三日目・2 それは隠れた凶器となる
──瞬間、空白が流れた。誰もが言葉の意味をとっさには理解出来ずにいた。ただ星風学園の三人だけが平静を保ち──明智さんが、ああ、そう来たか、といったような笑みをかすかに浮かべただけだった。
「ちなみに、俺も実は戸田基樹という名前じゃない。改めて紹介しよう。あいつが星風学園演劇部副部長の戸田基樹、俺が部長の木野友則だ。以後よろしく」
戸田さん──もとい、木野友則さんはカーテンコールでも受けるように一礼した。
「疑うんなら、証拠見せるぜ。……戸田」
木野さんの言葉に、戸田さんは制服のポケットから生徒手帳を取り出した。学生証を見せる。間違えようもない金髪癖っ毛の写真の横に、「戸田基樹」の名前がはっきりと書いてあった。木野さんも自分の学生証を見せた。……写真と同じ顔が、にい、と笑った。
「この人、たまにこーゆー信じられないことするんですよ」
大江さんがため息混じりに言った。
「フツー考えます? こっちで顔知られてないのいいことに、ただみんなを驚かすためだけに戸田さんと入れ替わろうなんて。しかもうちの部員どころか、県総祭に参加する星風の生徒全員に口裏合わせるように頼んでんだから」
「だって俺、学校中に顔知られてんだもん。しゃーねーだろ」
どんな風に知られてるのか、何となく判るような気もする……。
「ホントのこと言うと、この場でバラすのは俺的にはすっげー不本意なんだ。打ち上げの場でパーッとみんなを驚かすつもりだったのに」
「付き合わされる方の身にもなってみろ。おまえのアホな計画のおかげで、俺は四六時中おまえとつるんでなきゃならなかったんだぞ。万一誰かが間違って名前呼んでもすぐフォロー出来るように、って」
「つるんでるのは元からだと思うんですけど……」
星風の三人のトライアングル漫才を、僕らは眼を丸くして聞いていた。
でも、……そうか、落ち着いて考えると何となく判って来た。大江さんがちらっと言っていた「もうこんな芝居を続けるのは嫌だ」っていう台詞。あれは、この入れ替わりのことだったんだ。確かに、先輩が死んだ後もこんな冗談みたいなことを続けようとしてちゃ、嫌になって来るよな……。
「ま、とにかく、拓もこの計画に加わってた一人だ。もしも拓がこいつに殺されたんだとしたら、わざわざ偽名の方を書き残すもんか」
「今、木野友則を名乗ってる人間──って意味かも知れない」
柴田さんが弱々しく反論した。
「あのなあ、頭割られて死にかけてる奴にそんな考えが及ぶかい。いるんなら見てみたいよ。意識だって朦朧となってるだろうに、そこまで複雑な思考が出来るとは思えないね」
木野さんの弁舌に、ついに柴田さんは沈黙した。
「とまあ、こーゆーワケであのダイイング・メッセージはニセモノだ。とすると、あれを作った奴がいる──ってことに、どうしたってなる。しかもそれは、星風の者ではありえない。少なくとも、この裏を知っててあんなマヌケな小細工をするバカは、うちにはいない」
戸田さんであれ、大江さんであれ、そして木野さん自身であれ、もう少しマシな細工をすることだろう。
「ニセの手がかりを残した奴──すなわち犯人は、今回はじめて俺達に会った奴……この中の誰か、だ」
みんなの中に一様に動揺が走った。木野さん・戸田さん・大江さんのトライアングルの中に封じられた六人──この中にいるのだ。菅原さんを殺した犯人が、確実に。僕らは互いに他のみんなを伺った。
「話を続けよう。さっき俺は、犯人の懐中電灯が点かなくなった、と言った。……実を言うとその理由も、俺には大体想像出来てる」
すべて判っているんだぜ、俺は。そう言わんばかりの口調で、木野さんは話を続けた。
「ここでちょっと考えてみてくれ。犯人は拓を鈍器で殴り殺した。──しかし、その凶器は一体何だ? 俺達は着の身着のままでここへ閉じ込められた。犯人だって条件は同じだ、前もって殺人のための用意なんか出来なかった。ついでに言えば、現場にも凶器らしきものはなかった」
「それは……犯人が持って逃げたんじゃないんですか?」
僕はおずおずと発言した。木野さんはうなずいた。
「そうだろうな。でも、一体それをどこで始末した? 犯人が通ったであろうルートは、ここから現場を通って体育館裏のシャワー室までの往復だ。その間に、血がべったりついた鈍器を隠せそうな場所なんてあるか?」
「……さりげなくその辺へ置いとけば、かえって判らなくなるかも知れない」
答えに詰まった僕の代わりに、柴田さんが答えた。
「木は森の中に。確かにな。でもこの場合その法則は当てはまらない。犯人は──ニセモノのダイイング・メッセージにダメ押ししてることからも判るように――大胆な反面、非常に心配性なところがある。そんな隠し方じゃ、気が気じゃないはずだ。いつ俺みたいな奴が現れないとも限らないからな」
「こいつはひねくれてるからな。そぶりも見せずにあれこれチェックするのは得意なんだ。人があまり見ないようなところも、実によく見てるんだよな。どうせ知らないうちに凶器探しも済ましちまってんだろ」
「説明ありがとう、戸田君。というわけで、ここに新たなる謎が生まれた。凶器はどこから来てどこへ去ったのか? ……さて、さっき俺が言ったことを思い出して欲しい。犯人の懐中電灯は、点かなかったんだ」
木野さんはそこにあった大型の懐中電灯を手に取った。僕らがずっと使ってた奴だ。電池を入れる裏ブタを外しながら、木野さんは言葉を続けた。
「拓は後ろから殴られてる。相手に警戒心を持ってなかった証拠だ。まああいつは基本的に人のいい奴だったから、相手が自分を殺すつもりだなんて夢にも思ってなかったんだろう。それでも、相手がいかにも頭ぶん殴れそうなもんを持ってたら、さすがの拓もあんなに無防備じゃなかったはずだ」
中の電池を手のひらに取る。
「つまり、相手は一見して凶器になるようなものを持ってなかった。この懐中電灯以外には。こいつに詰まってるこの単一電池四個──これを例えば、自分のはいてる靴下に入れて一つにまとめると……どうなる?」
「ああ!」
三沢さんが大声を上げた。
「それじゃ、まさか……あれが凶器だったのか!」
「ピンポーン」
木野さんは我が意を得たり、と言った風ににっこりと笑った。
「三沢は思い出してくれたみたいだな。俺が拓の死体を調べた時、三沢の差し出した懐中電灯は点かなかった。電池がバラバラに入ってたからだ。あれこそが前の夜、犯人が使った奴だったんだ。殺人なんてとんでもないことをした後は、誰だって気が動転する。だから、犯人は電池の+-をごっちゃにしてしまったことに気づかなかった」
電池の重さを確かめるように、二、三度、手を上下させてみる。
「単一が四個にもなると、結構な重さになる。振り回したりして勢いをつければ、なおさら威力は増すな」
──あれ?
今、何か思い出しかけた。そう、あの現場を調べてる時。あれに関連して、……もう一つ、何かがあった気がする。
あの時感じた違和感は、そうだ、現場に懐中電灯がなかったことだけじゃない。それだけじゃ、なかった。
「電池を電池として懐中電灯に戻した後、始末するものは一つしかない。鈍器なんかよりはるかに始末しやすい代物──靴下だ」
靴下。木野さんのその一言が、僕の記憶を決定的に呼び覚ました。そしてその記憶は、足元が崩れ去るような衝撃を僕に与えた。まさか……そんな莫迦な。何故あの人がそんなことをした?
その人の方が──見れなかった。




