二日目・6 重要な証言者が現れる
戸田さんを探して学食へ行くと、思いがけず大江さんもいた。大江さんはブラックホールでも背負っているかのような暗い雰囲気の真っ只中で、テーブルに突っ伏していた。さっきとはえらい違いだ。
「ど……どうしたんですか、あれ?」
僕は調理場にいた戸田さんに訊いた。
「見ての通り、自己嫌悪に陥ってる真っ最中。なんでも、不用意に自分の醜いトコ見せちまったからだそうだが──大方誰かとケンカでもしたんだろ」
全てを見通してる口調で、戸田さんは答えた。僕は、さっき上月さんが言っていた噂についてたずねてみた。
「ああ。まあある意味本当っちゃ本当だよ、それ」
戸田さんはあっさりと肯定した。
「本人はデマだと主張してるけどな。まあ噂ってのは往々にして尾ひれがつくもんだけど……あいつ、外見がああだろ? どうしても外見で舐めてかかる奴がいるわけよ。で、繁華街でカツアゲされそうになったことが何回かあって、すべて撃退した。ちなみに、女の子と間違えてナンパして、男だとわかると逆ギレした奴もいたって聞いたな。そいつも撃退したけど」
「うわ、サイテーですね」
なんでも、大江さんのお母さんという人が『男は男らしくあるべし』という方針の人だということで、大江さんは小さい頃から武道とか習っていたのだそうだ。本人の生まれつきの身体能力の高さと格闘センスの良さも相まって、外見からは想像も出来ないくらい強くなってしまったのだという。
「で、撃退された奴がまた仲間連れてお礼参りに来たりして、それまた撃退して」
「……それ、悪循環って言うんじゃないんですか?」
「その通り。そんで、いつの間にか大江賢治最強伝説が出来ちまったわけ」
そして戸田さんは、少しだけ声を潜めた。
「見たんだろ、あいつのウラの顔。あれはあいつのもっとも狂気を含んだ部分だ。あれが出て来たってことは、あいつ自身多少不安定になってるって証拠だ。ま、こんな状況下だ、少しくらいおかしくならねえ方がおかしいよ」
「ウラの顔……って、あの?」
さっきの、恐ろしいばかりに綺麗な顔。
「ああ。ありゃあいつの中で一番綺麗なカオだけど──その分性悪だ」
「だーれが性悪ですってーー?」
落ちこみまくったまま、大江さんがくぐもった声で言った。
「おや、聞いてたの、おまえ」
「あんたの方が悪いぢゃないですかぁーー? へーきなカオしてウソつくしさーー」
「俺は嘘なんかつかねーよ」
戸田さんは心外そうに答えた。
「ただちょっとホラを吹いたり、デタラメやデマカセを言ったり、ハッタリをかましたりするだけだ」
……それを世間一般では嘘と言うような気がする……。
「何だ、また落ち込んでんのか、おまえ」
その人は、言うなりつかつかと近寄って来て大江さんの頭をはたいた。
「……ってー……と、木野さん」
木野さんは大江さんの真っ正面に腰を下ろした。後からついて来た柴田さんが、仕方なさそうに隣に座る。
「ったく、おまえと言いあのバカと言い、俺が一発はたいてやんねえと元に戻らねえんだからよ」
「人を一昔前のテレビみたいに言うなよ」
調理場から戸田さんが声をかけて来た。
「おう、いたのか、昔のテレビ。何か作んならとっとと作れよ。俺ぁハラ減ってんだ」
「へいへい。昔のテレビはさくさくメシ作らせていただきますよーだ」
戸田さんが引っ込んでしまうと、木野さんはとつとつと語り始めた。
「──なあ、賢治。人間ってのは、どこかに必ず闇の部分ってのを持ってんだよな。それを自覚してんのは大事なことだ。……でも、あんまりそっちばっか向いてると取り込まれちまうぜ」
ぴく、と柴田さんがわずかに動いた──気がした。
「俺は──ずっと見てきたからな。だからこそ言える。あんまりマイナスに考えるな。自分もまわりも苦しいだけだ」
「……はい」
はじめて、大江さんの表情が和らいだ。と、木野さんは調理場の方を指差し、まるっきり違う調子で言った。
「かと言ってなあ、あいつみたく無駄に能天気なのは考えもんだぞ? あれはやめとけ」
「大丈夫です。俺にはあの人のマネは出来ません!」
大江さんが力強く答えた時、
「おまえら、悪口は本人のいないとこで言えよ」
言いながら、戸田さんがチャーハンを運んで来た。
「ああ、ここにいたのか、みんな」
そこへ、誘われたかのように三沢さんと寺内君が顔を見せた。
「お、笹良組。チャーハン食う?」
「いいけど……その前に、寺内が話があるってさ。ほら、寺内」
寺内君は、例のオドオドした態度でみんなの前に進み出た。三沢さんに促されて、おずおずと口を開く。
「ぼ、僕……昨夜、夜中に目、覚まして……」
全員の顔に緊張の色が走った。それは――菅原さんが死んだ時のことだ。
「真っ暗なんでまた寝ようと思って、うつらうつらしてたら、……誰か起き出して来る気配がして……でもって、寝てる人達の間を縫って、また他の人に近寄って……今思えば、あれって菅原さんだったんだと思うんですけど、そのもう一人の人も起き出して来て、二人で部屋を出て行っちゃったんです」
「顔は? 見たのか?」
柴田さんが勢い込んで尋ねた。
「いえ……僕も半分寝ちゃってたし……それに、暗かったから……」
「じゃあ何にもならないな」
柴田さんはがっかりしたように椅子に身を沈めた。逆に、戸田さんは実に楽しそうに目を細めた。
「いや、言ってくれただけマシさ。寺内君、君には俺の特製チャーハンをご馳走してやろう」
「もともと昼メシじゃねーかよ、それ」
「ギャグの判らん男だねえ、おまえは」
「あーそーかい。なら、今度は俺がおまえの口にギャグかましてやろうか?」
「俺、SMはシュミじゃないなー」
「大体特製チャーハンって、冷凍食品にちょい足ししたもんだろ」
「そのちょい足しにコツがあんだよ」
木野さんと戸田さんの掛け合い漫才を上の空で聞きながら、僕は考えていた。戸田さんは今の寺内君のあやふやな証言から、何かをつかんだらしい。この人には、僕らの見えていない何かが見えているのだ。
──この人は、一体、何なんだろう。
僕の中に、戸田基樹という人への興味が、止め処もなくわいて出た。僕は、この人のことが、知りたい。




