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悪化

奥津が往診に来るようになって、幾日経ったか。

もともと白子(白皮症)には、治療法がない。奥津は気休めのように、週に何度か様子を見に来る。


咲は、その声に、穏やかな笑顔に触れる度、あの日、初めて会った日に抱いた感情が育つのを、そうしてそれが恋なのだと思い知らされるのだ。

そうして、深い悲しみに襲われる。これは決して病などでは無いと言うのに。それを言えぬのは、父の圧力からだけではない。病などではなく、呪いなのだと告白したあと。そのあとの奥津の反応が怖かった。

奇異の目に変わるだろうか、嫌悪されるだろうか、どんな反応をされるのだろうか。

そこまで考えては、真実を口にはしていけないと、改めて思い至り、その後ろめたさと罪悪感に声も涙も無く泣くのだった。


「こんにちは、咲さん。」

いつもと変わらぬ優しい声が聞こえた。一層白くなった肌、あの烏の濡れ羽色だった面影など無い髪、そんな自分に狼狽えつつ、咲は、どうぞ、とか細い声で答えた。

「こんにちは。お加減は… あまり、良くないみたいですね。」

一目、咲の様子を見た奥津がやんわりと声をかけた。窓辺に正座し、ぼんやりと外を見ていたのだろうか。相変わらず、影を纏ったまま。


部屋に籠りっきりの、年頃の娘。病を気に病んでいるのか、笑顔を見せることの無い、娘。そんなに怯えることはない病だと、何度説明しても悲しそうに首を降る。


「こんにちは、先生。」

悲しそうに微笑んでいる姿を目にし、奥津はどうしたら元気付けられるのだろうと頭を悩ます。

大丈夫ですよ、なんて言葉でどうにもならないのは今日までのやり取りで分かりきっている。それに、どうも病だけが原因では無いような感じもする。

どちらにせよ、信用されていないと言うことか。ふと、そう思い至って、奥津は心の中で苦笑した。

「咲さん、何か悩みごとでもあるんですか?」

咲の目の前にしゃがみこんで、奥津は尋ねた。咲が不思議そうに見つめ返してきたので、

「ずっと元気がないでしょう? どうも病だけが原因では無いような気がしまして。僕は、若造で頼りないかもしれませんが… 悩みを聞くことくらいはできます。話すだけで楽になることもあるんですよ。それに、僕は医者ですからね、秘密は厳守しますよ。」

奥津はそう咲に説いた。少しでも、心が楽になれば。とも、付け加えて。

咲が、驚いたように見開いた目で見つめてきたのを見て、奥津は仮定が当たっていたことを知る。だが、まだこれからだ。何に思い悩んでいるのか、病が原因かそうではないのか。

「…先生、私…」

そう言いかけて、咲は言葉を詰まらせた。

「どうしました? やっぱり僕じゃ信用できないですかね。」

奥津は、今度こそ顔に出して苦笑した。これでも独逸帰りで医者としての腕は確かなんだけれど…

困り果てた。そんな顔の奥津を見て、咲は胸を締め付けられる思いをした。

「ちが、先生、違うの。」

やっとそれだけを。

「咲さん、そんな泣きそうな顔をしないでください。僕が苛めてるみたいですね…」

「ごめんなさい、先生。ただ、私… こんな、人じゃ無いみたいになって… それで、」

絞り出すように言った咲の言葉に、奥津ははっとする。

そうだ、年頃の娘なのだ。命に別状は無いなんて、気休めにもならなかったのだ、と、奥津は気付く。

好いた相手でもいるのだろう。嫌われたら、気味悪がられたら、そんなことをずっと一人で考えていたんだろうか。


「気付かなくて、申し訳無い。そりゃあ、頼りなく思いますね。」

「っ、先生は悪くない!」

必死に自分を庇おうとする咲を見て、思わず奥津は彼女の頭を撫でていた。


途端に、頬を染めた咲。その様子に、

「ああ、僕は本当にぼんくらだったんですね。」

奥津は溜め息を吐いた。この娘をずっと思い悩ませていたのは自分だったのか。毎回会う度に、異質な姿を見られることを恥じていたのだろうか。

「大丈夫ですよ、咲さん。肌が白いのも髪が白いのも、そんなに変なことじゃあ無いですから。」

そう言って、子供をあやすようにやんわりと抱き締めた。何のことはない、ただ、少しでも安心させてやりたかっただけだ。少なくとも、この病を嫌悪も差別もしないと言うことを伝えたかった。言葉だけでは伝わらないのは、今日までのやり取りで分かりきっていた。


「せっ、先生…」

「見た目は戻らないかもしれませんが、違うのは色だけですよ。人じゃないだなんて…」

身動いた咲を宥めるように、背中を撫でさする。


「痛、」

「どうしました?」

咲が急に痛みを訴える。

「足が、痛い、何か引っ掛かったみたいな、」

「どうしたんでしょうね、ちょっと診てみましょうか。どの辺ですか?」

そう言われ、咲は躊躇いがちに着物の裾をまくりあげる。

「っひ、」

咲が、声になら無い悲鳴をあげた。奥津も瞠目した。


そこには。

咲が痛みを訴えたのは、右足の太股の裏側だった。そこに、魚の鱗のようなものが生えていた。

呪いが、また。

今度はもう、誤魔化し切れない。誰がこれを病と思うのか。咲は絶望した。

今度こそ、奥津に拒絶の視線を向けられるのだろう。


「…これは、」

奥津も流石に言葉を失った。魚の鱗だ。そんな馬鹿な。皮膚が乾燥して鱗状になる、と言うなら知っている。知っているが、これは違う。違うのではないか、それとも、こんな風になるものなのか?


「咲さん、ちょっと触診してみますね。」

そう言って、咲の様子を窺う。青褪め恐怖にひきつったまま、その鱗から目を離せずにいるようだった。

取り敢えず、症状を診てみないことにはどうにもしようがないと、奥津は患部に触れてみる。ひやり、と、冷たい。それに本物の鱗のような硬さだった。


「いや、見ないで!」

我に返った咲が着物の裾を戻し、体を丸める。

その尋常ではない怯えように、一瞬、奥津も怯む。が、

「咲さん、僕はこれでも医者ですから。そのくらいで差別したりなんて…」

どうにか咲を落ち着かせ、症状を確認し治療できるものならば、奥津は咲を説得しようとした。


「違う、違うの先生。」

咲が、見せたことがないほど激しく拒否する。

「咲さん、一体…」

「父さまは、病気ってことにしたいみたいだけど、違うの。」

咽びながら、咲が訴えてきた。


どうやら、この父娘は自分の知らない何か知っているらしい。奥津は、兎に角話を聞くことにした。

「あのね、先生。これね、呪いなんだって。浦野の女は、みんな呪われてるんだって。真っ白になって、人魚の呪いで死ぬんだって。鱗が出来た。私きっと、もうすぐ死んじゃうんだ。」

必死にそこまで説明した咲は、あとは先生ごめんね、嘘ついててごめんね、と、繰り返しながら泣きじゃくるだけだった。


突然の予想もしなかった告白に、流石の奥津も思考が停止した。

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