一話 ただ一人
葛葉達が見えなくなるまで手を振り続ける一を緋月は眺めていた。
「ねー、ほんとに行っちゃうの〜?」
「……うちやって行きたないわ。けど行かなあかんのや」
悔しそうに苦しそうに言う一に対し緋月は何一つピンと来ていなかった。
「そんな顔してんなら行かなきゃいいのに」
「何度も言わせんといてや〜」
しつこい緋月を手であしらって、一は旅立ちの支度を進めるのだった。
「……あの子のためなんや」
「なんか言った?」
「何も言ってへんよー」
一の極々小さな呟きを微かに聞き取った緋月が反応するが、一は乾いた笑みと共に誤魔化して作業の手を止めなかった。
そんな一の態度に「ちぇー」と不貞腐れたように視線を逸らし緋月は足をプラプラと揺らすのだった。
「ねぇ、一っちさ隠し事、してるでしょ」
ピクッと一の手がほんの一瞬だけ止まったのを、緋月は絶対に見逃さなかった。
「何のことかさっぱり分からへんわ?」
「嘘はいいよ……教えて? 君が旅をしている理由を」
しらばっくれる一に緋月は「怒ってないよー」と両手を振り微笑んで証明し、さらに問い詰めるが、一は何も言わなかった。
緋月が冷たく瞼を開けると同時に、火花が散った。
「っ!」
「……」
ズザァァァァと元居た位置からだいぶ遠かった場所まで弾かれた一は瞠目し、痺れる腕を見つめた。
咄嗟に防御に繰り出した鋼鉄の何百倍もの強度を誇るナイフがひしゃげていたのだ。
「教えてよ」
ドクンと心臓の鼓動音が今まで聞いたことがないほどに大きく鮮明に聞こえた。
それはなぜか。きっと目の前の存在に並々ならぬ恐怖を感じているからだ。
(言えるわけないやろが! それ伝えたらアンタ……とんでもないことしでかすやろが‼︎)
一の隠し事とはそのレベルのものだった。
誰も彼も、たった一人にしか伝えることは許されない。ましてや緋月は伝えていい人物の中で最も、伝えては行けない人物だ。
「怖いわ、なんこれ、ドッキリかなんか?」
「……茶化さないでよ」
動揺を隠すように虚勢を張るも、本気の緋月には何の効果もありはしない。
パッと突如目の前に現れた緋月を見て、一は身じろぎ一つ動くことすらできなかった。
「―――緋月」
だが緋月の当てるつもりのない攻撃は、一の眼前に展開された防御結界によって防がれた。
「……頭に血が上りすぎ。何をそんなに興奮してるの?」
スタスタとゆっくりと歩いてくる白衣を羽織った美女、手を突き出し魔法陣を展開させている葉加瀬が緋月の背後の先にいた。
「きな臭かったから、つい。……じゃね、一っち」
葉加瀬の登場に緋月は惜しみながらも一に最後の挨拶を済ませて去ってしまうのだった。
去る途中、突っ立つ葉加瀬のことを無視して。
「……はぁ。困った子だ」
「んぅ死ぬか思たわ……ッ‼︎」
ブハッと詰まっていた息を吐き出して、新鮮な空気を目一杯に吸い込み、一はあの生きた心地のしなかった瞬間を振り返った。
殺気とまでは行かないが、それに近しい敵意を向けられたのだ。
「変な所で感が鋭いからね、緋月は」
「うちの身にもなってくれへん? Lv.9さんに敵意向けられたんやで? 死を覚悟するわ、んなもん!」
「だが、まだ死ねないんだろう? 一、君にはやることがある」
動揺を隠すための一の態度を葉加瀬は見抜き、たった一人の、真実を伝えれる人物は、一に手を差し出した。
「あぁせや。こんなところで死んでられん、うちがやるしかあらへんのや」
「……正直、君一人の力で同行できる話ではない気がするけど」
「それでもや。それでもうちはやらんといけん」
旅の支度でまとめられた荷物の中にある、ミニガン。
それは一にとって、重い約束が詰まった大切な武器。
「緋月に、いや……葛」
「―――それだけはダメ‼︎ 何回も言った、あの子を巻き込むことは出来ない‼︎ 私は」
葉加瀬の言おうとしたことに過剰に反応し、一は会話を拒否した。
葉加瀬に伝えれた真実もまた一部分。
自身の過去は一切語っていない。故に今ここで声を荒げるのは間違っている。
葉加瀬は心配してくれているのだ。
真実の一端を知り、それでも絶望せずに。
「エセ関西弁が抜けてる」
「っ」
「まだ早いんだろうね。あの子の力じゃ、世界を救うことはできない。目下、やるべきことがたくさんある」
目を逸らし口を噤んだ一を一瞥し、葉加瀬は申し訳なさそうな顔で歩き始めた。
何をするに至っても、まだこの世界に【英雄】は存在していない。
葛葉を【英雄】たらしめる、人々の心が【英雄】が現れたことをまだ正確に認識していないからだ。
それが実現するのは命名式。
二ヶ月後に控えた命名式によって葛葉は【英雄】となる。葛葉の活躍ぶりは伝聞で広まっていると言っても、現実味はないだろう。
「君の仕事は来たる終焉の先延ばしってところだろう?」
「……」
「気を付けて。君が居なくなると、悲しむ人が多いんだ」
最後にそう言い残して、葉加瀬は一の下を後にするのだった。
一人残された一は仮屋の中に入っていく。
魔法で隠して入るものの、一の身体に刻まれた数々の傷は痛みを放っていた。
「今日でいろんなことがバレてもたかもな〜」
鏡の前に立ち、身体中にある傷の中で最も大きく痛々しい胸元の傷に指先で触れた。
「……痛いんよなぁ、戦いたくないなぁ」
痛々しい傷は色んな痛みを刻んでいた。
(うちはどうなってもええ。でも、でもっ、あの子だけは守らなあかんねん。約束したんや、救うって)
傷だらけの身体に魔法を掛け、一はいつもの服を纏った。肌を一切露出させない服を。
一は旅にでる。その果てに待つ運命を変えるために。物語を改変させるために―――。
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