三日目・3 犯人の名前が明かされる
僕の衝撃を知ってか知らずか、木野さんは説明を続ける。
「犯人にして見りゃ、ころあいを見計らってそこらの花壇か何かに埋めちまうつもりだったろうな。もう処分してしまったか……あるいは、大胆で心配性な犯人のことだ、まだ手元に隠し持ってるかも知れない」
意味ありげな笑みを浮かべながら。
「犯人が、自分の身代わりに戸田を選んだ理由も、ちゃんとある。犯人の立場に立って考えれば、本当は誰だってよかったはずなんだ、自分に嫌疑がかかりさえしなければ。結局、戸田が一番犯人にとって都合のいい奴だったってことだ。その最大の理由は、戸田の外見的特徴にある」
木野さんは視線を戸田さんに移した。つられるように僕らも、いっせいに戸田さんを見る。
「見ての通り、戸田の髪の毛はほとんど金髪と言っていいほど、色が薄い。おまけに天パだ。世の中茶髪の奴が多いっつっても、天然でここまで特徴的な髪はめったにない。現に拓の握ってた髪を見て、戸田のもんだと思わなかった奴はいないはずだ」
「あの、じゃ、あれは戸田さんの髪じゃなかったんですか?」
寺内君の質問に、木野さんは首を振った。
「いや。いくらなんでも戸田の髪のニセモノなんて、誰も持ってるわけねえだろ。第一、犯人は一切殺人のための用意なんてしてなかったんだ。あれは正真正銘、戸田の髪だよ」
「それじゃ、一体……?」
「ちょうど今は季節が変わりかけてる頃だ。木が葉っぱを落とすように、人間の肉体だって変わって来る。──抜け毛だよ、抜け毛」
僕らは再び息を飲んだ。
「普通の時だって人間の毛髪ってのは生え変わって来るもんなんだ。それが夏から冬へと変化して行く時期であれば、なおさらだ。夏毛から冬毛に生え変わるなんて、雷鳥か野ウサギみたいだけどなー、戸田」
「るせーな」
「ま、この場合、二~三本でいいんだから、ゴミでも取るふりをしていただいちまえばそれで十分だ。本人でさえいつ取られたか気づいてないくらいだ。あとはそれを、死体の手に握らしときゃOK」
「木野さん、一つ質問」
大江さんが授業中の小学生みたいに手を挙げた。
「抜けた毛と抜いた毛って毛根の状態が違うから、調べたらすぐ判るって何かの本で読んだんですけど……もし犯人が戸田さんの抜け毛を握らせたとしたら、すぐ小細工がバレちゃいませんか?」
「その通り。偉いねー、賢。頭なでてやろうか?」
「子供ですか、俺は」
「けどまあ、今賢の言ったことは事実だ。抜けた毛と抜いた毛ってのは明らかに違う。犯人はある大胆な方法で、戸田の抜いた髪の毛を手に入れることに成功している」
戸田さんの、抜いた髪の毛。それは、──ある。確かにある。さっき僕が思い当たった人の手に、それは確かに握られていた。
木野さんはその人の方へ向き直った。やはりこの人には判っていたのだ。真正面に立ちはだかる。そして、薄く微笑みながら、木野さんは言った。
「拓の死体が発見された時──おまえは興奮したふりをして戸田の髪を抜き取った。死体を前にして犯人扱いされりゃ、誰だってアワ食って否定する。他の奴だってまともな精神状態じゃいられない。その隙をついて、おまえは実に大胆に振舞った。見ていた中に俺がいなけりゃ、かなりの確率でうまく行ってたろうね」
言葉が、ねっとりとからみつく。
「あの状況下、本来なら細かいことなんか誰も覚えちゃいないだろう。でも俺は覚えてるぜ──あん時抜き取った戸田の髪を、一体どこへやった? え──柴田、崇?」
木野さんははじめてその人の名前を正確に呼んだ。その人──柴田さんは、木野さんの視線から逃れるように目をそらした。
「な……何のことだ?」
「トボけてんじゃねえよ。戸田の髪だけじゃない。おまえ、最初はいてた靴下をどこへやった?」
柴田さんは今日も素足にスニーカーを履いている。
「そ……そんなもん、最初からはいてなかったんだ」
「いいえ」
僕の口から、思わずそんな言葉が漏れていた。
「柴田さん……最初の日に靴下はいてました」
そうだ。僕はちゃんと見ていた。あの時感じたもう一つの違和感──それこそが、柴田さんが確かにはいていたはずの靴下が、いつのまにかなくなっていたこと、だったのだ。
「小泉……貴様……」
柴田さんは恐ろしい目をして僕をにらみつけた。
「ずみ君は正当な証言をしただけだ。証人を脅してもらっちゃ困るな……っと」
と言いつつ、木野さんの手がすばやく動いていた。あっと思うまもなく、木野さんは柴田さんの服のポケットに手を突っ込んでいた。
「何すんだッ!」
突き飛ばした時はすでに遅く、柴田さんのポケットの中身はつかみ出されていた。くしゃくしゃに丸めた靴下のようなものが床に落ちた。……赤黒い色がこびりついている。洗い落とそうとしたらしいが、落としきれなかったのだろう。
木野さんは慎重な手つきでそれを摘み上げると、部屋の隅に寄せてあった教卓の上に乗せた。
「処分するヒマはなかったはずだ。そのために俺は見張り役を置いといたんだ。なあ──戸田?」
木野さんは横目で戸田さんを見た。戸田さんは──はじめから仏頂面を崩さなかった戸田さんは、この日はじめて、フッと口元に笑みを浮かべた。それを見て、僕はすべてを悟った。
木野さんが半ば強引に柴田さんを戸田さんの見張り役にしたのは、「柴田さんに戸田さんを見張らせる」ためじゃなく「戸田さんに柴田さんを見張らせる」ためだったんだ。木野さんは最初からそれを計算していたんだ。そして、戸田さんの方もすぐにそれを飲み込んで、役目を果たした。
──あの二人、三歳の頃からの腐れ縁でケンカ友達でさ、ああ見えても大親友なんだ。
大江さんの言葉が脳裏に浮かんだ。
「視点を変えるだけで、世界とはかくも簡単に転換するものなのだよ。……戸田、すまんね、悪い役させちまって」
「まったくだ。帰ったら何かおごれ。『万来亭』のチャーシューメンあたりでいいから」
「判った。『カレーハウス・マサラ』の激辛二十倍カレーな」
「俺にそんな辛いもん食えってのか!」
軽口の応酬の中に、互いへの信頼感みたいなものが見えた気がした。
「柴田。おまえが戸田の髪を引っこ抜いた時、俺にはすべてが判った。だからとっさに手を打った。入れ替わりを今まで黙ってたのも、その方が都合が良かったからさ。おまえの油断を誘うためにな」
「俺が……」
柴田さんは木野さんを憎々しげににらみつけながら、うなるように言った。
「俺が菅原を殺したって言うなら、動機は何だ? 俺と菅原はここで初めて会ったんだぞ? 何だって俺が菅原を殺さなきゃならないんだよ!?」
動機がない。それが多分、柴田さんの最後の切り札だったんだろう。
だけど、相手が悪すぎた。木野さんはその言葉を聞いた瞬間、ふわり、と微笑んだ。それは僕の眼から見ても魅力的な微笑みだったが、同時に限りない“毒”の存在も感じさせた。そしてその表情を見て、戸田さんと大江さんは明らかにギクッとした。
「その一言を待っていた」
毒を秘めた笑顔で、木野さんはそう言った。




