在だ。
まぁ、今や魔人を片っ端から潰しているだけのバラバラな組織になってしまっているが。
仕方がない。そもそも所属している国が無くなってしまっているような状態が各地で起きているのだ。いくら冒険者ギルドといえど情報が錯綜している中で冒険者を制御することは困難だ。
私たちは滅びかけている小国の冒険者ギルドの扉を叩いた。
「魔王に仇なす愚かな人間がいれば、私と一緒に来い!一矢報いたい馬鹿者も来い!夢破れし夢追い人も来るがいい。命が惜しい奴もどうせ死ぬのだから共に来い!魔王を一目見てから、死に行くぞ!」
姫様、かっこいいです……。
私は傍にいるだけだ。何か問題があるのか?まさか私が姫様を置いて演説すると思ったか。この大馬鹿者め。
なかなか酷い演説だったが、数日後には二十八人も集まった。冒険者ギルドは底無しの愚か者がたくさんいたらしい。
姫様は満足気だ。そのようなお顔もお美しい。
冒険者の中には北の大地に詳しい者が六名いた。その三名を中心にルートを検討し、現実的に魔王のいる場所まで到達出来るよう戦力を吟味した。
私の力は街中で使えるようなものではない。ましてや信用ならない冒険者の見えるところでは使えない。攻撃範囲が広く、姫様に被害が及んでしまっては元も子も無いという大変使い勝手が悪い魔術だ。ここは大人しく冒険者たちに従い、ほどほどの剣技と魔術をもって魔人と相対するしかない。
まぁ、なんとかなる。姫様と私のコンビネーションを甘く見るなよ。
冒険者たちは私の強さに目を剥いていた。我が帝国の近衛騎士だったと言うと更に驚いていた。数人は姫様に声をかけていたが威嚇して退散させた。どうやら何かを感じ取られたようだ。
それからの旅では毎日が魔人との戦闘だった。朝も昼も夜も関係なく襲ってくる奴らに辟易していた。夜は交代制で見張りを立てて寝入っていたが、魔人が現れれば寝ていようが戦うしかない。
数ヶ月が過ぎた頃、冒険者の連中の犠牲もありつつ、北の大地に到達することができた。
中でも得意な剣技と魔術の融合で次々と魔人を圧倒する私のことを英雄だと持て囃す奴も出てきたが無視してやった。
私が英雄など、笑い話にもならない。祖国を見捨てた元近衛騎士には重過ぎる称号だ。
すでに全員満身創痍だ。この中では一番体力の無い姫様がおつらそうだ。何度もおぶって移動していたが、北の大地に入ってからの気温の低さに更なる体力を奪われた。
そこからは地獄だ。肌を出せば凍傷になるほどの寒さの中、魔人は一つも堪えていない。まぁ、寒さに耐えきれない奴らが住むには北の大地は過酷過ぎるからな。それなりに耐性があるのだろう。
「ここまでの寒さとは思わなんだ。皆、苦労をかけるな」
姫様が気遣いなど……。毛むくじゃらのガサツな冒険者たちには勿体ないことだな。頭を地べたに擦り付けて感謝するのがおすすめだ。
「お姫サン、そりゃ野暮だぜ。みんなここへは死ぬために来てんだよ。苦労なんか大した問題じゃねえよ!ハハハ!」
これから死に行くというのに、擦り傷だらけの身体で皆が笑っていた。全く、冒険者というのはこれほど気の大きい連中なのだろうか。それとも、皆が死ぬと分かっているからどのような困難も楽に思えるのだろうか。
お姫サンというのは本当に姫だと気づかれた訳ではなく、近衛騎士の私が守るように立ち回っているからお姫サンと呼ばれるようになったのだ。まぁ、当たっているのだが。
それから数日、冒険者の数が半分以下にまで減ったところで魔王がいると噂される魔王城に到着した。
すでに疲労は限界だ。戦うのも精一杯。斧や弓を持つ手は震えている。それでも皆が明るい顔をしていた。姫様も笑っていた。
私は…………死にたくはなかった。
魔王の城の門扉から現れたのは、感じたことの無いほど濃密な魔力の波だ。溺れると勘違いするほど強烈な魔力の奔流に皆の足が竦んでいた。
その人の形をした黒い何かが言葉を発した。
「我が名は魔王ヴァルハザールである」
ハハハ。こりゃ勝てん。
ここまで来れたんだ。勝ち目があるのかもしれない。そう会議していた昨日までの我々を嘲笑うかのような絶対者。鍛えた肉体が、痛めつけた神経が、全てを担う全身の魔力が逃げろと悲鳴をあげている。
「ここまで辿り着いたことに敬意を表し、我自らが出張ってやったぞ。喜ぶことを許す」
「私はクローディア。ただのクローディアだ。魔王ヴァルハザールよ、その間抜けな横っ面を叩きに来てやったぞ」
なんてことだ。私の可愛い姫様が魔王と会話していらっしゃる。
「それにしても、噂に違わぬ汚らしい魔力であるな!」
姫様が挑発なさっておいでだ。なんとも可愛らしいが、心做しか魔王からの圧が増したように感じた。
「ふム……生意気な少女だ。この私を恐れていないように思える。そこの人間の力で守られているからか?」
「は? アーサーよ、私は今も守られているのか?」
おいおい、バラすなよ魔王。姫様に気づかれないように強固な魔術防壁貼るのめちゃくちゃ大変だったんだ。
「そういうのいいから、ヤろうや……!」
冒険者の皆さんは魔王の魔力にあてられて血気盛んでおいでだ。私はうんざりだ。だが、姫様が横っ面を叩きたいと仰ったのだ。それまでは生き残り、姫様を守らねばならないな。
そして、魔王との戦いが始まったのだ。
魔王との戦いは熾烈を極めた。地形を変える魔術、当たっただけで刃が欠ける防御力、殴られただけで鎧が破壊される膂力。全てをとっても我々の全てを上回る最強の個だ。それが魔王だった。
周囲にいた魔人たちは手を出さなかった。手を出す必要が無いからなのか、魔王に手を出すなと言われていたからか、戦いを神聖なものとする文化があるのか。理由は不明だが、好都合だ。
好都合だが、勝てるビジョンが少しも見えないな。
「アーサーよ、お前の力を使え」
冒険者の数が残り僅かまで減ってしまった頃、姫様は私にそう言った。
「……姫様。私は姫様を巻き込みたくはありませぬ」
「阿呆が。このまま嬲られて死ぬつもりか?あのヴァルハザールとやらは天変地異そのものだ。まるで勝機が見えん」
確かにその通りだ。私が死ぬ気で鍛え上げた魔剣技も、姫様が生涯をかけて作り上げた様々な魔術も、冒険者たちが危険と隣り合わせの大地で生き残るために発明した道具、そして経験も、何も通用してはいない。
だが、姫様はこのまま死ぬつもりは無いのだろう。
「しかし、お前から僅かに感じるその力も強大だ。冒険者など巻き込んでしまえばよい。魔王を一目見たのだからアヤツらも満足して死に絶えるであろ」
なんとも非情な選択だ。これが王族に生まれるべくして生まれた血筋か。
この力は、近衛騎士になるため血反吐を吐きながら修行をしていた時に発現したのだ。騎士とは真逆の性質を持つため私自身忌避していた。
そして、強大な力でもあった。無闇に使用していいモノではなかった。模擬戦など以ての外だ。制御出来ず破壊を齎すことは避けたかった。
やるか。姫様、幻滅しないといいなァ。
「"薄闇"」
突如として世界は暗くなった。光は無く、一寸先は闇だ。魔王も突然の事態に困惑しているようだった。ざまぁみやがれ。
「"闇棘"」
私が手に握ったのは黒く妖しい光を放つ槍のようなものだ。これをただ魔王に向けて投げるだけだ。ヤツはまだ困惑している。当てられるとしたら今しかない。
「アーサー、お前……。その力は…………」
「死ネ」
"コレ"を使う時、私の精神も暗闇と同化してしまう。凄まじいスピードで全身は黒く染まり、心は汚染されていく。短期決戦で決めないと私は戻って来れなくなるだろう。
投げた闇棘は魔王に無事当たったようだ。凄まじい轟音と衝撃。周囲数十メートルは、生物が生き残ることを許さない黒き混沌の魔力により、全てが消滅していた。
騎士たる私が帝国の領土を破壊する訳にはいかない。それに、どちらかと言えば神が起こす奇跡の力に近い。代償を求められる力だ。使い過ぎれば、何を奪われるか分かったものではない。強大とはいえ、今まで使えなかった理由はそれだ。
それに、私の身も心も闇に染まってしまう。こんな姿を忠誠を誓った誰かに見られたくはなかった。
私は、近衛騎士なのだから。
「お、オォ、グオオ……」
姫様を巻き込んでしまうと本末転倒だ。威力を多少抑えたのだが、やはりと言うべきか魔王は倒れてはいなかった。
だが、まともに立つこともできていなかった。初めて身体にハッキリとしたダメージを与えた攻撃が、破滅的な威力を持ったのだ。魔王の衝撃は如何程か。
「に……ンゲん。その力は…………魔神の…………」
「ごちャゴチゃうるセェよ。もうすグ楽にシてヤル」
あぁ、そろそろまともな思考ができなくなるな。薄闇も晴れてきてしまっている。姫様の顔はあまり見たくないから後ろを振り返ることはしないでおこう。
見えた魔王の姿は最初に見た時とは比べ物にならないほどに全身がズタボロだ。身体のあちこちから出血しており、纏っていた衣装は元の形が分からないほど凄惨な具合だ。
右腕は千切れており、左の指も欠損があるようだ。
さては右腕で防御しようとしたな?
ハハハ、お転婆はもう一人いたということか。娘って格好じゃないけどな。
冒険者数人はギリギリのところで逃げられたようだ。さすがの嗅覚だ。そうでないと冒険者はやっていけないのだろう。私も見習いたいものだ。
そう考えながら最後の攻撃の準備をしている。未だ片膝をついたままの魔王に対し、決め手を用意せねばならない。
そう、私は生きることを諦めてはいない。
生きて、姫様に生涯仕えるのだ。
なめるなよ魔王。私はお前に勝つつもりだぞ。
「!! グゥ……!」
まずい。魔力による精神汚染が随分進んだ。身体の魔力回路が悲鳴を上げている。今にも身体が破裂しそうだ。
アレを放ってから数十秒も経っていないのにこの有様だ。あと数秒もすれば全身の穴という穴から黒い魔力と共に血が噴き出て死に絶えるだろう。尤も、この身に余る力の代償としては優しいものかもしれないが。
あと少しだけ保ってくれよ。あと少しだけナんダ。
その時、身体に優しい魔力が流れ込んできた。
これは……姫様だ。肩に触れた絹のような手が、私を明るく照らしてくれる。
姫様の魔力譲渡の秘法により、少し身体が楽になると同時に力が溢れてくる。なんとお優しい力だ。
「惚れ惚れするほどの力だな、アーサーよ。私はお前の子が欲しくてたまらなくなったぞ」
私は爆発した。
魔王よ、お前は今日ここで死ぬのだ。
「"神斬"」
世界が、割れた。