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あの日、あの夜に 【前編】

「――瀬。―――加瀬。―――葉加瀬!」


 グラグラと揺れる視界に瞬きをして横を向くと、


「どうしたん? ボーッとしてたけど」


 心配し不安そうな顔の緋月が居た。


「……あ、ああ。ごめん、ちょっと」

「顔色悪いよ? ちょっとは休みなよ」

「いや、まだ仕事が残ってる。休めないよ」

「ふーん、そ。でも、身体は大事にしてね」


 緋月はそっけないく言いギルド調室を後にするのだった。


「さて、さっさと終わらそうか」


 緋月の仕事は昨日の折檻で溜まっていた物と、真新しい物は全部片付いてしまった。というよか片付けさせたのだ。

 当分緋月に仕事はないのだ。

 首を鳴らして葉加瀬は仕事に取り掛かった―――。




 ―――温かい日々は長いようで短かった。

 それは家の中にいても肌寒く感じるような極寒の日。

 観測史上最強の寒波がやってきた日だった。

 いつも通りに朝起きて朝食を摂り、母と昼まで遊び、午後は父と遊び、夕方に姉が帰ってくると、ずっと姉と一緒に居て、夜食を摂り後は眠るだけ。

 そんないつも通りに過ごしていた。

 だがその夜、私はいつもより少し早く眠り着いた。

 姉が寝かしつけてくれたのだ。


「それじゃあおやすみ」


 ベッドに座る私に姉は声を掛けて額に口付けし、頭を優しく撫でて部屋を後にしてしまった。

 心細い、寂しいと感じつつも、それを口にすることができなかった。


「……うん」


 部屋を後にする姉に小さく私は返事をするだけだった。

 それから数時間後。

 幼い子供の眠りから覚ますほどの物音が聞こえてきたのだ。

 パチパチと瞬きをして目を覚ました。

 真っ暗な部屋、いつもなら隣で眠っているはずの姉の姿がない。

 そのことに心細いのと、いつもは居るはずの姉が居ないということに恐怖を感じた。

 尻込みながらも掛け布団から真っ暗闇の部屋へ足を出した。

 ヒタッと冷たい床にピクッと肩を跳ねさせるが、そのまま記憶を頼りに部屋の扉へと辿り着くのだった。

 ガチャっと静かに開けると、廊下から冷気がどっとやってきた。どうやら今まではタイマーで暖房がついていたらしい。


「お姉ちゃん……」


 今はここにいない姉のことを恋しく思いつつ、廊下を歩いていく。やっと暗闇に慣れてきた目で、廊下をしばらく歩いていると、次第に一階へと続く階段を見つけた。

 壁に手をやりながら慎重に慎重に一段一段降りていった。一階にたどり着くとさらに寒さがキツくなり、身震いするほどだった。

 階段からリビングの扉まではほんの数歩で着く。

 まだ僅かに音のするリビングの様子を見るために、そっとリビングの扉の取っ手に手を掛け、優しく扉を開いた。

 すると水のような音が一定の間隔で聞こえてきて、その度に苦しそうな「うっ」と言う声が聞こえていた。

 扉をもう少し大きく開けると、ゴトっと扉がナニかにぶつかった。

 疑問符を浮かべつつ扉が当たったナニカに目を向けると、


「……ぇ」


 それは腕だった。


「…………お父、さん?」


 気が付けば床は血で染まっていた。葉加瀬の足下のすぐ近くにまで広がっていた。

 腕の主である父を暗闇に慣れてしまった目で見ると、大好きな父の姿は無惨な姿だった。

 背中に何十回もの刺突された跡があった。

 子供でも一目でわかる。すでに死んでいることが。


「………お母さんっ」


 胸が張り裂けそうな思いを感じつつも小さく母を呼んだ。

 ソファに寄り掛かる母。一見身体に外傷は無さそうだったが、出血している量を見て絶句した。

 首を半分ほど掻っ切られていたのだ。

 目から熱いのが溢れるのを感じた。大好きな両親の無惨な姿に、心は既に折れていた。

 最後の希望は姉。姉が無事ならば、どんなに救われたことか。

 だがこの惨状は現実に起きたことで、現実というのはあまりにも非情になることがあるのだ。

 水音の正体、呻き苦しむ声。その正体は、


「…………っ。お姉ちゃん」


 キッチンの床に押し倒され暴漢に犯される姉のものだった。

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