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大げさな素振り

作者: エデン



やけに大げさな素振りで、魔術師たちに話しかけるエルフの男が目についた。時折首に着いた、「首輪」を邪魔くさそうな素振りを見せながらも、よく表情の変化する笑顔を振りまく。赤いリザードに話しかけられたときは、恭しい礼までも見せている。何故かは分からない。だがそのエルフの男の顔がもっとよく見たいと思えてしまった。呼びかけると、男は何の疑いも持たない表情で早足で近づいてきた。


「僕に何か用かい?」


男は今の状況にも関わらず、笑顔を崩さなかった。当初の目的である首輪を緩めてやると、男は嬉しそうに「ありがとう」と礼を言って、去ってしまった。狐色の髪を上で結い、髪がゆらゆらと風になびいていた。長年の勘でこの男とは再び関わりを持つことになるだろうと俺は確信していた。





案外早い再会だった。直ぐに逃げれば助かったろうに、危険を冒して皆を救出しに来たエルフの男は、何故か船の下から一向に戻ってこなかった。気になって探しに戻ろうとしたところ、巨大なクラーケンに襲われて船は真っ二つだ。神の声が聞こえて、俺は助かった。致命的な状況で奇跡的に助かった根源の魔術師たちは結局のところ本来の目的地である島に流れ着いた。そこでエルフの女性が男に襲われており、助けようとしたところ、あのエルフの男が赤いリザードを連れて加勢に入った。


「…ああ、君はあの時の」

「船で会ったな」

「早い再会だったね」


男はくすくすと可笑しそうに笑い声を微かに立てた。赤いリザードは興味もなさそうな素振りで辺りを見回していたが、俺と組まないか?と何気ない調子で手を差し出すと、男は意外にも驚いたような表情を見せて、直ぐに握手を返した。


「俺はイファンだ。傭兵をやっている」

「僕はリオン。エルフの割に、覚えやすい名前だろう?」


片目を瞑り、目を少し細めて明るい笑顔を見せる。今まで様々なエルフと関わってきたが、このようなタイプは初めてのことだった。その意図がリオンにも伝わったのか、フッと含んだ笑みを見せる。


「僕がエルフらしくないって思うかい?」

「いや……ただ少し変わっているな」

「…ああ、よく言われるんだ。エルフにも、君以外のヒューマンにも。ヒューマンには好きなタイプと嫌いなタイプがいるよ。君は僕好みのタイプだけれどね」


冗談なのか、そうでないのかリオンはにやりと笑う。それに僅かに動揺してしまうと、リオンは心底面白そうにけらけらと笑い声を立てて、ただの冗談だよと一言付け加えられた。




それからローゼを加えて、島の脱出劇のあと、多大な犠牲の元ようやく新しい土地へと向かうことが出来た。これまでリオンと関わってきて分かったことがある。リオンはとにかく何に関しても冗談を言わなければ気が済まないような性格だったが、案外秘めた正義感を持っている。冗談を交えながら、困ってる人に手を差し伸べることができる立派な男であった。それに話術に関しては、才能を持っている。酒場に行けば物怖じしない態度で面白おかしい話を聞かせて、いつの間にか周りに人が集まっている。時にエルフについて追及されることもあったが、リオンはそれを軽い調子で跳ね返していた。


「さっきから僕のことを見つめているね、何かあった?」

「…あ、ああ」


いつの間にか酒場の席でリオンの方ばかりを見つめてしまっていたらしい。我に返るとリオンはひらひらと手を前に振り、不思議そうに此方を見つめている。咄嗟のことで上手い言い訳が思いつかないでいると、リオンは「ああ」と納得した表情で頷いた。


「僕のことを見惚れてたんだろう?」

「…っなっ、いや、そうでは…」

「隠さなくてもいいよ。僕は誰かに気に入られるのは嫌いじゃないんだ」


リオンはやはり軽い調子で、此方に手を伸ばすと俺の頭に手を軽く置いた。何故そんなことをいきなりしてきたのかは分からないが、驚いた表情を隠せないでいるとリオンは含んだ笑みを見せる。


「動揺してるね。僕の予想はあたった?」


頭に置いた手をするすると下に移動させ、頬を柔らかく撫でつける。そのままキスでもしそうなほどリオンが近づいてきたため、大慌てで顔に熱が昇った状態で立ち上がる。


「―――っ!」

「ああ、残念。あと少しだったのに」


リオンは肩を竦めると、目を細めてからため息を少しついた。動揺しきったイファンに少し含んだ目線を向けてから、片目を瞑り何処かへと去って行ってしまう。イファンが固まったままでいると、ローゼが呆れ切った表情でイファンの目の前に座った。


「貴方、チーフに完璧にからかわれているわよ」

「…やはりあれはからかいか?」

「だってチーフ私にもやってきたもの。まあ貴方にしたほどではないけれど…チーフの天性の才能ってやつかもね」


肩を竦めながらローゼは言うが、そこに悪意は含んではいなかった。リオンは不思議な男なのだ。出会う人を笑顔にさせ、例え冗談によって怒りを向けられようとも、素直に謝るか、「残念だ」と一言だけを返す。だがつかみどころのないと言えば、そうだった。長く共に居るのにもかかわらず未だリオンの本心が分からないような気分になる。その意味が数日後に分かることになろうとは、今は思ってもいなかった。




いつもの酒場の席で、その男の目線だけは明らかに不自然だった。これは長年の経験だ。獲物を狙うような、何かを見定めるような目をぎらぎらと酒場の中のただ一人に走らせている。リオンだ。リオンだけを人間の男は見つめている。年はまだ若い男だった。当の本人はレッドプリンスに恭しく礼をして、酒を出している。レッドプリンスは慣れ切った様子でそれを受け取ると、リオンはにっこりと笑った。


「サマになってるだろう?」

「…チーフ、それ止めた方がいいわよ。レッドプリンスも慣れ切って変な命令してくるかも」

「我を何だと思っているのだ」

「どっかの国の皇子様ね」

「何処かの国ではない、我は正式なリザードの…」


ローゼとレッドプリンスの長い言い合いが発生したため、リオンは笑いながらイファンの横の席に腰かけた。


「…気づいているか?」


イファンは小声で耳元でリオンに一言だけ呟く。リオンは「一体何のことを?」と言ってきたため、再び早口でリオンの耳元で呟いた。


「あの男…この酒場に入ってからずっとお前を見ている。知り合いか?」

「男?………ああ」


リオンは横目で一目見てやけに納得したように頷いた。まさか知り合いだったのか。イファンがホッとしようとしたところ、リオンは急に静かな笑みを見せてゆっくりと此方に近づいてきた。


「……っ?リオン突然何をし………っ!」


唇があと少しで重なりそうなほどの距離にリオンの顔が見える。あの若い男側から見れば、完全にキスしたように見えただろう。後ろで突然がたりと大げさな音と共に立ち上がる音が聞こえたかと思うと、若い男はつかつかと此方に近づいてきて、リオンの腕を強く掴んだ。


「……っリオン。俺を気づいていたな?」

「……僕は君のことを知らないけれど。それに戯れを邪魔しにきて何様のつもりだ?」

「―――っ!俺はずっとお前のことを探していたんだぞ!突然姿を消したと思えばこんなところに居たとはな!」


その男の声が注意をひきつけたのか、何事かと一斉に人々が此方を見る。何とかこの場を鎮めるために、イファンは厳格な表情で男とリオンの間に入った。


「待て。お前は何者だ」

「…なんだ、お前は。今夜の客か?は、俺に言った言葉はやっぱり嘘だったってわけか!まだこんな場所で身体を売ってるとは」

「……身体?何のことだ」


訝し気な表情で男を睨みつけると、男はイファンの強い気迫に少しやられたのか僅かに弱腰になったが、ははと乾いた笑い声を立てる。


「言ってないのか?この男には、お前のことを。ならそれ目的で居たってわけでもなさそうだな」

「僕にとっては過去のことだ。例え君と僕が昔“知り合い”になっていたとしても、それは今は関係ないだろう」

「首飾りを持ち出しておいてか?最初からそのためだったんだろう。お前はとんだ嘘つき野郎だ!」


男がリオンに殴りかかりそうな勢いで拳を振り上げたため、イファンはすぐさま男に「対処」すると、男はぐあっと低く呻き声をあげる。ぎりぎりと腕を締め付ければ、男は「もうやめてくれ!」と泣き言まで言い始めた。


「…っ離せ、このエルフに騙されたんだよ、俺は被害者だ!」

「被害者だと?突然攻撃をしかけてきたのはお前の方だ。リオンは俺の仲間だ、仲間に手を出せばどうなるか教えてやろう」

「―――っ待て、お前も騙されてるぞ!こいつに!」


片眉をあげて、男の方を見ると、男はイファンのその表情ににやついた笑みを見せる。


「お前も誘われたんだろう?愛の言葉でも言われたか?それはお前の何かを盗むためだ。こいつにとっては俺たちは恰好の獲物ってわけだ。俺に首飾りを探させて…見せた途端、それを盗んで逃げやがった」

「そんなことをリオンがするわけがないだろう」

「…いや、その男の言っていることは正しいことだ。やっと思い出したよ君のことを」


リオンは淡々とした言葉でいつも纏っている笑顔を今は無表情に変えて、今にも噛みついてきそうな若い男に静かに近づいた。


「…そうか、悪かったね。バリットだろう?名前は」

「…ハっ!やっと思い出したのか!このイカレ道化師め!」

「どうしてもあの首飾りが必要だったんだ。金が必要かい?それなら僕の手持ちだけ持って行っていい。君の傷心と共にね」

「―――っ、俺を馬鹿にしてるのか!お前は愛を何だと思っている?散々俺のことを愛していると言っておいて、最終的には首飾り目的か?それに俺は貴族だぞ、金ならいくらでもあるんだ。なのに今までお前を馬鹿みたいに探し続けてきて…やっと見つけたらこれだ!」


男が再び強く暴れだしたため、イファンがそれを押さえつけると、男は恨めしそうに此方を睨みつける。


「お前はまだ目が覚めないのか!?この男に騙されている!お前は!」

「リオンは仲間だ。お前のたわごとにしか聞こえんな」

「ハっ!そこまで飼いならしたってのか、流石早いなこのエルフは」

「……イファン、その男を離してくれ」


イファンが驚いてリオンを見ると、リオンはやはり無表情のままだった。今までにない程の静けさを纏っている。今まで見せていた笑顔が嘘のように、男一人を静かに見下ろしている。イファンがしぶしぶ男を離すと、男はやっと解放された勢いと共にリオンの首元を思い切り掴み、拳を振り上げる。だが、リオンの顔には振り下ろされずにわなわなと肩を震わせている。


「君は僕を殴っていい。その権利が十分なほどにあるのだから」

「……っ、お前は…本当に愛がこれっぽっちもなかったのか?」


リオンは首を静かに横に振って、平坦な声で呟く。


「君との時間は、最高だったよ。でもそれはどの人との戯れにも言えることだ」

「――――――っ!!!」


男は震えたまま、やがてその拳を静かにおろした。先ほどまで荒れ狂うほどの怒りに増えていた表情は収まり、やけに焦燥感にかられた表情で目を瞑った。酒場の荒くれ者どもからは、何だ?面白そうな痴話げんかが始まりそうだったってのにとブーイングが飛び交ったが、男は首を振ってリオンの首元から手を離した。


「もういい。全てが無駄だった。お前もいい加減目を覚ました方がいいぞ。このエルフはただの詐欺師だ」


男はイファンを睨みつけてから、早足で去って行ってしまう。何処かいたたれない雰囲気が訪れ、イファンを含めた仲間は居心地悪そうに、リオンを見つめる。リオンはフッと薄く笑みを見せる。


「僕のことが知られてしまったね。ここで解散にした方がいいかい?」

「……リオン」

「イファン、僕は抜けるよ。君たちとの時間は楽しかったよ。ここ最近で…一番ね」


リオンはただ笑ったまま、背中を向けて駆け足で去っていく。イファンが引き止めよう腕を伸ばすが、レッドプリンスが一声呟いた。


「……今はあいつにとって一人の方がいいのだろう」

「だが…今追いかけないと、リオンは居なくなってしまうだろう!それで本当にいいのか?」


リオンの今見せた笑顔は、確かに悲しみを含んでいた。ずっとリオンが隠していた影の正体はこれだったのか。明るさに隠れて見失っていた。人々は死ぬ目にあいそうになったときに、本来の本心を見せる。リオンは今までに自らが危険になったとしても、決して他人を犠牲にしようとはしなかった。いくらでも逃げることはできたはずだ。だがあいつはそうしなかった。もしあの男の言っていることが本当だったとすれば、リオンはずっとそれを抱え続けていたということだ。言いよどむレッドプリンスを無視して、イファンは駆け出した。





駆け出してきたはいいが、リオンは既に酒場の外には居なかった。あたりを必死に見渡してみても、何処にいるか検討すらつかない。煙のように消えてしまっている。イファンは焦ったまま、とにかく人の目につかないほうに行くはずだと検討をつけてから走り出す。しかし案外早く見つけることになった。それはあの貴族の男の声が路地裏中に響き渡っていたからだ。


「お前は!本当に!」

「…君の言いたいことは分かるよ。あれで終わりじゃなかったのか?金が必要なら渡すと何度も言ってるだろう」

「そういう問題ではないと何故分からない?俺はお前を愛してたんだよ!―――っくそ、俺がこんなエルフごときにな!」

「そこまで僕を好いてくれていたとは思わなかったよ。でも僕は―――」

「愛せないと?俺は貴族だぞ、別に奴隷扱いしようってわけじゃない。お前の望むもの全てを渡すことができる。俺の何が足りない?」


壁に追いやられたリオンは先ほどの酒場の若い男によって拘束されていた。男は更にリオンの方に近づいた。


「もう一つだ。何故、レプリカの方の首飾りを持って行った?よく見せたはずだ。今俺の手にあるのが本来の首飾りで、それは精巧に作られたレプリカだった」

「……レプリカが必要だった、それだけだ」

「お前は何を隠している。価値が分かっていたのなら、本物を持って行ったはずだろう。その偽の首飾りを使って何をした?」


リオンは男に言われると、急に押し黙ってしまった。何も言わずに男の方を静かに見て、「言えない」と一言だけ呟く。男は、わなわなと肩を震わせて、リオンの顎を掴んだ。そのまま殴り掛かるのかと思ったためイファンは加勢に入ろうと足を踏み出そうとしたが、男は殴り掛かるどころか、リオンに荒々しい口づけをした。


「―――っん!」


男は直ぐに舌を押し入れて、唾液音をわざとらしく響かせるようにリオンに口づけをした。リオンが酷く抵抗したため、何とかそれを押さえつけ、息を興奮したように吐いてからリオンの服の下に手まで伸ばし始める。


「…っはぁ、この首飾り……誰かを己の意図で操ることが出来るんだったな……これをお前に使ってやるよ。それがお前の罪だ。一生お前を……俺の手で縛り付けてやる」


男は獣のようにぎらぎらした目と共に、懐から大層立派な首飾りを出してリオンの首元にかけようとする。イファンは直ぐに男にクロスボウの矢先を向けた。


「―――今その手を少しでも動かせば、お前の心臓をこの矢が貫くことになるぞ」

「っお前は!?さっきの!?―――ちっ」


男は舌打ちをしてから、矢先が向かってるにも関わらず、首飾りをつけることを続行しようとしたため、イファンは迷いなくその男の手を打ち抜いた。首飾りが派手に音を立てて地面に転がり落ちる。


「―――っぐあ!!!」


男は大きく揺らめいて、その場に座り込む。イファンは直ぐに男の目の前に立って、狼のように強い気迫で唸った。


「次貫くのはその心臓だ。分かっているな?」

「―――っ、くそ!覚えていろ!」


分かりやすい捨て台詞を吐いて、男は狼に襲われた羊のようによろめきながら逃げて行った。それを冷たい瞳で見送ってから壁にもたれかかったままのリオンの方に顔を向ける。

一方でリオンはイファンの方を見ることはなかった。


「……何で追いかけてきた?」

「……リオン、お前は…」

「そうだ、これが僕の本来の姿だ。僕は昔…身体を売って食いつないでいたのさ。エルフは特に気に入られたよ。ヒューマンに。ヒューマンは僕たちを蔑む一方で、僕たちに惹かれているんだ。その服の下を暴いてやりたいと思っている。僕はそれをついたわけだ」


乾いた笑い声を大げさに立てながら、リオンはくすくすと笑い、肩を震わせる。リオンの肩に手を置こうとした手は、次の言葉によって制される。


「僕は、大丈夫だ。だから君も心配しないでくれ。身体を売るのはやめたんだ。丁度さっきの男を最後にね」

「…この首飾りが原因か?」

「一つは。本当の目的はこれを欲してやまないヒューマンの女を殺すためだった」


リオンは地面に落ちた、豪華な首飾りを拾い上げると、高々と掲げた。


「これは、人を操ることができるいわくつきでね。あの女を殺すためにどうしても必要だった」

「その女は…復讐のために?」

「ああ、君は勘がいいね。ちょっとしたショーみたいなもんさ。男が女に送る、復讐劇。その結末は決して美しくはなかったけれど、舞台の一つのネタくらいにはなっただろう」


大げさな身振りを添えて、男によって首を絞めつけられた女のように自らの首を掴んでぐあっと苦しんだ声を大げさに立ててから、再びけらけらと笑った。まるで自らで滑稽になろうと演じているように。


「首飾りを欲していた女は男にまんまと騙されて、死んでいったよ。惨めにね」

「その女に…何をされたんだ?」

「僕にマギステルお手製の首輪をつけようとしたのさ。僕は決死の思いでその女から逃げたよ。それでも追手はやってきた。だからもう…終わらせなきゃならなかったんだ」


リオンは今までの笑顔の表情を途端に無表情に変えてから、再びくすくすと笑いだした。リオンの心は表面上の笑顔の中で酷く傷ついていた。イファンは何故かは分からないが、己の衝動と共に、リオンを強く抱きしめてしまっていた。


「……っ」


リオンはその途端に体をこわばらせた。驚いたように息を呑んで、熱い抱擁をただ受け入れた。リオンの細い体を全身で包み込むと、不自然な笑いは消え去り静けさが訪れる。自身に隠れてリオンの表情は見えなかった。静かに泣いているようにも見えた。


「……泣いていい。ずっと抱え込んでいたはずだ」

「………イファン、君は……僕に裏切られたとは思わないのか?」

「……お前は俺に…俺たちに対して行動で示してくれた。今までに…何度も危険なことはあったはずだ。だがお前は見捨てることはしなかった。お前は立派な男だよ。」


低い声で呟くと、リオンは声を押し殺したまま唇を噛み締めていた。それから不意に顔を上げて、涙目のままイファンを薄く笑って見つめた。


「…それは僕のセリフだ。イファン、君のようなヒューマンは初めてだ…ここで使うべきかもしれないね。ありがとう、僕と共に居てくれて」

「……当たり前のことだろう」

「君にとって今の行動が当たり前だとしても、僕にとっては特別だ」


リオンはイファンの頬に手をあてて、唇ではなく頬に口づけをした。イファンは分かりやすい程に顔を真っ赤に染め上げたが、リオンは悪戯気に笑った後、手に持っていた首飾りをただ見つめる。


「この首飾りは…もうこの世に存在しないほうがいいだろう」


リオンは緩やかに魔法の流れを首飾りに流れ込ませ、その瞬間首飾りは粉々に散らばった。強い力を持ってる割には、壊れるのは呆気のないものだ。リオンは笑い声を吹き出すように上げる。


「こんなものが欲しかったのか」


その言葉はイファンに向けられたものではないと直ぐに分かった。殺したという女に向けられた、行き場のない言葉であった。リオンは少し息を吐いた後、此方をジッと見る。


「僕はまだチームに戻ってもいいのか?」

「…もちろんだ」

「ほかの仲間はそうはいかないだろう、君が良くても」

「いや、他の者もお前なら受け入れるはずだ。それに…リーダーはお前だろう。リーダーがいなければチームは機能しない。そうだろう?」


ニヤリと笑って見せると、リオンは目を何度か瞬きした後、微笑んだ。イファンは殺したという女のこと、何故殺すことになったのか、それら全てが気になりはしたが敢えて口に出しはしなかった。自分もまた過去の後悔に追われ続けている一人だったからというのもあるだろう。お互いの過去に秘密があるくらいの関係の方が丁度いい距離だ。イファンはそれ以上は何も言わず、リオンの肩を軽く叩いてからゆっくりと歩き出した。






エルフの死の霧について、ようやく話をすることができた。ずっと押し殺してきたものが一気にあふれ出してしまうと、とめどなく流れていく。エルフであるリオンは何を思うのか、責め立てられ、蔑まれることはとっくに覚悟していた。何せ彼の同胞を殺した霧を運んだ張本人は、他でもないこの俺なのだから。語った後のリオンの表情は酷く悲し気に見えた。しかし次に出た言葉は自身の予想とは全く異なっていた。


「君はエルフを助けようとしてくれていたんだろう?それならそれは君がやったことじゃない」

「……違う、俺が運んだんだ!殺しの道具を…お前の同胞を殺したも同然だ」

「……ならエルフとしての言葉を言うよ。君のせいじゃない。死の霧には、様々な者が関わっているはずだ。それを計画した者、それを作った者…僕の言葉では不十分か?」

「……っ…」


リオンは拳を握りしめたイファンの震える手にそっと自身の手を重ねた。リオンはそのままゆっくりと話し出す。


「…僕の言葉だけでは足りないのかもしれない。でもそれは君がやったことではないということは分かるよ。エルフの他の皆も分かっているはずだ。真相はきっと分かっている。だからもう…そんな顔をしないでくれ」


リオンは眉を顰めて悲し気に少しだけ微笑んだ。だが例えそう言われようともイファンの心は少しも晴れなかった。今俺の心が慰められようとも死んだエルフたちは戻っては来ない。それが…俺の罪なのだ。イファンは直ぐに手を払いのけて、首を静かに振った。リオンは目を見開いたが、何も言わなかった。





ああ、何ということだ。死の霧を作った張本人でさえもただ騙されて作っていた。言われるがままに、機械のように。俺はこいつを殺せないと思った。リオンの方を見ると、同じ意見だったのか、静かに頷いた。


「俺の意見に賛同してくれてありがとう」


リオンはただ笑ってから、イファンを柔らかく抱きしめた。リオンは森の木陰で休んでいる時のような、太陽の心地よい匂いがする。彼の匂いを嗅いでいると、心が自然と安らぐのだ。後ろでローゼが大げさに咳込んで見せるまで、リオンからの抱擁は続いた。

どうすればいいのだろうか。もう自分を押さえつけられそうにもないほどに、胸が勝手に高鳴る。まさかこの年になって、本気の恋をしてしまうとは。俺はリオンに恋をしていた。確かな愛だ。リオンの全てが好きだった。その笑顔も、声も、全てが。

一方で俺の思いに気づいているのかいないのか、リオンはただ微笑んだ。

リオンは風のようだった。風の中で輝く光が俺を照らしていた。眩いほどに、その存在全てが愛おしくさえ思えた。




リオンは誰に対しても、太陽のようだった。ローゼは自身の悪魔を殺すためにジェイハンという謎の男に儀式を受けた際に、死の淵を彷徨った。リオンは誰よりも早く倒れた彼女に駆け寄って座り込み、彼女の手を取った。


「ローゼ!生きろ!……っローゼ!」


リオンの声は強く響いた。俺たちのローゼを呼ぶ声より、確かに彼の声は強く響いていた。リオンの表情はいつも向ける笑顔ではなく、真意がこもっていた。ローゼは苦し気に息を二三度吐いた後、目を静かに開けてリオンを見た途端大声で泣きだした。リオンは彼女の髪を撫でるだけで、何も言わなかった。ただ彼女を安心させるために、ゆっくりと背中を撫でた。

ローゼはそれから変わった。明らかにリオンに対する瞳は優しさを帯びたものへと変わっていた。彼女もまたリオンに恋をしたのだろう。直ぐに分かってしまった。彼女は以前からイファンのリオンへの思いをとっくのとうに気づいていたのだろう。それから彼女のイファンに対する態度も変わった。

俺がリオンに何か話そうとすると、「チーフ!」と高い声を出して、リオンの手を取って何処かへ連れ出してしまう。その時の彼女は…まさに悪魔のような笑みを浮かべていた。彼女にそれを言えば、真っ先に冷凍保存されるだろうから、決して口に出せはしないが。




レッドプリンスも同様であった。何かあれば運命のリザードについて話してはいたが、本当にそのリザードに会った時は、震える声で二人同じキャラバンに入っていった。リオンは悪戯気な笑みを浮かべて、彼らの方に行き、そこでひと悶着があったらしい。リオンはレッドプリンスに放り投げられていた。俺たちが駆け寄ると、彼は肩を竦めた。


「ちょっと良くないことをしちゃったみたいだ」

「…お前の悪戯もほどほどにしておくべきだな…」

「特にあのレッドプリンスのようなタイプには、冗談は効かないわね。私の経験がそう言ってるの。分かるわ」


ローゼが淡々と呟いたことにより、リオンは流石に強い危機感を覚えたのか、馬車から出てきて、今にも怒りに燃えそうなレッドプリンスの手を大慌てでとった。


「―――大事な話があるんだ!だからその怒りは少し待ってくれ」

「……大事な話?今話せねばならないことか!?お前は我らを覗いたんだぞ!」

「…今でなければ駄目なんだ」


レッドプリンスはリオンの言葉にしぶしぶついていったが、何を話したのか、次に戻ってきたときにはレッドプリンスは落ち着いた雰囲気に戻っていた。一体何をしたのか、リオンの方を見てもにこにこと笑顔のままで、さっぱり分からない。一体何をしたんだ?と身振りで伝えてみても、リオンは「内緒だ」と口元だけを動かして軽く片目を瞑った。



リオンは誰かを特別視することはなかった。仲間の皆を同等に扱っていた。それが俺たちの競争心を煽ることになるとは、知っていたのか、知らないのか。彼はやはり風のようにつかみどころのない男なのは変わらないらしい。

彼に近づけば近づくほど、離れていくような気分にさせられるのは何故なのか。どれだけ彼に近づいても、心だけが離れているように感じる。俺はどうしても彼の心を掴みたかった。



今夜は久しぶりに酒場に泊まることになった。レッドプリンスとローゼは一人部屋を強くねだった。ローゼは当たり前だとしても、レッドプリンスには文句を言うなと言いたいところではあったが、彼は王族だ。仕方のないことなのかもしれない。

ということは、必然的にイファンはリオンと二人きりになってしまう。ローゼの意味深な視線と共に「見張ってるわよ」と意味ありげに囁かれて、イファンはただ肩を竦めた。

一方でリオンは楽しそうに酒場の部屋のベッドを堪能している。


「あー久しぶりのベッドだ!生き返る気分だ……イファンそんな入り口で何をしてるんだ?」

「あ?ああ…」


イファンは中々部屋に入れなかった。酒場は旅人の泊まる場所でもあったが、営み目的で使われる場所でもある。何となくだ。何となく、それを思い出されていたわけで俺がリオンに対して決して邪な感情を覚えていたからではない。


「……ただ、久々の室内を見ていただけだ」

「あーなるほど。ずっと野宿だったからね。もう固い土の上には飽きたころだったのは僕も同じ。さて何をする?下に戻ってカードゲームで少し小金を稼ぐのもいい」

「お前は…本当にゲームが得意だよな」


リオンはカードゲームが大層上手かった。少しばかりイカさまを使ってることもあると言っていたが、イカさまも勝負のうちだ。彼は巧みにカードを操り、酒場の野蛮な男どもを呆気にとらせていた。その時の彼は清々しいほどに笑顔を振りまいていた。


「ゲームもいいが…少し話さないか?」

「うん、いいよ?何の話をしようか?」

「……お前は昔から酒場によく行っていたのか?」


その質問は今するべきではなかったのかもしれない。だが彼が昔身体を売っていたと言っていたことは…ずっと気になっていたことだ。彼は表情を変えずに、さらりとその質問に答えた。


「ん?ああ、そうだよ。酒場は僕の稼ぎ場所だった。酒場に居るエルフは珍しがれるからね、よくゲームでも稼げたよ」

「……そうか」

「…ああ、君が言ってることはもう一つの僕の稼ぎ方だね?……あれはそう…分かったんだ。僕を見る目が明らかに違う人。それは男でも女でも分かった。だから僕は近づいて……囁いた」


リオンはそれを言った途端、イファンにどういう訳か近づいて、妖艶に笑ったまま腰に手を回して耳元まで顔を近づける。


「……今夜、シよう」


イファンはその言葉に大げさに反応してしまった。肩をびくりと震わせると、リオンは面白そうにけらけらと笑ってから、「こんな具合にね」と片目を瞑る。


「…っ自分を売って良かったのか?」


何故そんなおどけた調子で居られるのか分からなかった。彼は自分を大切には思ってはいないのか。それでは一体いつ誰になにをされてもおかしくない危険な状況下だっただろう。俺のような賞金目当ての殺し屋に殺されていたかもしれない。リオンはただ頷いた。


「…それが僕にとっての生活する手段だったから。所詮カード遊びは小金にしかならない。大金を稼ぐなら、それくらいはしないといけなかった。僕は皆にとって望む者を演じ続けたし、滑稽がお好みなら道化にだってなれた。案外良かったよ」

「……俺が言える立場ではないかもしれないが、それは満たされる行為ではなかったはずだ…本当にそれを自ら求めたと?」

「なら、今の僕は君にどう映っている?身体を売った可哀そうなエルフの男に見えるのか?」


リオンは再び近づいて、イファンをジッと見下ろした。少し、リオンは怒っているように見えた。何が彼の怒りに触れたのかは分からないが、いつも笑っている彼の表情に珍しい兆しが見えた。今だ。今かもしれない。彼の心に触れることができるのは。


「…お前はお前だ」

「そう、僕は僕だ。もし僕を不信だと思うなら、素直に伝えていい」

「お前を不信だと思ったことはない」

「…でも、今思っただろう。僕が身体を売ってることについて、君は聞いた。僕は素直に答えたのに、君はそれを怪しんだ。それは君の価値観の中の世界で僕を見たからだ」


何も言い返せなかった。身体を売ることは不幸なことだと感じているのは俺の方だった。彼はそれを俺の殺しのように生きる糧にしていたというのだし、結局は同じことだ。彼は俺の殺しを否定しなかったのに、俺は彼に何をした?


「…君が優しいことは分かってる。今の言葉も優しさから来たことも。きっと、普通の子なら、こんな時君に泣きついたりもしたんだろうね。僕は…特殊なんだろう」

「…俺はお前が変わっていてもいい」

「…ありがとう。僕も君が好きだよ」


その好きは愛の言葉ではないのだろう。彼にとっての純粋な気持ちだ。それは表情を見て気づいた。やはり彼にとっては俺は昔身体を重ねたという人物たちと変わらないというのだろうか。その絶望的な考えは直ぐに振り払い、リオンの瞳をもう一度見る。

彼の瞳は真っすぐに此方を見つめていた。今俺が考えたことなどお見通しだとも言いたげな視線は、静かに細められる。


「…大丈夫、君のことは他の誰よりも、僕にとって大切だ。だからそんな目をしないで」


リオンは前に死の霧について話した時と同じように、イファンの手に自身の手を重ねた。彼の視線がジッと刺さる。心臓がうるさいほどにどくどくと高鳴りだす。自身の中の獣が唸りだす。居ても立っても居られない気持ちにさせられてしまいそうで、駆け巡る衝動に必死に耐えた。ここで彼に手を出してしまえば、彼は受け入れるのだろう。だが、それでは駄目だ。彼はきっと離れて行ってしまう。風のように笑いながら消えてしまう。


「………少し長く話をしすぎたな。俺は風に当たってこよう」


イファンは突然立ち上がって、リオンの手を振りほどいた。彼の手を掴み押し倒してしまいたいほどの衝動に打ち勝った惨めな結果がこれだった。リオンは俺の横顔に視線を向けたが、ただ頷いただけだった。



早足で酒場から出た途端、どっと疲れが襲う。自身の中で駆け巡っていた熱がゆっくりと放出されていく。今は冷たい風が有難いほど心地よかった。俺は一体何をしているのだろうか。まるで恋を初めて知った飢え切った獣のような気持ちでいる一方で、臆病な羊が唸り切った狼に纏わりついている。

息を深く吸ってから、再び吐き出すと何処か気持ちが落ち着いてきた。俺は彼に純粋な少年のように恋をしている。この罪に汚れ切った俺が、エルフの彼に恋をしている。これも神聖なる旅の試練だと、誰かが言っているようにさえ思えた。



何が良くて、道のど真ん中で立ち往生をしなければならないのか。大ぶりの雨が酷く、嵐のようになってきた。そんな中で足を進めるうちに、ローゼとレッドプリンスとはぐれてしまったのだ。横に居たリオンと、決死の思いで近くの洞窟に入る。


「酷い天気だ。こんなことなら、転送ピラミッドをレッドプリンスかローゼに手渡しておくべきだったよ」

「…ああ、そうだな」

「そうすれば、ヴォイドウォークンの洞窟の時のように、離れても一瞬で集まれるのに、うん、今度からそうしておこう」


リオンは何度か頷いてから、自身の濡れた服を絞る。ぼたぼたと水滴が洞窟の地面に滴り落ちるが、その簡易な絞りに追い付かないほど、俺たちは濡れ切っていた。


「…これは一度脱いだ方が良さそうだ」


リオンは大きくため息をついてから、慣れた調子でバックパックから湿っていない薪を数個取り出して火の魔法を打つ。簡単に薪は燃え上がり、開けた洞窟に火が立ち上った。

その瞬間ぱっぱと彼が上半身を脱いでしまったため、何故かは分からないがイファンは純粋な乙女のように顔を背けた。何度か野宿の時に上半身の裸などみてるというのに、濡れた彼はイファンの妙な気持ちを高昇らせる。


「イファン、脱がないのか?」

「…いや、脱ぐよ」


イファンは彼の方を極力みないようにしてから、チュニックを外した。重い装備を取ると、開放感に包まれる。リオンは特にこっちに気にしていない様子で、せっせと召喚獣まで召喚してから、バックパックから荷物を運ばせている。

これは全くもって意識されていないようだ。いや、普通男同士なのだからそれで当たり前なのだが、何処か焦燥感に包まれるのは何故か。遠い目になっていると、リオンは此方を見て、フッと笑った。


「寒いかな?火が足りなかった?」

「…いや、そうではない。俺も直ぐに準備しよう。今夜はここで野営だろうからな。明日の朝落ち着いたらローゼとレッドプリンスを探すべきだろう」

「うん、そうだね。さて、今夜は何を食べようか?ああ、あの二人は大丈夫かな。食べ物はそれぞれで持っているけれど…レッドプリンスが心配だ」


リオンは上半身裸のままで、小型の鍋まで取り出して食材を準備し始める。この旅の中で分かったことだが、彼はとにかく何に対しても長けていた。あの味にうるさいレッドプリンスも彼の料理は褒め称えていた。俺は到頭耐えきれずに、自身のバックパックから毛布を一枚取り出して、彼の肩にかけた。


「そのままでは冷えるだろう、これをかけておいた方がいい」


リオンは驚いた表情を見せたが、直ぐにふわりと口元を綻ばせて「優しいね、ありがとう」と目を細める。これは勿論彼に対する思いやりの気持ちも含んでいたが、自身がこれ以上邪な感情にさいなまれないようにするためだということは、彼には知られていないようだったため、心の片隅でホッと胸を撫でつける。リオンはバックパックから取り出した真水を鍋に入れてから、食材を心地よい調子で切り刻んでいる。いつもなら獣が来ないか見張ったり、準備に追われているキャンプだが、今夜は嵐の中の洞窟なのでそうもいかない。

武器を取り出して、整備するようなふりをしながら、ここで彼の様子を再び観察してみる。

リオンは鍋の様子に目を向けながらも、慣れた調子で食材の皮を向いている。鼻歌までを歌い、機嫌が良さそうだ。イファンにとって食べる行為とは、ただ生きていくために過ぎなかったため、食べられれば何でも良かった。だからこそ彼に会ってそこは大きく変わった点と言えよう。


「…上手いものだな」


ポツリと呟くと、リオンは鍋に向けていた視線を、此方に向ける。リオンは何を言われたか一瞬分からなかったようだったが、直ぐに検討を着けて、「ああ」と頷く。


「もう慣れているからね」

「どこで身に着けたんだ?」

「…うーん、これは身に着けるっていうよりも…僕にとっての稼ぐ手段の1つと言ったほうがいいかもしれないね。そういう技術も見られるんだ。身体だけではなくてね。気に入ってくれれば次回また客になってくれる」


イファンは思わず、目を見開いた。まさか料理さえも、自身を売るために身に着けていた技術だったとは。リオンはそれ以上何も言わなかったが、イファンは自身の中で震える心情に必死に耐える。彼は自身を売ることが、それが当たり前の世界で生きてきた。それは俺の殺しの世界のように、彼にとって着実に生きる目的に過ぎなかったのだろう。

それでもこれは一体なんだ。神の作った世界は、このエルフの青年にそんな運命を背負わせるのか。何度も自問自答していたことだった。1つの者が力を持ったとしても、それは世界の全ての現状が変わるわけではないのだろうか。


「…そうか」


やっとの思いで、頷くことしかできなかった。リオンはその沈黙に、気にしたように此方を見てから、フッと柔らかく笑う。


「…君がそんなに気に病む必要はないんだよ。これは僕の生きてきた道なのだから」

「…だが、俺は…殺しばかりをして、その現状を見えていなかったのは事実だ」

「いや、君のような仕事も僕にとっては知らなかったんだから、お互い様さ。この世界は個々の世界で生きている。僕らはちょっとした共通点で共になった………でも今ではその共通点が気に入ってるよ、君に出会えたんだから」


リオンの方を見ると、リオンは嬉しそうに笑っていた。リオンの濡れた髪からは水滴が垂れて、地面にぽたりぽたりと滴り落ちる。その水滴の1つが目に掛かると、リオンは目を瞑ってから、片手で目をこする。イファンは衝動的に彼の手を少し引っ張ると、彼の目元に手を添える。驚きに目を見開く彼をジッと見下ろしてから、身を屈めて唇を重ねた。

ずっと触れたかった彼の唇は、柔らかく、しっとりと心にまで染み渡る。その感触に耐えきれずに、舌をゆっくりと侵入させると、彼は舌を絡め素直に受け入れる。酷い雨音にかき消されそうになりながらも、耳元には重なりあう唾液音が響き続ける。

彼の感触が心地よい。少し唇から離して角度を変えて、再び深く繋がり合う。彼の頬に手を添えながら、彼の肌の感触をもっと知りたいと、毛布に隠れた下腹に手を伸ばそうとした時、後ろで揺れていた鍋の沸騰音がけたたましく響き渡った。


「―――っ!」


イファンはバッと彼から唇を離して、鍋の方を見る。己のやった行動と、あそこまで押さえつけてきた割に、一度箍が外れてしまえばこんなにも自分は獣のようになってしまうのかと反省さえも覚える。恐る恐る振り返ると、彼の瞳は少し濡れており、彼の頬は今の行為により赤く染まっている。


「……沸いたようだね」

「……っあ、ああ」


彼は此方を情熱的に見つめながら、鍋に向き直る。彼は今の行為に対して何も言わなかった。もっと彼に触れたいと思う一方で、今はこれ以上は進めることができなかった。彼の沈黙が今は有難いのか、有り難くないのか自分にも分からない一方で、イファンは何とか先ほどまでの日常を演出するために、整備する振りをしていた武器に向き直った。




俺たちは仲間全員で意見が一致した。神性は彼…リオンこそが持つべきものだと。だがその神性は手から簡単に滑り落ちるように、転がり落ちていってしまった。また振り出しに戻ったのだろうか。いや、この出来事全ては神性そのものの考えを変えろということではないだろうか。皆が落胆した表情を見せる中で、リオンはどういう訳か普段通りだった。リオンの中に居たエルフの神ティル・センデリウスの傲慢さ故の行動を見て、彼は何を思ったのか。その落ち着いた表情からは読み取れることができない。


「…大丈夫か?」


リオンはそれに答えなかった。ただ先ほどまで居たであろう神々を見つめるように、静かな瞳を帯びていた。少し間を開けた後、ようやく口を開く。


「不思議なものだ。この旅の中でティル・センデリウスはずっと僕の中に居たんだ。それでも彼の本心が分からなかった…」

「神々とはそういう…ものだろう。己の本心を明かさない」

「彼の本心は結局は“あれ”だった。同胞は知らずに信じ続けている。僕たち…いや神々もまた、己を大切にするばかりに、傷つけあう…この戦いに終わりがくる日はくるのだろうか」


リオンの瞳は静かだった。いつものおどけた調子からは考えられないほどに、静寂に身を包み、何か一点を見ていた。イファンは途端に不安になり、彼の肩に手を静かに置いた。


「…リオン」

「……ああ、ごめん。考えすぎていたみたいだ。そうだ、少し休んだ方がいいだろうね」


リオンは此方を見て、笑顔を見せると船の上をゆっくりと歩き始める。狐色の髪を風に揺らして、足を進める。ああ、何故彼の背中を見ると、こんなにも不安に駆られるのか。確かに力強く彼は存在している。一方で彼は何処かへ消えるように儚くも映った。

もう耐えきれなかった。イファンはリオンの手を力強く掴んで、引き寄せる。リオンが少しよろめいたが、それでもかまわなかった。リオンを自身の方に引き寄せてから、ジッと彼を見下ろす。


「…………リオン」


名前を呼んだ。リオンは眉を上げて口を茫然と開けていたが、少し経った後、目を細めて此方を見上げる。彼にはすぐに伝わってしまったのだろう。己が彼を情熱的に見ていることなど。彼はゆっくりと笑みを見せて、瞬きを1つした。


「……一緒に、休む?」


彼は小首を傾げて、妖艶に笑った。彼を欲しすぎるあまりに、彼を己の手から離したくはなかった。彼はいくらでも自由であったのに、俺は彼を無意識の内に己の価値観で縛り付けようとしていた。それでも構わないのだろう。今は、今だけは彼が何処かへと行ってしまう前に、己の手で彼を抱きしめても。イファンが頷くと、リオンは笑ったまま此方に体重を預ける。そのまま彼を引き寄せて、船内へと足を進めた。





「あーそうだな…まずは何から話そうか」


どういう訳か、船内の特別室に入ってから冒険について語りはじめている俺は、何処まで優柔不断なのか。ここまでの男だったのか。彼は楽しそうに聞いているが、彼の本心は未だ分からないままだった。俺の思惑などお見通しだとも言いたげに、リオンは少し此方に近づく。


「……僕は大丈夫だよ」

「……1つ聞いておきたいことがあるんだが、いいか?」


リオンは軽い調子で頷いた。これだけははっきりとさせておかなければならない。この行為が彼にとって快楽だけのものなのかどうかを。


「俺にとってお前は……光だった。お前は眩しすぎるほどに輝いていて…俺の全てのように感じた。お前は…どうだ?」


イファンがゆっくりと視線をリオンに向けると、リオンは笑顔ではなかった。眉を下げて、目を伏せていた。これはまさか、俺だけの思いだったのか。イファンは絶望的な気持ちになる一方で彼の反応を待った。


「……それは僕にはふさわしくない言葉だ」


リオンはイファンの言葉を否定した。リオンの伏せられた瞳は何かに揺れていた。まるで感情をどうしたらいいか分からないとでも言いたげに、首を横に振る。


「…あの首飾りを欲していた女……それは僕がもっとも信頼していた人だった。彼女はエルフに対する人間の一般的な差別的扱いを嫌っていた。彼女は僕のことを楽しい男だと、笑っていたよ」

「………」

「彼女は演技をするのが上手かった。上手に演じてくれたよ。エルフの男は簡単に彼女の笑顔に騙された。あれは…愛だったのかな。今ではもう分からないけれど、結局はエルフの男は利用されただけだった。彼女の中にあったのは自分の利益だけだ。彼女は哀れなエルフの男にマギステルの首輪をかけることで、金を得た。そして最後に…僕はそれを利用した」


リオンは半ば自虐的に笑った。自身の手を見つめてから、きつく握りしめる。彼の瞳は揺れていた。何かを耐えるように揺れていた。


「彼女が本当に求めていたのは、人を操る首飾りだった。彼女には好きな男がいた。それを自分のモノにしたかった。彼女はそれを手に入れるために金をつぎ込んだ。だけど彼女のやり方は効率的ではなかったね。僕は貴族の男との一晩で偽物と本物を手に入れたよ」


くすくすと可笑しそうにリオンは笑っていた。目を伏せたまま、耐えるように拳を握りしめている。ああ、彼と俺の共通点はここだったのか。と頭の片隅で思った。


「手に入れた偽の首飾りを見せに行くと、彼女は偽物かも判断できなかったのか、大喜びしてマギステルから逃げてきた僕を受け入れた。彼女はその首飾りを嬉しそうに眺めて、ようやくあの人が手に入ると鼻歌を歌っていた。僕はそこである1つの提案をしたんだ」


リオンは力を込めていた手を不意に自由にさせて、イファンの方をようやく見上げる。


「『その首飾りは別に一人の人だけに効果があるわけではない。まずは僕につけてみて、効果を試してはどうか』と。彼女はそれもそうだと楽しそうに笑って、僕にその偽物の首飾りをつけた。そこから彼女は心底嬉しそうに僕に命令した」


リオンは呟き続ける。「私を愛しなさい」「私にキスをしなさい」「私を褒め称えなさい」「犬のように鳴きなさい」その度にリオンは大げさな身振り手振りと共に、その情景を演じる。リオンの目は笑ってはいなかった。


「彼女がひとしきり僕の演技に満足したあと、彼女は「首飾りを返しなさい」と一言言ったよ。僕はその瞬間に、懐から銀のナイフを取り出した。彼女は驚いた顔をして、僕を見た。彼女もまた僕の演技を信じ切ったんだろう。「直ぐにナイフをしまいなさい!」と彼女は声を上げた」


リオンは恐怖にやられた女性のように、大げさに手を前にして、目の前にいるはずもない、自分自身を目に映した。「止めなさい!」「来るな!」「リオン、目を覚まして!私よ!」

「首飾りをつけてるのに何故!」「止めなさい!」「お願い!」


「彼女の最期の願いは、偽物の首飾りを本物にすることはなかったよ。ああ、可笑しいね。彼女は僕を裏切りながらも、僕を最も信頼していたんだ。偽物なんて微塵も思わずに、従順に彼女の為に僕がしたことだと信じ切っていた。彼女は恐怖を浮かべていたよ…そして僕は手に持ったナイフを掲げて……っ!」


イファンはリオンを強く抱きしめた。リオンはその途端に顔を歪めた。リオンを強く抱きしめれば抱きしめるほど、リオンの瞳は揺れた。リオンはずっと自身を閉じ込め切っていた。彼の笑顔の中で、彼自身はずっと揺れていた。どうしようもないほどに裏切られた気持ちと、彼の葛藤と、決断と。それはイファン自身も持っている感情であり、彼の気持ちは痛いほどに分かった。だからこそ、イファンはただ抱きしめた。リオンはイファンの腕に手をのせて、声を震わせる。


「楽しければ良いと思っていた。彼女が笑顔であればいいと。でもそれは結局は僕にとってもただの一時的な嘘にすぎなかった。何故なら僕は、嘘で奪った偽の首飾りを使って、彼女を殺すことで満足したのだから」

「…復讐とはそういうものだ。俺もまた、それで多くのモノを無くし、多くのモノを得た」

「……そうだろうね。でも僕は今……考えていることがあるんだ。それは…君のことだ」


リオンは歪んだ表情を無理やり笑顔に変えて、イファンを見上げる。無理に笑わなくていい。そう伝えたかったが、それが彼にとって己を隠す唯一の手段なのだろう。


「ずっと君のことを考えていた…君は強い、それなのに僕と似ている部分があったんだ。僕はもっと君のことが知りたい。君の全てが見たい。僕は……僕自身の中で君を欲している」

「――-っ……」


リオンは向きを変えて此方に振り向いた。リオンはイファンの頬に手を当てて、ゆっくり息がかかるほどに近づいて囁く。


「……分かるかもしれない。僕の本当の気持ちが。君となら……見つけられる。そう思ったんだ……僕にとって君と出会ったことは、最も大切なことになったのだから…ねえ、イファン。僕に見せて欲しい。君の全てを」


その瞬間、イファンはリオンを力強く引き寄せて、ただがむしゃらに唇を押し当てた。もう何もかも関係がない。彼のことも、彼が傍にいるというその事実だけで十分だった。歯先があたり、彼の唇が切れたがそれでも良かった。血の味さえも心地よかった。彼は積極的にそれを受け入れたが、イファンは彼が応えるよりも先に、先にと進みたかった。彼の応える隙などないほどに、彼を暴きたかった。彼の首筋に顔を埋めて、噛みつくように吸い付いた。彼の首に鬱血跡がくっきりと浮くほどに。もう一度彼の唇に押し当てながら、舌を絡め続ける。彼に息継ぎする暇も与えないまま、彼の全てを堪能した。興奮した息を隠すこともなく、彼の服を勢いよく脱がせる。イファンの獰猛な唸り声を聞いても、リオンは期待した目を向けて、イファンの行動1つ1つを待っていた。彼の全てを脱がし終えてから、堪能するように上から彼を見下ろす。彼の肌のきめ細やかさが美しかった。彼はまぶしすぎて、見られないほどだった。彼は恥ずかしそうに目を背けてから、リオンを眺め続けるイファンのチュニックに手をかけると、ゆっくりと脱がした。リオンもまたイファンの上半身を見て、頬を染めていた。


「……美しい」


イファンは思わず呟いてから彼の身体に手を置いた。彼の形を確かめるように上から手を滑らせると、彼は僅かにぴくりと肩を揺らした。イファンに与えられる感触だけをリオンは感じている。その事実だけで心臓が爆発してしまいそうだった。

リオンの胸の突起に触れ、ゆっくりと手を動かす。一方の手は彼の下部を緩やかに撫でつける。リオンはそこでようやく声を短く上げた。


「―――っぅ」


息を吐いた。イファンは形どるようにリオンの下部をなぞると、リオンは熱い息を吐いた。彼の顔は快楽に耐えていた。演技ではない、彼の本来の姿が垣間見えていた。ゆっくりと下から上へと動かすと、彼は再び短く息を吐いて、声を荒げた。


「―――っん……」


リオンはイファンだけを見ていた。イファンのする行動だけを彼は待ち望んでいる。リオンの顔を荒い息と共に見つめ続けながら、イファンは手を休めることをしなかった。リオンの全てに触れたい。その耳も、手も、胸も、肌全てを。耳に舌先を向けると、彼は吐息を吐いた。下部の動きは緩めずに、彼の声は次第に大きくなっていく。


「…っふ、ぁ……んっ」


彼は快楽に頬を染めながら、肩をゆらしつづけている。彼の下部からは、液体音が響き、先からは官能的な液が漏れ続けている。彼の快楽に染まるその表情も、全てが美しかった。少しずつ高みに昇らされ続けると、彼は何処か驚いたように此方を見た。


「…っ、イファン、君に…まだ何もして…っぁ…ない…」

「それでいいんだ」

「……でも……普通は……っぁ!…」

「俺もお前のように、お前の全てが見たい。だから……見せてくれ」


リオンはその瞬間、頬を赤く染め上げた。目を二三度瞬きしたあと、動揺したかのように目を泳がせる。リオンは初めて情事の中で動揺していた。初めて誰かを渇望した。求めた。リオンは動揺を隠すように、イファンの熱い視線から目線を逸らし続ける。


「……っんぁ、……はっぁああ……」


演技の声ではない。リオンは初めて情事の中で己の声を上げた。身体が勝手に熱くなり、汗が滴り落ちる。イファンの食らいつくすような視線が、熱くリオンの身体を駆け巡る。手の動きが早くなるにつれて、リオンは手の爪をシーツに食い込ませて、快楽に耐えた。


「…っぁ、ぁああ、ぁあ……!!!」


短く声を上げて、熱い息を吐く。足先全身がしびれ始め、視界が大きく揺らいだ。イファンは朦朧とした瞳で快楽に揺れるリオンを見下ろした。彼の表情は自身の心臓を熱く高ぶらせ、獰猛な獣が己の中で高ぶり続ける。びくりと肩を大きく揺らすと、痙攣したように身体を揺らしてから、達した。イファンの手には彼のモノで包まれて、イファンはそれを何気なく見つめる。


「……リオン……」

「……っぅ、……ぁ…いつもは…こんなに早くないほうなんだ……っ」

「……可愛いな、お前は……全てが可愛い」


リオンの自らの達した早さに恥ずかし気に頬を染める姿を見て、イファンは荒々しく息を吐いてから、薄く笑みを浮かべる。リオンの恥ずかし気な表情も、全てが愛おしい。俺にだけ見せる、全ての表情を見たい。その欲望に急かされながら、イファンは再びキスを落とす。脱いだチュニックの懐から潤滑剤を取り出すと、それを指先に垂らした。


「……準備がいいんだね…」

「……それは聞くな」


リオンはフッと笑みを浮かべたが、頷いてからイファンの行動を見守る。十分に濡らした指先を下部に這わせ、ある一点でゆっくりと中に侵入させる。リオンはひんやりとした感触に瞬きを一回してから、短く吐息を吐いた。


「……っんぁ……」


辛くならないように、前に這わせた指は休まずに下部の指をゆっくりと進める。次第に液体音が響きだすと、リオンは睫毛を震わせてイファンを熱に浮かされた視線で見つめ続ける。彼のこんな表情をみるのは初めてで、全身の熱が一点に集中し続けていることを今更自覚する。リオンもそれには気づいているようで、イファンの一点を見た後、その衣服の上からでも分かる獰猛な主張に目を細める。


「……辛そうだよ…」

「……まずはお前だ」

「……でも……っぁ!」

「いいから、ただお前は受け入れていてくれ」


下部に這わせた指を少し強く早めると、リオンはびくりと肩を揺らす。彼の下部は再び固く張り詰めはじめ、彼の中の熱が緩やかに上昇し始める。その度にリオンは熱い息とともに、声が勝手に漏れ始める。


「…っぁ、はぁ…っんん……ぁぁああ、だめ…」

「……いいの間違いじゃないか?」


ニヤリと笑って見せると、リオンは此方を見てから少し笑って、頷きの代わりに再び声を漏らす。イファンはリオンの髪に触れるキスを再び落とす。










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