表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/3

中編 泡祈の水苑と逆さ虹の呼吸

 逆さ虹の階段を降り切った足先を、生温い水が包む。匂いは蓮蜜と鉄錆が溶け合った甘苦い湿気。底に広がるのは虹葬水苑(レインキープ)――失恋者の涙で点る蓮灯が七彩の符号を無数に浮かべていた。

 水膜越し、蓮台の中央に少女人形が佇む。白磁の素肌に黒い波紋、藍の瞳孔が光を屈折させる。


 「私は蒔澄(まきずみ)鴉猿(あえん)。恋と恐怖を標本瓶に詰める研究者」

 冷ややかな声。胸の鍵穴が脈を刻み、感情を測定しているらしい。

 「双層水都に空いた穴を塞ぐには《哀滴》《悦泡》《恐血》の三標本を等量混ぜる必要がある」


 TamarinPopette がマリンバ槌を肩に笑う。

 「three samples, let’s collect. 君の歌で蓮を揺らせば哀滴はすぐ採れる」


 私は蓮灯の上へ膝をつき、昨夜の卒業配信で流した涙を思い出す。承認欲の塩味が喉を満たし、両眼からこぼれた雫が藍へ濃度を増す。鴉猿が受け皿で受け取り、《哀滴》となった。


 「次は悦びの発泡。失恋直後の君には在庫が薄い」

 そう言った瞬間、Tamarin が背後から片腕を回し、濡れた指で私の耳朶を撫でた。

 心拍が 108 へ跳ね、熱が頬に集まる。気泡が耳元で弾け、鴉猿が銀筒で即採取。

 「《悦泡》確保」

 三度目なのに、人工呼吸とはまた違う甘さが舌先に残った。


 残る標本を得るべく水苑の最深へ。藻が絡む沼で水面が盛り上がり、竜とも鮫ともつかぬ影――**水喰鰭(みずはみ)**が現れる。

 「恐血をくれてやる。だから彼女を噛むな」

 Tamarin の低音が水底を震わせる。影が咆哮、私の膝が竦む。

 ≪未練の泡を切り裂け≫――胸のクリックが命じ、私は声を刃に変えた。


  タリラ/ドン/タリラ/ドン

  既読/未読/斬って/流せ


 マリンバの重低音が追撃し、水柱が竜の鰭を裂く。紅潮が噴き、鴉猿が銀筒に充填。《恐血》が揃った。

 膝が折れ視界が暗転しかけたとき、Tamarin が肩を支え、唇に酸素を押し込む。

 「third breath, still sweet?」

 頷くと耳内で波が拍を刻み、恐怖が薄まった。


 三標本を石皿へ注ぐと液面が虹膜を張る。鴉猿が告げる。

 「恋と恐怖、偏れば溺死。混ぜながら名を与えよ」

 私は鏡のような液面に映る自分の目――涙痕と熱で赤い頬――を見下ろす。

 「名前は《Tarira・Blue・Apnea》――既読疲労を溺息で潜る歌」

 Tamarin が皿縁を叩く。液が泡立ち、七色の蒸気となって空洞へ飛ぶ。

 「穴が塞がりきる前に終水宮(アペイロン)へ呼吸を届けよう」

 蓮灯が一斉に消え、足下の水面が鏡となる。私たちの影が重なり合う。


 鏡面を踏むとガラスが割れ、真下に夜空が開く。水時計の振り子が逆さに揺れ、滴が落ちるたび遠雷のような通知音。

 「揺歌、もし未練の洪水に飲まれたら?」

 「その時は――」私はTamarinの指を絡め取る。「四度目でも酸素を分けて」

 彼女が笑う。潮と虹液の匂いが胸で泡をはじけさせる。

 足元に光のステップが浮かび、終水宮への降下路となる。


  次の一拍で、恋と恐怖と歌が同時に潜水する。


 ――中編・了

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ