友を悼む・後編
俺達が葬儀会場の外に出て、何メートルも行かないうちにマイクとカメラが向けられた。
「君達、星風の生徒さんですよね? 亡くなった菅原君のお友達? この度の事件について、何か一言おうかがいしたいんですが」
「いや、俺達は……」
「大丈夫、顔は映しませんから。声も変えますので」
「や、本当、何も言うことないし」
断ろうとしたが、マスコミの人達はしつこかった。しかも、さっきよりカメラとか増えている。ヤバい、と俺は思った。俺も戸田さんも、菅原さんと親しいどころか思いっきり事件の関係者だ。それがバレれば、しばらく離してはもらえないだろう。木野さんを探すどころの話ではなくなる。
と。ぬっ、と誰かが俺達の後ろから顔を出した。他の人より明らかに背が高いその人影は、穏やかな口調でマスコミの人達に声をかけた。
「申し訳ありませんが、生徒への取材はご遠慮願います」
芦田先生は眼鏡の奥からいつものにこにこした笑顔を浮かべていたが、何処かいつもより迫力があるように見えた。長身にまとう喪服の黒スーツが、下手すればギャングの正装に見えかねない。
「あ、僕は星風学園高校で教師をしております、芦田と申します。生徒達も今回の事件では少なからずショックを受けておりますし、取材は学校を通していただけませんでしょうか」
言い方は丁寧だが、有無を言わせない雰囲気を全身から放っている。物腰柔らかに見えるけれど、相手は我が演劇部の顧問にして星風学園一の不良教師、芦田風太郎だ。百戦錬磨のマスコミ陣も気圧されている。
「あと、一つおうかがいしたいのですが」
言いながら、芦田先生は眼鏡を外した。
「ここで、彼ら以外のうちの生徒を取材された方はいらっしゃいますか?」
にっこりと笑いながら、質問の矢を放つ。集まっていたマスコミの人達は、一様に首を振った。
「いえ、この子達以外に出て来た生徒はいなかったから……」
「私達は中には入れませんし、星風の生徒さんが出て来るのを待ってましたから、いたら誰かが必ず見つけますよ」
「そうですか」
先生は眼鏡をかけながら、俺達に目配せをした。俺と戸田さんはうなずき、ダッシュでその場から立ち去った。
「あっしー、感謝」
戸田さんがそう言うのが聞こえた。
しばらく走って葬儀会場から離れると、もうマスコミの姿もなくなった。戸田さんはそれでもかなりの早足で歩いて行く。目的地が判っているような足取りだった。
「戸田さん!」
俺も戸田さんに遅れないように歩きながら、その背中に声をかけた。
「木野さんが逃げ出すこと、戸田さん判ってたでしょ?」
戸田さんは足を止めることなく、ちらりと俺の方を見た。
「どうしてそう思う?」
「戸田さんが判らないはずないでしょう。今だって、行き先知ってるみたいだし」
「心当たりがあるだけだ」
にべもなく言う。俺は戸田さんの背中に言葉をぶつけた。
「木野さんは、受付の人にも、マスコミの取材陣にも気づかれずに抜け出して見せた。でもあの人の性格で、何かに隠れたりしてこそこそと脱出するとは思えない。──多分、あの人は正面から堂々と出て行ったんだ」
「じゃあ、何で誰も気付かなかった」
戸田さんは確認するように問いを返した。
「葬祭のスタッフも、受付も、マスコミも、みんな星風の生徒と聞いてこの制服を着た人間を思い浮かべたからですよ。他所ではともかく、葬儀の場ではこの制服は異質だ。弔問客も葬祭スタッフも、他の人はみんな喪服を着てる。木野さんは、黒の上下を着て、黒い集団の中に紛れた。だから、誰も判らなかった」
「あいつ、着替えなんて持ってなかったぞ」
ああそうだ。木野さんはほぼ手ぶらでやって来た。そんな荷物なんか持ってなかったことは俺も知ってる。だからこそ、戸田さんはこの消失劇の仕掛けに気づいてないはずないと思ったんだ。
「木野さんの着て来た制服は、何となくサイズが合ってない感じでした。あれは、いつも学校に着て来てる制服じゃない。少し大き目の制服を手に入れて、改造したんでしょう」
前もって着替えを何処かに隠しておくのは難しい。前日は葬儀の準備で、葬儀社の人達が大勢出入りしてただろうし、関係者以外は立入禁止だったろうし。誰かに見つかってしまう可能性もある。
だったら、着ている服で何とかするしかない。
「上着はきっと、リバーシブルに加工した。裏返せば黒の上着になるように。元の色が濃紺だから、裏を見せないように着込めば判りにくい。ズボンは、大き目のズボンの下に細身の黒のズボンを履いてたんだ。脱ぎやすいように、ボタンやファスナーをマジックテープにでもつけ変えてたのかも知れない。早変わりの要領だ。脱いだズボンは……そうだな、体に巻き付けたら体型を誤魔化すのに使えるかも」
ネクタイなんかは、替えを何処かに隠し持っていればいい。
「身なりさえ変えてしまえば、木野さんのことだ、印象をがらっと変えることはたやすい。受付で記帳したのは、受付の人に自分を印象付けるためですね。より不可解な状況になるように演出したんだ」
そうして、あの人は誰にも気づかれずに葬儀会場から脱出した。
「木野さんの襟首つかんでた戸田さんが、服の仕掛けに気づかないわけがない。そう思ったんですよ」
「……何かやらかす気なんだな、とは思った」
戸田さんは白状した。やっぱりな。
「でも、判らないんですよね。何で木野さんは、菅原さんの葬式でこんな変なことをしたのか」
「それは俺、判る気がする」
「え?」
「菅原のお母さんも言ってただろ。菅原は、木野が突拍子もないことをやらかすのが好きだった。だから、最後の最後に突拍子もないことをやってのけたんだ。葬儀の場から、誰にも気づかれず、それでいて堂々と抜け出して見せる。それが木野の、菅原への最後の餞だったんだ」
戸田さんは立ち止まった。土手道の下には、この辺で一番大きな川。その河川敷に、黒い後ろ姿が立っていた。木野さんだ。近寄ろうとしたら、戸田さんに止められた。
「そっとしといた方がいい。……あいつ、怒ってる」
「怒ってる?」
悲しんでいる、ではなく?
「ああ、自分にな。加西高での打ち合わせ、菅原を誘ったのはあいつだからさ」
──そうだ。いつだって、引っ込み思案な菅原さんをあちこちに誘うのは木野さんだった。あの時もそうで……その出先で菅原さんは殺されてしまった。
「この河原さ、ガキの頃よく来てたんだよ。転校して来たばかりの菅原を半ば無理矢理気味に誘って、よく一緒に遊んでた。キャッチボールとかサッカーとかやったり、パンとか食ったり、ちっとも笑わない菅原を笑わせようとコントみたいなことしたり。……菅原を誘うのは、いつもあいつだった」
小学生の頃の三人の姿が、見えるような気がした。
「自分が誘ったばかりに菅原をみすみすあんな目に合わせてしまった、そう思ってんだろ」
「でも、それは木野さんのせいじゃないでしょう」
木野さんだろうが誰だろうが、たまたま行った先で足止めを食らうことも、そこにあんな歪んだ感情を抱えてる奴がいたことも、事前に予想出来るわけがない。そんなことが判らない人ではないだろうに。
「頭では判ってても、感情が納得しないことって、あるだろ」
俺は木野さんの後ろ姿を見た。土手道の上から見下ろすその背中は、妙に小さく見えた。俺達がいることは判っているだろうに、木野さんは振り向きもしない。声一つ出さない。でも、あの人は全身で慟哭していた。俺には「泣いてもいい」なんて言ったくせに、あんたは俺達には涙を見せようとしないんだな。
舞台の上では何にでもなれるのに。役の上ではあらゆる喜怒哀楽を表現して見せるのに。自分自身の感情を出すことに関しては、この人はこんなに不器用だ。友達を失った悲しみを、自分への怒りとしてしか表に出せないのか。
その時。
ポケットの中で、俺の携帯が震えた。
次美辺りが心配してかけて来たのかと思ったが、違っていた。相手は加西高校の小泉君だ。菅原さんの事件の時、俺達と一緒に足止めを食らって閉じ込められた一人で、県総祭の実行委員でもある。
「小泉君? 久しぶり、どうした?」
電話の向こうから聞こえて来たのは、小泉君の興奮した声だった。彼からの知らせを聞いて、俺は思わず訊き返していた。
「……本当に?」
『本当ですよ、大江さん! もう、一刻も早く、皆さんにお知らせしたくて! 詳しいことは改めてメールとかで通知しますけど、この電話が出来ることが、僕、ホントに嬉しくて……』
とうとう最後には涙ぐんだ声になっている。……でも、うん、わかるよ。
「……うん、頑張ったね、小泉君。明智さんや三沢さんにも、知らせてあげて。詳細、待ってるから。……判った、またね」
電話を切って、俺は黒い後ろ姿に向かって声を張り上げた。
「木野さん!!」
後ろ姿が、やっと振り向く。
「県総祭、やるそうです! 今、小泉君が知らせて来ました! 会場も押さえて、日程も決まりました!」
その、顔。一瞬見えた、何処か不安げな、迷子になった子供のような表情から、素で驚いた表情に変わる。この表情は多分、ただの高校生の木野友則の表情だ。木野さんの表情としては滅茶苦茶レアだ。木野さんの口がわずかに動いた。つぶやいた声は、こちらまでは聞こえない。
「よく開催にこぎつけられたな」
戸田さんが言う。
「例の台風災害で被災した人達へのチャリティとして開催することにしたそうですよ。あと、菅原さんへの追悼にもなるから、と」
「なるほど。考えたな、小泉」
崖っぷちだった県総祭の開催を立て直したのは、ひとえに小泉君の頑張りがあったからこそだ。ほぼ孤立無援の状態から、少しずつ賛同者を増やし、ここまで来た。その努力には頭が下がる。
だったら俺らは、それに応えないといけない。俺は再び木野さんに向かって叫んだ。
「木野さん、県総祭の舞台は、菅原さんが関わった最後の舞台だ! 最高の舞台にしようぜ! 菅原さんが死んだの口惜しがるくらいに! うっかりこの世に戻って来ちまうくらいに!」
菅原さんの魂がこの世を離れたのなら、呼び戻せばいい。きっと菅原さんは、県総祭の舞台に関しては心残りがあるに違いないんだ。最後まで関われなかった無念が。
だったら、その無念を煽り立てるくらいにいい舞台を作ってやる。そしたら、さすがの菅原さんだって化けて出て来るだろう。それが俺らに出来る反魂だ。行きのバスで、木野さんが芦田先生に言ってた奴だ。
──そして。最高の舞台を最高のまま終わらせられたら、その時こそ菅原さんは綺麗に成仏するだろう。俺ら次第だ。何もかも。
気がつけば、俺の両眼からはぽろぽろと涙がこぼれ出ていた。菅原さんを失った悲しさと、一度は中断しそうになった舞台が復活した嬉しさと。いろんな感情が俺の中でぐちゃぐちゃになって、涙という形で流れ出していた。
いつの間にか、木野さんが俺のすぐそばまで来ていた。さっき俺が次美にやったように、俺の頭をよしよしと撫でる。なんか妙ににこにこしてないか。あんたひょっとして、これがやりたかっただけじゃないのか。
「戸田」
いつもの調子に戻った木野さんが、戸田さんに言った。
「県総祭の本番、カーテンコールがかかったらおまえも出ろ」
「あん?」
「おまえだけじゃない。表舞台に立つ奴も、裏方に回る奴も、出れる奴はなるべく全員出す。……もしも拓が混ざってても、不自然じゃないように」
「……いいな、それ」
戸田さんが微笑んだ。役者勢も裏方も、みんながずらりと並んだ中に、しれっと死んだはずの菅原さんが参加している──それは、とても愉快だ。
「あと、賢、言質は取ったぞ」
……今、明らかに不穏な言い方をしたぞこの人。
「『最高の舞台にしよう』って言ったの、おまえだからな。……演目、変える気はないから俺」
「え」
県総祭でやる予定の演目と言えば、木野さんが探偵役で俺が犯人役のミステリ劇だ。あれは今までも俺に多大な風評被害が出てる役だから、出来れば遠慮したい奴なのに!
「き、木野さん、それは」
「何のために今まで練習して来たと思ってんだよ。そう簡単に演目変えれねーっつーの。──あ、犯人が動機を告白するシーン、なるべく色っぽくしろよ。おまえは根が生真面目だから色気がいまいち足りないんだ、ない色気を搾り出せ」
木野さんはそんな無茶振りをしながら、俺らには見飽きるほどお馴染みの、人の悪い──でも最高に魅力的な笑顔を浮かべた。
家に帰ってテレビを見ていると、菅原さんの葬儀が行われたというローカルニュースもやっていた。
その報道の映像には、思いがけず、葬儀の場を出て行く木野さんの姿が少しだけ映っていた。確認したくて、俺はネットでニュース動画を探した。黒の上下を着て、黒いネクタイを締め、人相を隠すためか伊達眼鏡をかけている。そんなものも隠し持ってたのか。
でも、知ってる人間が注意して見ないと、それが木野さんだとは判らなかったろう。ちらりと映った木野さんはどう見ても十歳は老けて見えて、俺は驚きを通り越して、何だかあきれてしまったのだった。
読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。




