嘘臭ぇ話
初めに断っておくが、この話は半信半疑で聞いてほしい。
夏によく耳にする類いの陳腐な話なんだ。
今となっては、俺にも嘘か本当かよくわからない。
でも、夏が来ると思い出す。そんな話だ。
1
大学に無事受かったのはいいものの、俺はたったの一ヶ月程度で碌に講義も受けに行かないサボり魔となっていた。
当時実家暮らしだった俺は、真っ昼間から家に帰ることもできず、かといって田舎町では丁度いい暇潰しの場所の心当たりもなく、人のいない場所を探し、ぶらぶらと歩き回っていたんだ。
で、ある日なんとなく、割りと近所にあるのに名前も知らない山の中に入って、名前くらいは聞いたことある気がする小学校の校舎を見つけた。
そこは、別に休日でも祝日でもないというのに人気もなく、とても静かな場所で。
昇降口に回ってみれば、下駄箱に上靴すらない。
よく見ればリノリウムの床も埃まみれ。窓辺や天井隅にはクモの巣まで張っていた。
どうやら廃校になっているらしい。それも何年も前に。
俺はしめしめと思ったね。
こんな山の中にわざわざ来る輩もそういないだろうから。
早速とばかりに、俺は学校中を探検して回った。
廊下を渡り、並ぶ普通教室、保健室に技術室。
階段を上り、音楽室に美術室。空っぽになった購買、同じく空っぽの図書室。
俺が通っていた所とは配置こそ違うものの、そんなの関係なく懐かしい気分にさせられた。
ただ、大学生男子の図体で小学校になんていると、スケール感がどうにも奇妙で不思議な感覚になる。
机や椅子は奇妙な体勢にならないと座れないし、扉の上の縁には頭をぶつけそう。
あの頃は普通に使って暮らしてた物たちなのにだ。
道具の方がちっちゃくなる筈ないんだから俺がでかくなったってことなのは判るんだが、異世界にでも迷いこんだような気分になったもんだ。
しかし所詮は小学校、ましてや廃校である。
目新しいものなど特になく、一つの教室になんとなく落ち着いた。
何故か箒と塵取りが残っていたため、机を動かしながら掃除したりなんかした。
アレルギーがある訳じゃないが、流石に埃だらけの場所は居心地が悪かったからな。
一人で綺麗に片付けて、満足する頃には日も暮れそうな時間になっていて。
本当にいい場所見付けたとほくそ笑みながら帰った。
だが、探索したり掃除したりとやることがあって暇を潰せたのは初日だけだった。
当然ながら備品類は何もない。
黒板はあるものの、チョークの一本もないため落書きもできない。
退屈しのぎに出来ることなんざ何もなく、ただひたすら暇と戦っていた。
山の中で木に囲まれているためか、妙に湿気っていて、煙草の点きが悪いのは特にイライラさせられた。
隙間風にライターの火を消されたのも一度や二度では済まない。
それでも俺は、毎日ずっとそこで煙草を吹かし、日暮れを待ってから帰るルーティンを繰り返していた。
今思い返しても何でなんだろうと思う。
わざわざ退屈しに行くなんて、誰も得しない。
全く身にならない話だ。
そもそも、大学に行かなくなった理由も覚えてなかった。
そのぐらい、大したことない理由だったことだけしか覚えていない。
別に虐めや喧嘩の類いがあったわけじゃなかった。当時、勉強や友人関係において落ちこぼれていた訳でもなかった。
強いて言えば、詰まらなかったからかもしれない。
サボるという行為が目的となり、詰まらないから暇しに行く。
我ながら中々の本末転倒。
ただまあ、一度サボりだした手前、元のように真面目には戻れないんだって気持ちはあったのかもな。
2
ニュースでは梅雨入りしたなんて言ったくせして全然雨模様にもならない、そんな初夏のこと。
いつもの小学校で、珍しくも煙草も点けず考え事をしていた。
……サボり魔だって、漠然と将来について考えたりするもんだ。柄にもないとか言っちゃいけない。
ただまあ、そんなの考えて答えが出るわけじゃなし。
そのうち思考は行き詰まって、うとうとと転た寝してしまったんだよな。
で、次に気付いたときには視界は真っ黒に塗り潰されていた。
どれぐらい寝ていたのか、すっかり日は沈んでいて。
更に耳を叩く雨音から察するに外は土砂降り。
その暗雲もまたこの暗さの一因らしい。
残念ながら傘なんざ持ち歩いていない俺は、一先ず雨が止むのを待とうと思い、徐に煙草に火を点け
「けほっ、けほっ……!! ちょっと! タバコ止めて! 臭い! 息出来ない!」
突然暗闇から響いてきた声に本気で驚いた。
声の方を向いてみると、教室の中にいつの間にか色白の人影。
大きな雨音、廃校の一室、そして真っ暗闇。
舞台装置としちゃ雰囲気満点で。
一瞬本当にこの世のものではないように思えて、叫び声を挙げかけた。
(いやいや落ち着けこいつは今煙の所為で息ができず苦しんでいる死者は息をしないだからこいつは生者だあーゆーおーけー?)
そんな風に俺は動転しながらも分析し、無様な悲鳴は飲み込むことに成功したが。
一度深呼吸した後にもう一度相手を見据える。
暗くて見辛いが、普通の人間だった。それも細っこくて弱っちそうな。
そんなのにビビった自分が腹立たしくなる。
寝起きなのと驚かされたのが相まって、非常に気に食わない相手だと思ったもんだ。
「なんだ、あんた? ここは俺の場所だよ。煙が嫌なら出ていきやがれ」
敵意剥き出しで口擊し、追い出しにかかる。
なんでこんな寂れたところに人が来るんだと、まるで自分だけの秘密基地に余所者が入ってきたように感じて。
「なにさ。私が先にいたのに気づかず寝入っちゃったのは君の方でしょ。
先かどうかで優位性を言うなら私の方が上位よ。
無防備に寝ているところに悪戯しなかったことに感謝してほしいわ」
人影は負けじと言い返してくる。
声からするに、若い女性だ。多分俺とそう変わらない。
「チッ…… 判ったよ。出ていけばいいんだろ?」
移動するのも面倒ではあったが、短い間とはいえ険悪な空気の方が面倒だと思い腰を上げる。
「待って。君、出ていっても吸う気でしょ。それも止めてほしいんだけど」
そんな俺を制するように彼女は言う。
「っていうか、どう見ても未成年じゃない、君。法律違反よ。今すぐ消しなさい」
更にはそう尊大に告げてくるものだから、余計にイライラした。
「なんでお前にそこまで言われなきゃならん。今時中高生だって吸ってるだろうが」
「他人の違犯が君の違反を赦す論拠にはならないと思う」
「……うるせえな、俺の勝手だろうが」
「そもそも煙草の何がいいのか解んないよ。煙草税だって凄い値段じゃない」
「解んねえ奴が語んなよ。どうだっていいだろうが」
「良くない。臭いし。第一君の身体にも良くないんだよ? それだけじゃなく回りの人にも害だし。
始めに言ったように法律にも反してるし。ねえ、止めようよ」
初対面の癖に、やけに禁煙を勧めてくる奴だな。
……鬱陶しい。そんな話、耳にタコが出来るほど聞いている。
解った上で吸ってんだから勝手にさせてくれりゃいいんだ。
彼女の説得を聞き流していると、突然外から強烈な光が入り込む。
遅れて重低音が響いてきた。雷だ。
尊大に語っていた女は、その音に小さく悲鳴を挙げ縮こまった。
「……暗いし、雨音も酷い。しかも雷までなんて」
彼女は急に勢いをなくし、泣きそうな声音になる。
「ねえ、火を消して、一緒にいてくれない?
ううん、煙草はこの際置いておいて。良くないけど置いておいて。
一緒の部屋にいて。お願い。一人は嫌よ」
そして懇願してくるのだ。どうやら煙草の始末を強請ってきたのはそのためらしい。
……まあ、仕方ない。譲歩しよう。
そう思い今一度腰を下ろす。
そしてポッケから携帯を出した。残念ながら圏外だったが、明かり取りとしては十分役に立つ。
そうして初めて彼女の姿をその目で捉え、
そして言葉を奪われた。
あんなに線の細い人間は、後にも先にも見たことがない。
とても儚げで、触れたら壊れてしまいそうという言葉が似合う奴で。
淡い光に照らされた所為か、天女か何かに見えて、呆としてしまった。
不意に、大音声の雷鳴が響く。
彼女は悲鳴を挙げて俺に抱き着いてくる。
俺は跳ね上がる鼓動と沸き上がる初めての感情に戸惑いを隠せなかった。なんだ、これ? と。
その現象が、どうやら『恋に落ちた』という奴であることには後々にならないと気付けなかったな。
それから、俺は煙草を足で踏んで消し、彼女と同じ部屋で雨が止むのを待つことにした。
彼女はわざわざその吸殻を拾って窓の外の雨水に浸しに行ったのは笑った。
やりすぎだろ。どんだけ煙草が嫌いなんだよ、と。
幸いにも通り雨だったようで、一時の激しさはどこへやら、からりと星空を広げてくれた。
一応、夜も遅いし送ってこうかとは訊いたんだが、丁重に断られた。残念だ。
俺は彼女と校門で別れ家に戻る。
玄関の扉開いた瞬間お袋が飛び出してきて思っくそ説教されたのは、余談か。
こんな時間まで連絡もせず何やってたって? 俺の勝手だろうが。
何で親ってあんなうぜえのって思ってたな。
3
翌日も、その次の日も、俺は大学なんて行かずに廃校に通った。
不思議なことに、先日までとは全く気持ちが違っていた。
今までと違ってサボることに目的を持った所為で、強烈になった後ろめたさもあった。
それを圧し殺しながらこうして廃校に足を運ぶことに自己嫌悪もあった。
それでも尚、彼女に会えるかもしれないという期待は失くせなかったんだ。
「ケホケホッ…… あー、また煙草吸ってる。止めてよ、煙たい」
「うるせえな。今度は俺のが先だ。文句あんなら出ていきやがれ」
期待通り、彼女はよく廃校に顔をだした。
俺は内心の嬉しさとときめきを隠すためによく憎まれ口を叩いていたっけな。
「文句はあるけど出ていかないよ。そんな悪いものポイしちゃいなさい」
「我が儘だな。自分の主張を通したいなら、譲歩するのが筋だろう」
「判った。じゃあそれ消したら出てってあげる。煙草とライター頂戴。ポイしてきてあげるから」
「(フーーーッ)」
「きゃふっ! クサっ! ケムっ!
うー…… 譲歩したじゃん」
「阿保か。譲歩したら飲むとは言ってねえ。
そもそもそれは譲歩というのか。上乗せすんな阿保」
「アホっていうなあ。怒ったよ。もう消しても出ていってやんない。
……ていうかそろそろ本当に消して。苦しくなってきた」
「出てきゃいいじゃねえか……
わあったよ。ほら」
そんな感じで、俺は煙草を消して彼女は出ていかないまま。
つまり結局茶番なのだが、お互い楽しんでいたからかこの無意味な攻防は何度もやった。
同じ教室にいるうちに自然と話すようになったが、彼女はあまり自分のことは言わずやたらと俺の話を聞きたがって質問してきた。
最初はそりゃ、何を話せばいいか解んなくてぶっきらぼうに返していた。
なのに、こんなどうしようもない男の日常話のなにがいいのやら、どんな話も興味を示して聴いてくれた。
しかも表情豊かに、かつ真剣に聴いてくれるものだから、どんどん話すことが楽しくなっていった。
彼女は一般的に常識と思われることを知らなかったり、逆に何でそんなことまで知ってんのかと訊きたくなるようなことを知っていたりして。
そのため彼女によく伝わるようにと話す内容を吟味したりしてな。
それもまた話す楽しさを教えてくれた要因だったと思う。
俺は彼女が来ると吸っていた煙草を消すようになり、それでも臭いに嫌な顔をするもんだから、いつしか廃校舎では吸わなくなっていった。
4
「こんな時間にここに来れるお前は、一体普段何をしてる人なんだ?」
ある日、話の流れでふと気になって、自分のことを棚に上げて訊いてみたことがある。
「あたし? あたしはなにもしてない人よ。言わば無職ってやつ」
彼女はあっけらかんとそう答え
「君は大学あるんでしょ?
サボってばっかいないで学校行きなよー」
と、当然のように痛いところを突いてくる。
これは話題の選択ミスったなと、面倒な説教をされんのかなと後悔していると、彼女は
「でもさ。辛いことがあったのに我慢しろ~とか逃げるな~、甘えるな~、とかは言うつもりないんだ、あたし。
頑張ってもダメなときはあるもん。一時撤退もやむ無しでありますってね。」
そう、優しく続けてくれた。
そんなこと言われたのは初めてで。それこそもっとも言って欲しい言葉だったんだと気付いて。ちょっと泣きそうになった。
「ただし! 逃げ続けるのはダメなんだよ! それは自分のためにならないからね!」
しっかり釘を指すことも忘れない。俺はそんな彼女がすっかり好きになっていた。
5
一度行かなくなった場所にまた通い出すというのは、中々踏ん切りをつけるのが難しいものなのだ。
案外、サボり始めたのはともかく、サボり続けていたのはその辺が原因だったのかもしれない。
それはそうと、彼女の言葉に切っ掛けを貰った俺は、久しぶりに朝早くの講義に顔を出した。
適当に座ってると、どんどん講習生が入ってきて、最後に年若い講師が現れ出席を採り出した。
順に呼ばれていく名前。何番目かに俺の名前が呼ばれたときに返事を返したら講師は目を丸くして驚いていた。
回りの受講生たちもざわめき出し、すっかり夢って注目の的だ。当然、いい意味でなく。
早くも来たことを後悔しかけたとき、講師はもう一度確認するように名前を読んで微笑んでくれた。
「よく来てくれましたね。心配していたんです。出席日数ギリギリですよ、もう。次からは休まないように。では次ーー」
そして何でもないかのように点呼に戻っていく。
講師の態度に触発されてか、受講生たちもあまり深くは訊いてこず親しげに接してくれた。
色々聞かれることを覚悟して臨んだため肩透かし食らった気分だったが、勿論ありがたかった。
大学復帰後初があの人の講義だったことには今でも感謝してる。
そのあともその講師や一緒に受けてた受講生たちが大学生活のサポートをしてくれて、馴染むのを手伝ってくれたのだから、本当に幸運だった。
……まあ、他の講義では根掘り葉掘り訊かれて適当に誤魔化すのに苦労したんだがな。
結局、行き辛いと感じていたのはこちらの勝手で、思うよりも簡単に受け入れて貰えるものだったようだ。
変に意地を張っていたのが、今思えば恥ずかしい。
6
俺は少しずつ大学にいくようになり、廃校にいるとき以外の煙草もやめた。そんな風に真面目になった影響か、親との関係も改善していったっけな。
いや、これも多分、こっちが拒絶していただけだったんだと思う。俺の見方が変わっただけ。そういう話。
ともかく、大学に行くようになったということは、廃校にいく機会が減ったということで。更に言えば彼女は携帯を持っていなかったらしく、連絡もとれなくて、彼女に会えることもがくんと減った。
しかしそれでも時々会えて、そのとき大学生活の話なんかしてやると凄く喜んで聴いてくれた。
気を良くした俺は、勉学に励み、時偶サークルなんかにも顔を出し、彼女により面白い話を持っていくことに尽力した。
講義では積極的になって、課題だって精一杯注力して。
勉強なんて下らねえ、どうせ役にも立たねえし辛いだけだ、なんて思っていたが、目標があると違うらしい。
自分の中で情報を蓄積させ、整理し、記憶するのではなく『理解』する。
そして理解したことを噛み砕いて解りやすく話してやる。
俺は解ることが楽しいという当たり前のことに気付くと同時に、解らせてやることの楽しみも知ったんだ。
その楽しさを知ったことで、テストが穴埋めのパズルゲームみたいに見えてきて良い点採れるようになったのは余談か。
当然、勉強のことだけじゃない。
色んな奴等と仲良くなったし、色々と馬鹿もやった。
元サボり魔のくせに真面目君で、かと思えばはっちゃけるときは全力だった俺はなにかと目立っていたらしい。
そのせいか、一回だけ、俺に好意を寄せてくれたという女性からの告白を受けたことがあった。
(女性にとって生理的に無理な顔はしてないんだな、俺) などと変な感想を抱きつつ、好きな相手がいるからと断った。
その話を廃校でしたら、「付き合っちゃえば良かったのに」と笑いながら言われたんだよな。ちょっとショックだ。
嫉妬して欲しいって訳じゃないんだが、なんかこう、もっと反応が欲しかった。
「お前が好きだからそれ以外と付き合う気はねえ」なんて、気恥ずかしくて言えなかったけどな。
元々の目的は彼女のため、話の種を持っていくためではあったものの、結果的に俺は充実した大学生活を過ごせていたと思う。
夏が過ぎ、寒くなりはじめても彼女とは廃校でよく会えた。
明確な約束は一度もしたことはない。
俺が廃校に行く頻度はぐっと落ちていたし、彼女もいつも行っているわけでもないようで、すれ違いも多かった。
それでも、二人ともが来たときには楽しく話せたし、寧ろ時々会うだけという距離感が心地よかった。次に会える日を心待ちに出来て寧ろ良かった。
7
冬が過ぎ俺が無事進級を果たした頃、彼女はぱったりと現れなくなってしまった。
しばらく会わないことなんて珍しくもなかったのに、このときは強い胸騒ぎがしたのを覚えている。
暖かくなり、先の二週間ほどほぼ毎日会えていたからだろうか、今まで通りタイミングが合わないだけだとは、何故か思えなかった。
不安を抱えながらも、それでもしばらくは廃校で待っていた。
ただの思い込みだと信じたくて。
だがやはり彼女は現れなかった。
俺がいない間に来た痕跡すら全くなかった。
彼女は携帯を持っておらず、俺は連絡手段を持っていなかった。それどころか、住んでいる場所すらも知らなかった。
それは彼女が話したがらなかったからなのだが、聞いておけば良かったと何度も後悔した。
それでもなお、彼女に会いたくて。
単なるすれ違いを大袈裟に捉えられたのだと笑われるとしてもどうしようもなくて。
俺は彼女との会話の中にあった情報を纏めて探しに出ることにした。
名前、年齢、見た目の特徴、それと、小学生時代にあの廃校に通っていたことなどだ。
彼女があまり自身について語らなかったため、情報が少ないのが悔やまれる。
彼女の年齢は俺の一個上だということで、俺は大学中の先輩や同期に訊きまくった。時には彼らを通じて他大学の人にも訊いた。
あの小学校の出身だという人も、地元だから結構いたんだ。
それなのに、誰も彼女のことを知らなかった。
全く誰からも情報を得られなかったのだ。
廃校に行っても彼女は現れず。
彼女の手がかりは全く掴めないまま。
八方塞がりで、もう二度と会えないんじゃないかと不安になって。
俺はもう我武者羅になって聞き込みの範囲を広げに広げて。
ニュースキャスターが梅雨入りを宣言し始める初夏の頃、やっと彼女を知っているという人が見つかった。
8
「あの子と知り合いで、また会おうと探しているという男は君だね?
あの子とはどういう関係なのか、教えてもらってもいいかな」
彼女の兄だという、痩せ細った研究者風の男は率直に尋ねてきた。
俺は昨年の初夏頃に廃校舎で彼女に会ったことを話した。
色々喋って仲良くなったことを話した。
半年以上の期間、共に過ごしたことを話した。
それに対し、彼から出た言葉は「ウソを吐くな」だった。
訳が分からなかった。事実だけを言ったつもりだった。
なのに早々に嘘だと断じられてしまったのだ。混乱しない方がおかしい。
俺はなんとか本当なのだと分かって貰おうと言葉を尽くした。
彼女と過ごした日々のことを。
彼女にとても励まされたことを。
彼女のことを好きになったということまで。
しかし彼は信じようとしなかった。あり得るはずがないと。
俺の探し人が彼の妹であることはどうやら間違いないらしい。人違いが故のすれ違いということはなかった。
されど何故か信じてくれない。
何度も真偽を確認される。
何度も時期を確認される。
俺は段々焦れて、彼に何故そこまで疑うのかと訊いた。
すると彼は不機嫌そうな、泣き出しそうな、或いは嬉しそうな複雑な表情をして
「本当に、知らないんだね?」
と、確認するように訊いてきた。
主語が抜けていてなんのことやら。俺は質問の意味が分からず困惑した。
それを見た彼は、見た方が早いと俺を一建の民家に連れていった。
納得いかないままついていったその家では、彼女の笑顔が待ち構えていたのだった。
9
立ち込める線香の匂い。
控えめな色合いで飾られた花。
中央で笑っていたのは、間違いなく彼女。
そう、そこにあったのは
『仏壇』だった。
「去年の今ぐらいだったかな。症状が悪くなって意識不明になってしまったんだ」
固まってしまった俺に、彼は言う。
それは、俺が彼女に出会った時期に重なる話だった。
「長いこと頑張ってくれてたんだけど、目覚めることはなく春になったくらいに息を引き取ってしまったんだ」
今度は、彼女が現れなくなった時期の話。
この時初めて、彼が信じようとしなかった理由が理解できた。
俺だって彼の立場なら信じない。
だってあり得ないだろう?
「彼女は昔から病弱で、ずっと病院暮らしだった」
だから、学校の話に興味津々だったのか。
「自分の身体を恨む様子はなかったが、健康を羨んでいただろうね」
だから、煙草は嫌いだったのか。
「病に冒されているとは想えないほど、明るくて優しい子だった」
だろうな。何度励まされたことやら。
「自分が苦しんでいるときも笑顔を絶やさない、とても強い子だったよ」
本気で怒ったり悲しんだりした顔は見たことがない。いつも冗談めかして笑ってやがって。
彼の話を聞けば聞くほど、彼女のことだと確信できる。
俺はもう涙を堪えることが出来なかった。
彼もまた、涙を流しながら
「もし本当に君がいう通りなら、あの子は最期に幸せに過ごせたのだろう。妹と仲良くしてくれて、ありがとう」
と、言ってくれた。
感謝するのは俺の方だった。
彼女に会えたお陰で、腐っていた俺が全うな大学生活を送れたのだ。
でも、そのときは言葉がなんも出てこなくて、ただただ枯れるまで泣いていた。彼はそんな俺を優しく見守ってくれていた。
俺が本当に生き霊とやらに会ったのか、はたまた気付かぬ内に異世界に迷いこんでいたのかはよく分かっていない。
こんな嘘臭ぇ話、信じてくれなくて構わない。俺だって信じられない。
ただ、彼女に出会って変われた俺は確かにここにいる。
本当にありがとう「 」。