三日目・4 悪意はすべてを崩壊させる
もしや、俺は取り返しのつかないことを言ってしまったのかも知れない──柴田さんの表情にそんな色が浮かんだ。
「俺がこの場で明かしたかったのは、まさにそれなんだ。今までのはただの前振りで、本題はこれからだ。もちろん、ちゃんと俺には判っている。何故おまえが拓を殺したのか」
木野さんはみんなの顔を一通り見まわした後、柴田さんに強い視線を向けた。
「確かに初対面であれば動機はないだろう。しかし、おまえと拓は初対面ではなかった。……だから殺した」
そして木野さんは僕らに目を移した。
「ここで、菅原拓巳という男について説明しておかなければならない。拓が俺や戸田と同じクラスに転校して来たのは小学六年の頃、十月の半ばだ。その時あいつはすでに今みたいな──今よりもっとひどい──階段恐怖症だった。何かのケガの後遺症らしい、足を引きずるような歩き方も、その頃すでにしていた。
……変だと思わねーか? 何だって拓はそんな半端な時期に転校して来たんだ? 小六っつったら中学進学を控えてて、下手すりゃ受験なんかあったりする時期だし、十月の、それも半ば頃ってったら、人事異動やら転勤なんていう親の都合ともかみ合わない」
「例えば、ケガをして入院していた、とか?」
三沢さんの言葉に、木野さんはうなずいた。
「いい読みだな。もっと言えば、そのケガってのは──」
「階段から突き落とされた」
明智さんが、台詞の後半をつないだ。
「多分な。転校して来た当時、拓は周囲に怯え、自分を閉ざしていた。そして、転校して来る前はここ加西市にいたことを、俺は当時の担任の先生に聞いてる。ちょうど県の西から東へ──まるで逃げ出すように、拓は転校している。これは何を意味していると思う?」
「それは……菅原君が当時、いじめの被害にあっていた──そう言いたいんだね?」
さすがに明智さんは呑み込みが早かった。
「ああ。本人の口からはっきりと聞いたわけじゃないが、色々な状況から判断するとまず間違いないと思う。──この上で、シチュエーションを考えてみよう」
木野さんは柴田さんを横目でにらんだ。
「ガキの頃、みんなで寄ってたかって一人のクラスメートをいじめていた奴がいた。ある日そいつは、いじめがエスカレートしたのかどうか知らないが、いじめられっ子を階段から突き落としてしまった。いじめられっ子は大ケガをして、それっきり学校に来なくなった。転校したって話も聞いた。
ここでそいつに殺意があったかどうかは判らないが、少なくとも自分がいじめられっ子を『殺しかけた』って意識はあったはずだ。ついでに言っとくと、被害者である拓の方が学校を去ったということは、体面を重んじた学校側が事件自体をなかったことにしようとした可能性が高いな。いじめてた方の親がお偉いさんだった場合なんか、ありそうな話だろ。
……そして年月が経って、そいつは高校生になっていた。受験を控えて、少しでもいい学校に入ろうと躍起になって、涙ぐましい努力もしてる。まー俺が思うに、今の成績って伸び悩んでんだろうな。でなきゃ県総祭の実行委員長までして、内申点稼ぎなんかしねえもん。そこへ現れたのが、かつて自分が大ケガをさせた、かつてのいじめられっ子だった」
ちら、と僕を見る。
「ずみ君の驚いた表情からして、こいつは普段学校じゃ優等生で通ってるんだろう。いじめられっ子に過去のことをバラされりゃ、築いて来た信用はガタ落ち、努力も水の泡となる。『殺されかけた』なんて言われた日にゃ、もう絶望的だ。それだけは阻止しなきゃならない。当のいじめられっ子はというと、自分には知らん顔をして、何も知らない後輩やら他校の奴らやらと親しそうにしてる。このままでは、すぐにでもバレてしまいそうだ。
そこへ思わぬ偶然で、そいつはいじめられっ子と一緒に閉じ込められてしまった。このチャンスを逃す手はない──そう思ったんだな。スネに傷を持つ者は、過剰に自分を守りたがるものさ。ついでに星風学園の生徒に罪をなすりつければ、自分のひねたコンプレックスまで満足させられる。おお、なんとナイスな一石二鳥だ、なぁ?」
「そ……んなのは、屁理屈だ」
柴田さんは最後の反撃を試みた。
「屁理屈? そいつは、理屈で理屈に対抗出来ない奴の言う台詞だ!」
一歩間違えれば暴言になりかねない木野さんの勝利宣言の前に、その反撃は木端微塵に粉砕された。柴田さんはがっくりと肩を落とした。
「……あいつは……」
かすかに、柴田さんの口から言葉が漏れた。木野さんは耳ざとくそれを聞きつけ、僕らの声を制した。
「あいつは、菅原は、表面なんでもない顔をして腹ん中じゃ俺をあざ笑ってたんだ! 俺が入れなかった学校に、自分はしっかり入ってやがって……俺があんなに必死になって、それでも落ちた学校にあいつはのうのうと居座ってる! そりゃおかしいだろうさ、昔てめえを散々いじめて死なせかけた奴が、今じゃ自分より格下なんだからな!
ふざけんじゃねーよ、あんな奴が俺より上であってたまるか! 俺を笑った奴なんか、死んで当然なんだよ! ざまあ見やがれ!!」
そう言って、柴田さんはけたたましく笑い始めた。
──瞬間。木野さんの眼が、座った。笑みの影が消えた。
「自意識過剰と劣等感のミックスか。……醜いね」
言葉が終わるか終わらないうちに、木野さんの拳が柴田さんの顔面を捉えていた。見るからに早く、重い拳だった。柴田さんはその場に殴り倒されていた。
「こんな自分のことしか考えてないような奴に殺されたんじゃ、拓も浮かばれやしねえぜ。……拓。いるな、そこに?」
ふらふらと起き上がった柴田さんは、不安そうに辺りを見まわした。
「キョロキョロしてんじゃねえよ。理不尽に殺された者の魂は、殺人者の背中にべったりへばりついてるもんだろ。俺には見えないが、当然いるよな? 拓」
柴田さんは怯えたように後ろを振り返り、何もない背中を必死で払いのけるしぐさをした。──何もない? 果たしてそうだろうか。僕らに見えないだけで、恨めしそうな顔の菅原さんの霊が、そこに張りついているんじゃないのか?
「おう、拓。遠慮はいらねえぜ──こいつに、おまえを殺した奴に、徹底的に祟っちまえよ!! 俺が許す!!」
……危険だ。僕は感じた。今、この空間を支配しているのは木野さんじゃないか。その彼に「許す」なんて言われたら──これは、本当に、祟る。例えこの場に怨霊などいなくても。
木野さんは、いつしか再び例の毒のある笑みを浮かべていた。この人はまだ、何かやらかすつもりだ。
「柴田。おまえにいいことを教えてやるよ。拓の奴はな、おまえのことなんかこれっぽっちも覚えてなかったんだよ!」
柴田さんの顔が驚愕にゆがんだ。
「嘘だ!」
「俺は嘘はつかない!!」
木野さんは恫喝した。そうだ。この人は嘘をつかない。ただちょっとホラを吹いたりデタラメやデマカセを言ったりするだけで、「嘘はつかない」のだ。
「転校して来た当初、拓は表情すらなくしていた。転校して来る前の記憶はまったくなかった。あの時あいつが持ってたのは、まわりに対する恐怖だけだったんだ。もしかすると、階段から落とされた時、頭の一つも打ってたのかも知れない。しかしそれ以上に、俺は精神的ショックの方が大きいと思っている。おまえがあいつに与えた死の恐怖が、すべての過去を押しつぶしたんだよ!」
聞いたことがある。人が生きて行けるのは、忘れることが出来るからなのだ、と。あまりに辛すぎる思い出──例えば幼い頃に虐待を受けたとか──を持つ人は、自分の心を守るために自らその記憶を抑圧するのだ、と。言ってたじゃないか、菅原さんは……小学校の頃のことなんか忘れたって。
「そりゃ確かに、おまえと会うことによって、拓の記憶が戻る可能性がなかったとは言えない。だけど、他にいくらでも方法はあったはずだ。殺すことなんてなかった。判ったか? 今度のことは完璧におまえの一人相撲でしかなかったんだ」
「そんな……そんな、莫迦な……」
柴田さんは酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせている。当然だろう。木野さんの一言によって、柴田さんが菅原さんを殺した理由は完全に打ち砕かれてしまったのだから。
──明智さんの言っていた意味が、たった今判った。
(君は、人を殺すその瞬間さえ、自分が今何をしていて、その結果どうなるのかをすべて冷静に分析しているタイプの人間だ)
この人にはちゃんと判っている。これから自分が何をしようとしてるのか。明智さんは木野さんが怖いと言っていたけど……僕も、はじめて木野友則という人の恐ろしさを理解した。
(この閉ざされた空間に崩壊をもたらすことが出来るのは、君しかいない)
今僕の目の前で起こっていることこそが、崩壊、だった。
「柴田。俺はおまえを許さない。拓が笑顔を取り戻すまでに、どれだけ努力したと思ってる? 何年かかったと思ってる!? 俺は、壊れちまったあいつを見てるのが痛くて、本当に痛くてたまらなかったから、ずっとあいつに協力して来た。俺はあいつを見て来た者として、決しておまえを許さない。こうやってみんなを集めて謎解きしたのも、単に名探偵を気取ってたわけじゃない。みんなの前で悪意をこめて言ってやるためにだ──『おまえが犯人だ』と!」
「う、うわああ!」
いきなり、柴田さんは奇声を上げて立ち上がった。そのまますごい勢いで突進して行く。窓だ! 飛び降りる──
思った瞬間、手が伸びていた。木野さんだ。彼はそのまま柴田さんの腕をつかみ、ぶん投げるようにして床に叩きつけた。
「莫迦野郎! 誰が死ねと言った!」
木野さんは柴田さんを怒鳴りつけた。ぐい、と倒れている柴田さんの胸倉を引っつかむ。
「いいか、勘違いすんじゃねえぞ。俺は助けたわけじゃねえからな。“死”なんて安易な逃げ道に走られちゃ困るんだよ。これは決して“慈悲”じゃない……“悪意”だ」
悪意の化身は、一言一言かみ締めるように、低くしゃべった。
「俺はおまえを許さない。拓の家族も、決しておまえを許さないだろう。おまえんとこの家庭も、これが元で壊れちまうかも知れない。何よりおまえ自身、自分が殺した男の亡霊を一生背負ってなきゃならない。いいことなんか一つもない。その上で俺はおまえを死なせてやらなかったんだ。憎まれながら生きて苦しめ。これが俺の──木野友則の悪意だ」
僕の、そしてみんなの目の前で。
柴田崇は、崩壊した。




