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第二章

わっちら女郎の一日は、規則的であり不規則。

毎日決まった時刻にお勤めやお稽古、食事や自由時間を規則的に行い、毎日別のお客様をお迎えする不規則な営業をしんす。

だから、規則的であり不規則。


わっちは上級遊女であるゆえ、自分の部屋と、お客様を迎える座敷を数部屋持っていんす。

さぁ、今日も一日を始めんしょう。




遊女の一日。


時刻は暁七ツ。

先ずは、後朝の別れから。

これは、妓楼に泊まったお客様とのお別れの時間。

床入りしたお客様を、現実に帰す刻。

わっちの場合は冬雪を家に帰しんす。

「冬雪様。起きてくんなんし」

冬雪とわっちは『床入り』はしいせん。

でも、一緒の布団で眠り、この時間を迎えんす。

「ふわぁ~あ……。

……おはよ、雪音!」

冬雪は偏愛的とはいえ、立派な大店の人間。わっち以外のことはほぼ完璧な人間なんでありんす。えぇ、わっち以外の事は。

寝起きもしっかりとし、わっちと共に布団から出なんす。

後でも詳しく言いんすが、この時間は就寝時間とはいえ、遊女にとっては営業時間。

ゆっくり眠ることは致しんせん。

……まぁ、わっちは……その。

……大好きな冬雪となら……ぐっすり眠れんすが……。

ま、まぁ、それはさておき!

だから、わっちもしっかり起き出して冬雪を起こし、冬雪を現実に帰すようにしんす。

「あ~あ、今日も雪音との時間が終わっちゃった」

冬雪は心の底から残念そうな声をあげんす。毎日来てる、というのにこの人はもう……。

「今だけは、わっちも寂しゅうありんす」

「……今だけ?」

「あい。

だって冬雪様はまたわっちに逢いに来てくれるでありんしょう?」

「……!

うん! 勿論!」

「ふふ」

「姐さん、歯磨き盆を持ってきんした」

「ありがとうござりんす」

わっちお付きの禿が朝の支度をする為の道具が乗ったお盆を持ってきんした。

これで、洗顔と、房楊枝で歯磨きを行いんす。

吉原の房楊枝は通称吉原楊枝と呼ばれ、市井の物より長いと聞いていんす。

これで歯を磨き終わったら二つに折るのが流儀でござんす。

冬雪も毎朝これで顔を洗い、歯を磨き。

吉原楊枝を二つに折って……わっちを見て、笑いんす。

そうして。

お客様……わっちの場合、冬雪を、見送る時間になりんした。

冬雪に羽織を着せて、妓楼を出んす。

とはいえわっちらはここでお別れではありんせん。

わっち冬雪と共に、引手茶屋に行くのでありんす。

これは毎朝、冬雪がわっちと禿に朝ご飯をご馳走してくれるんでありんす。

引手茶屋で出る朝ご飯はお粥やお豆腐等。このくらいが、朝には沁みんすなぁ……。

冬雪はこれを、自分とわっち、妹の禿分、三つ注文しんす。

わっちに毎日逢いに来てくれるのだけで充分で、それに加えて朝ご飯のご馳走まで……わっちは悪いから、と何回も断ったことがありんすが……

『吉原で良いお客になるには通になること!

俺は雪音の一番になりたいからこれくらいさせてよ』

と。

確かに吉原にいる女郎は全員、借金を背負っていんす。

妓楼で出てくるお食事は贔屓目に見ても豪華とは言えんせん。

だから、少し余裕のある者は出前を頼みんす……自腹で。

したが、朝ご飯をお客様にご馳走して貰い、お金を手元に残す方法がございんす。

そして、冬雪がたまたま、わっちにご馳走してくれるお客様で。

だからわっちは本当に助かっていんす。

冬雪の負担になっていなければ良いのでありんすが……。

したが、冬雪がわっちや妹にご馳走したい、と言ってくれる為、わっちは有難くその好意を頂戴しておざんす。

いつか、わっちが冬雪に恩返し出来ることを想いながら。


朝ご飯を終え、わっちと冬雪の束の間のお別れの時間。

わっちは昔から、泊まっていったお客様とは見世の前でお別れしていんした。

したが……冬雪はわっちの特別。

特別なお客様には、特別な対応を。

冬雪とは――大門の前まで送りんす。

「はぁ~寂しいな」

「わっちも寂しゅうありんす」

だけど、貴方はまた来てくれるのでしょう?

その言葉は、いつも言わないで。心の中だけで、そう問い掛けんす。

「雪音といつか一緒になる為に、お仕事、頑張って来るね!」

「あい、わっちも頑張りんすえ」

そう言って、冬雪はわっちを抱き締め――

「じゃあ、また夜ね!」

明るい笑顔で、大門の外へと歩いて行きんした。

「さ、見世に帰りんしょう」

冬雪が大門を出て、見えなくなった後。妹にそう言いんした。

わっちら女郎は、お客様が隣で寝てる間はしっかり眠れんせんし、禿たちも朝にお勤めがありんすから、眠いこと眠いこと。

今わっちの隣で共に冬雪を見送ってくれたこの子もおめめがしぱしぱ。

朝も早いから仕方のないことではありなんすが。

この子も眠いゆえ、わっちらは見世へと戻りんした。




朝四ツ。

女郎が朝寝から起き出しんす。

女郎はお客様がいる時分はゆっくり寝れんせんので、後朝の別れをした後、朝四ツまで二度寝をしんす。


わっちは先にも言った通り、冬雪と一緒なら安心して眠れんすが、他の妓達は違いんしょう。わっちも前の見世では眠れなかったでありんす故。だから、その気持ちが分かるからこそ、この時間が大切な時間というのも理解していんす。


わっちはいつもこの時間は本を読んだり、冬雪に宛てるお手紙を書いて過ごしていんす。毎日来てくれているからお手紙は書かなくても……ともたまに思いんすが、わっちは女郎。営業も欠かさずやらないで何が高級遊女でありんしょう。

冬雪も、わっちが書いた手紙を大事にしてくれてる、と言っていんすから、昼間離れてても、わっちを想って貰えるよう。――逢えなかった過去の時間を埋めるよう。お手紙は書いておきんす。

とはいえ女郎に、自由に使える時間は限られていんす。

だからわっちは、今はこの時間を読書に当てんした。

「んー!」

大きく伸びをして、欠伸を一つ。

さて、湯屋に行きんしょう。


吉原の妓楼には内湯……お風呂がついていんす。

市井では内湯は許されていんせん。

だから、市井の人々は湯屋に行きんす。

とはいえ、吉原にも湯屋があって。

わっちら遊女はよく湯屋に行く事が多いでありんす。

気分転換……でありんしょうか。遊女は吉原から出られない、籠の鳥でありんすから。


からんころんと下駄を鳴らして、揚屋町まで歩きんす。




吉原の構造について。

吉原は約二万坪の土地でありんす。四方をお歯黒どぶと堀で囲まれて、出入り口は大門一つ。……わっちら遊女は、吉原から出る事を禁じられていんす。


内部は、五丁町と呼ばれる町割りで区切られていんす。

江戸町一丁目、江戸町二丁目、京町一丁目、京町二丁目、角町、伏見町、揚屋町という町割りでありんす。

何故七つ町があるのに五丁町なのか。それは、元々吉原は日本橋にあったからでありんす。

したが、江戸はどんどん大きくなり、元々の吉原はいつしか江戸の中心に。江戸の中心に廓、吉原があるのは風紀の観点からよろしゅうないという事で、吉原は浅草の裏手へと移転する事になりんした。日本橋の方を元吉原、浅草の裏の方を新吉原と言いんす。まぁ、吉原といえば新吉原を指しんすえ。

その際、町割りを増やす事は条件の一つにあった為、元々あった五つの町に、伏見町と揚屋町が増えた、という事でありんす。したが名前は昔の名残で『五丁町』のままなんでおざんす。


揚屋町は妓楼より日常を賄うお店が多く、わっちが今向かっている湯屋も揚屋町にありなんす。


吉原の真ん中には仲ノ町があり、吉原といえば仲ノ町、吉原の象徴と言われていんす。

ここで、花魁道中が行われたり、季節の出し物を催したり、四季を彩りんす。


ちなみに、わっちの居る雪夜楼は江戸町二丁目でありんす。人気の見世は江戸町一丁目と江戸町二丁目にある事が多いでおざんす。


これが吉原の街並み――構造でありんす。




(ふぅ……)

さて。湯屋に着きんした。

湯屋には勿論、雪夜楼以外の見世の遊女もいんす。

それでも……雪夜楼の評判、実態を知ってか、雪夜楼の遊女にはあまり近付いてくる妓はいんせん。それは、わっちにも。

……ま、よござんす。

誰かが言っていんした。廓の(おんな)は皆敵だと。そうでありんしょうね、だって商売敵と言うんでありんすから。

したがわっちはそうは思いんせん。

優しい妓もいる事を知っていんすから。きっとこの世界は苦界であっても、優しい人もいんすよ。

当時そんな事を言ってた人に伝えたいでありんすなぁ。

わっちはふと思い出したそんな事を考えながら服を脱いで湯に当たりんした。

毎日入ってるとはいえ、やっぱりお風呂は気持ちようござんすなぁ……今度は妹も連れて来よう。わっちの妹女郎もお風呂が好きでありんすから。




吉原では頻繁に髪は洗いんせん。

月に一度。二十七日に洗髪日がありなんす。

吉原はその日に半日見世を閉め、総出で髪を洗いんす。

鬢付け油も使っていんすから、髪が綺麗になるその日が待ち遠しいこと待ち遠しいこと。洗髪日はわっちも好きでありんす。

そんな事を思いながら広い湯舟に身体を落とし、のんびりと朝を過ごしんした。




そして今日もまた、夜見世の時刻

とんとん、しゃららん。

とん、しゃらら。

相変わらずわっちは冬雪をお客様に迎え、夜見世の宴会を開いていんした。

「初雪」

「あい、冬雪様」

宴席でも冬雪は幇間さえ気に喰わないのか、しきりにわっちに話し掛けてきんす。わっちに寄りかかったり、わっちがお酒を注ぐのを受けて喜んだり……。

わっちは、冬雪のことを、あくまでお客様として接していんした。冬雪しかお客様はいないとはいえ、雪夜楼のお職でありんすから。

「初雪。今日も綺麗だよ。初雪……!」

むぎゅう……。

……ここまであからさまにわっちへの愛が溢れるお客様は後にも先にも、きっと、冬雪だけでありんすなぁ……。

――いつかこの先、わっちが普通の女郎として、お客様を取るか分かりんせん。わっちは女郎。冬雪にお客様として接してる以上、いつか冬雪も愛想を尽かしてわっちから離れていく可能性も否定は出来んせん。したが……それでも。それでもわっちは、この今を。かけがえの無い日常として過ごしていくしかありんせん――……。

「? 初雪、何考えてるの?

俺以外のことは考えないで。俺だけ見てて。

初雪、大好き」

「……冬雪様は相変わらずでありんすなぁ……。

わっちには、冬雪様以外見えていないと言ってるではありんせんか」

……私の本心だよ。

女郎として、今まで嘘を使うこともありんした。

けれど、きっと。

冬雪には届かずとも。

冬雪に対しては嘘偽りはござんせん。

だってわっちは、小さい頃から。冬雪が大好きなのでありんすから――……。




宴もたけなわ。お引けの時刻。

あれからわっちらは幇間や吉原芸者、新造の出し物を楽しみんした。冬雪は相変わらず、わっちにくっついて。それでも宴会は楽しんで頂けたようで、いつも通り、床入りの時刻まで笑顔を見せていんした。

そうして、床入りの時刻。

何回も言うように、冬雪はわっちとの床入りは望みんせん。わっちといられるだけで幸せだと。毎回そう言って、おんなじ布団で眠るだけ。

「雪音」

でも一つ変わるのは。わっちの呼び名だけでありんす。

「冬雪様。わっちは初雪でありんすえ」

「でも俺にとって雪音は雪音!」

「はぁ……もういいでありんす……」

「わーい!」

はぁ……きっと、これ以上言ったって、きっと直りんせん。

わっちは、もう諦めることにいたしんした。

「ねぇねぇ雪音!」

「あい?」

わっちの許可(?)を貰って嬉しかったのか、冬雪はわっちに語り掛けてきんした。

「前から思ってたんだけど、

雪音。

雪音の源氏名 初雪。

俺、冬雪」

「……? あい」

「全部、雪がついてる」

「あい」

「お互いに、雪の名前が付くなんて、運命じゃないかなーって思ったんだ!」

「……」

うん、めい……。

「……ぷっ!」

「え? え??」

「冬雪様は分かっておざんせんな」

「……?」

「きっとこれは運命でなく必然。

それに、冬雪様は雪の名前じゃなくてもわっちのことを好きでおざんしょう?」

わっちがそこまで言うと……冬雪は表情をパアァ……と輝かせんした。

「うん! うん!」

本当にこの人は……。

……何だか、小さかった頃に見た犬みたいでありんすなぁ。

「ふふ……冬雪様。お酒はどういたしんす?」

「雪音が注いでくれるなら飲むー!」

「あい」

徳利からゆっくりお酒を注ぐ。間も、冬雪はお酒でなくわっちを見続けんす。

「冬雪様。そんなに見つめられると手元が狂ってしまいんす。

どうかお酒も楽しんでおくんなんし」

「んー? えへへー」

笑って誤魔化す冬雪。まぁようござんす。お酒を注ぎ終え、徳利を離した、その時。

「雪音」

声を掛けられんした。さっきまで、そして今までとは違う声色で。わっちを強く見据えて。

「な……、何でおざんしょう……?」

わっちも、初めてのことでありんした故、軽く警戒しながら言葉を返しんした。もしかして、今夜……。

「どうすれば……」

「え……?」

冬雪が小さく呟いた言葉。それはわっちの耳には完全に入っては来ず。

「……ううん、何でもない」

そういった冬雪は、そこで言葉を止めんした。

「ごめん、何でも無いんだ。

……寝よっか、雪音」

「あ、あい……?」

冬雪は布団に潜り込み、わっちに笑顔でおいで、と言ってきなんした。その笑顔はいつもの冬雪で。




冬雪は何かを感じ取っていたのか。

はたまた偶然か。

この日を境に、わっちらの歪な関係は更に軋み始めたのでありんした――……。

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