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作者: 高橋 耶那

 私は、雨上がりの田舎道を歩いていた。実家の近くの川原に着くと、立ち止まる。少し大きめの石のごつごつとした感触が、靴越しにも感じられて心地好い。


 体の隅々まで行き渡らせるように、私はゆっくりと息を吸った。


 川の匂い、草の匂い、土の匂い、それから──雨の匂い。


 私は雨の匂いが好きだ。特に雨上がりの匂いは、町全部が丸洗いされたみたいで、気持ちがすっきりする。


 雨に匂いなんてあるのかと思うかも知れないが、晴れの日の匂いとは確かに違うのだ。どこがどう違うかは、はっきりとは言えないけれど。


 ふと見上げると、さっきまで空を覆っていた雲が晴れて、秋らしい澄んだ蒼色が顔を出していた。


「──あ」


 虹が、架かっていた。鮮やかな、七色に光る虹が。


 虹を見て思い出した。本来虹は、コンパスで描いた真ん丸な円みたいに、端と端が繋がっているらしい。


 一度は見てみたいものだけど、残念ながら今回の虹は、地面に半分隠れてしまっている。


 じゃりざりという音がした。視線を虹から下へずらす。


 そこには、一人の少女が居た。


 真っ白のワンピースを着ている。肌寒くなってきたからか、半袖では無く七分袖のワンピース。


 中学生くらいだろうか。あまり印象に残らない顔だ。


 でも──、と私は思う。


 とても、忘れ難い雰囲気をしている。


 静謐でいて、穏やかでいて、激しい。定まっていないようで、定まっているような。あるいは、独特な雰囲気のせいで顔の印象が残らないのかも知れない。


 不思議な少女だ。


 そんな少女が私の方へ歩いてくる。足取りに迷いが無いことや、彼女の目が明確に私へ向いているところをみると、目的は私の後ろの『何か』とかでは無く、『私』のようだ。


「こんにちは」


 訝っていると、少女はもう直ぐそこまで来ていた。


 どうやら私に視線を送っていたのは、単純に挨拶をする為だったらしい。


 私がこんにちは、と返すと、少女はふっと笑った。安心した、という風に。笑うと幾分か空気が柔らかくなる。


 虹は、と少女が唐突に言った。本当に唐突に。


 私が反応できないで居ても、彼女は構わず言葉を続ける。


「虹は、何故現れるんだと思いますか?」


 その問いは、簡単には答えにくいものだった。雨のように細かな水に光が反射して色素が云々と答えることは出来るけれど、少女が訊きたいのはそんな現実の答えでは無いだろう。


 普段であれば、こんな訳のわからない質問をされたら曖昧に誤魔化して、早々に立ち去る。だけれど何故か、今日は真面目に答えてみようかと思った。それはきっと、私の中に満たされた雨上がりの匂いと、不思議な少女の所為だろう。


 そうだなあ、と言いながら言葉を探す。


「昔は、何かと何か、何処かと何処かを繋いでいるのかな、とか、私は考えたりしたけれど」


 私が幼い頃、よく考えていた事だった。


 あの綺麗な虹は、何処に降りているのだろう。誰かが渡って来るのかな。なんて、近付いても近付いても近くならない虹を見て、無邪気に想像してみたりしていた。


 でも今では、虹の現れる現実的なメカニズムを理解してしまって、


 『大人』の色に染まってしまって、もう、


「わかんないなぁ」


 溜め息のように吐き出された私の言葉に、少女は何故か少し、寂しそうな顔をした。


「私は、」


 少女は虹を見上げながら、


「私は、虹っていうものは──」


 そう、言葉を紡いだ。


 薄らいで、色の境界が曖昧になっている七色の虹を背景に、少女は佇んで微笑みを浮かべていた。


「──あ、もう帰らなきゃ。道が無くなっちゃう」


 虹が消えかかっていることに気が付いた彼女は、不思議なことを呟いた。まるで、虹がその『道』だとでも言うかのようだ。


 彼女はもう一度私の方へ向き直り、目を細めた。


「貴女も、帰らなきゃ。帰れる場所があるうちに。後悔したくは、無いでしょう?」


 どきりとした。何もかもを見透かすかのような、彼女の瞳に。自分の心を、見透かされたことに。


 そうして少女は、微笑みを残して、川原を去って行った。消えかけの虹の方へ。


 一本道なのだから、その背中を見失う筈が無いのに、私が瞬きをした一瞬のうちに彼女は見えなくなった。


 地面に染み込んだ雨が、水蒸気となって足下から上がる。そのぬるさに当てられたようにしばらくぼうっとしていたが、川で何かが跳ねた音で我に返った。


 まだ、先程の出来事について理解が追い付いてはいなかったが、しばらく考えて諦めた。この世にはまだ、人智の及ばない領域があるのだ。私がいくら考えたところで、その深淵には辿り着けそうにない。


 ふう、と息を吐き出す。


「さて、帰りますか」


 雨上がりの匂いのおかげで、もやもやはもう洗い流されている。今なら、笑顔で母に会える気がする。


 そうして私は、家へと向かう道を、ゆっくりと歩き出した。



   *  *  *



 虹を見る度に、私は思い出すのだろう。


 虹は、死者と生者、彼岸と此岸の(あわい)に紡がれるのだと語った少女のことを。


 虹を渡って来たような、不思議な彼女のことを。



                終

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― 新着の感想 ―
[一言] 虹を見ても感動がなくなってしまいました。 これが恐らく大人色に染まるということなのでしょう。 忘れてしまった感情を取り戻したいと思いました。
2020/02/15 10:02 退会済み
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