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考えなしに書き始めた諸君!

おめでとう!これで国語界の息吹として一陣の風になれたわけだが、書き始められていない人もいると思われる。

そんな奴はいないだろうと仰る君!もう一度前回の話を思い出したまえ。

私はテーマを提示したら大半は書けると言ったと記憶しているが、間違いはないだろうか。

ここで注目すべきは「大半」である。

大半と調べれば、半分以上と書かれている。もうお分かりと思うが、以上があれば以下がある。

そう言うことだ。今回はテーマを提示されても書けない人、つまり書き始めたとしてもテーマを見出せる自信がない人の為の話をしよう。

そのような同朋諸君!悲観することはない。得手に帆を上げることはできなかったが、櫂を手に取れ!そして漕ぎ出そうではないか。

抜本的に紐解いていこう。

なぜ書けないのか。

私たちは言葉を用いる。所謂、音だ。では作文はなにを用いる?そうだ、こちらも言葉だ。しかし、音ではない。文字だ。何を言いたいのかさっぱりだと思うが、とどのつまり高低差に内包される我が感情が作文では排除されているのだ。

ここで注目すべきは感情である。

勘違いはしてほしくない。書けない皆々様の感情の発露が下手と言っている訳ではない。喜怒哀楽が乏しいとも言ってはいないし、思ってもいない。

私も文字の怖さは重々承知している。怖さが分からない人こそ感情と言うものを理解していない。だからこそ、胸を張ろうではないか。

文字の怖さとは一顰一笑を窺うことができないことにあるのだ。逆説的に考えれば、作文とは一方的な主張。自己主張なのだ。

さぁ、答えがでたではないか。

私たちは自分自身を確固なものとし、自信を持てばいいのだ。

私は耳を塞ぎながら声を大にしよう。

最後は精神論だ!




ごめんなさい

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